僕にとってのエゴン・シーレ

エゴン・シーレに魅せられたのは
僕が30歳を超えた頃だった。
男の肉体をテーマに某雑誌の
巻頭特集の執筆を依頼されたときだ。
テーマとなる写真や絵や映画などを
たくさん観た中で圧倒されたのが
エゴン・シーレの肉体画だった。

ねじくれた肢体に垂直な顔の
「闘士」という自分の裸体像。
白肌に血が滲むような色味と
鋭い狂気のような視線。
裸で踊るダンサーのようで
心臓に刃が刺さり戦慄が走った。
1枚のこの絵を基に一気に書き上げた。

それから以後どんなときも
心の底にエゴン・シーレがあった。
レオポルド美術館の展覧で
本物の「闘士」を観ることができた。
吸い込まれ撥ね返された。
紙に描いた水彩画だったが、
油絵のように生命が漲っていた。

「ほおずきの実のある自画像」にも
目を奪われたが僕には優しすぎる。
「死と男」の背後霊に驚愕し
「母と子」の子供の驚きの青い瞳、
「悲しみの女」の不幸と背後の自分、
「左足を上げて座っている女」の目、
「二人の子供を持つ母」も恐ろしい。

息ができなくなるほどの
エゴン・シーレの本物の絵たち。
そのどれにも落款のような
サインが書かれていた。
惜しむらくは「死と乙女」が
展覧されていなかったこと。
あの絵を求めて徘徊しそうだ!