純粋な小説家

かれこれ30年以上

小説を書いている友人がいる。

完成するたびに

どこかの文学賞に応募する。

多くの渾身の作品が

未だ受賞できたことはない。


彼は何かの賞を狙って

小説を書くわけではない。

書きたいものが湧き出てきて

真摯に書き続けているのだ。

狙っていない作品だけに

受賞する確率は低くなる。


いつ書き上がるかわからない、

どんな小説になるかも定かではない。

だから何かの賞を狙ったとしても

順当に出来上がる保証はない。

すべては出来上がってから

評価を受けたいと考えている。


何と純粋な人だろう。

何と純粋な小説家だろう。

たとえ受賞できなくても

彼は立派な小説家である。

彼の小説は十分に面白く

価値の高い小説である。


彼が生きている間に小説が

世に出ることはないかも知れない。

しかしそれはそれでよいではないか。

彼の死後、突然屍から作品が蘇り、

ゴッホの絵画のように

世界中の人を虜にするかも知れない。


彼の小説にかける純粋な情熱は

まぎれもなく芸術家のものだから。