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第34話 燕の子

あしかび国が、無条件で降伏を受け入れ、hyutopos(ヒュトポス)などとの長い長い戦に終止符が打たれた。
ひろつ流れ海という太洋に浮かぶ小さな島国は、広い広い大洋に芽生えしあしのごとくと名づけられたという。そのあしかび国が、大陸に乗り出し、hyutoposの手から同朋の国を解放するという王ノ王の夢は、むなしくついえた。いや、そればかりでなかった。

あしかび国の大きな都市まちの多くは、hyutoposの一国、AMERIGO(アメリゴ)国の爆弾が落とされ、焦土と化した。戦のためにと、餓えて忍耐を強いられていた民たちは、もはや絶えられぬと絶望の淵にいたが、最後の最後、「これでもか」と原子爆弾がふたつの都市に落とされた。

ひとという生き物は、天の摂理に対し、してはならぬ罪を犯した
このことばを最期に、ことのはを風に伝える神、ほのほつみは消えた。
それは、最初の原子爆弾が落とされた8月6日。しかし、さらにそれから3日後の8月9日、別の都市にAMERIGO国はふたたび原子爆弾を落としたのだ。

あしかび国の火砲隊の兵、野木喜平が、あしかび国の土を踏めたのは、敗戦の翌年、5月であった。
「自由」という名のAMERIGO国が整えた大きな船であしかび国の港に着き、故郷へはそこから汽車にのり、小半日ばかりの距離だが、そのときの長かったこと。
「もっと飛ばせぬのか」。
喜平は、胸のうちで煙を上げる汽車に葉っぱをかけた。故郷さとが近づき、車窓からなじみの風景が現れると、「ああわしは生きて戻ったぞ」と万感の思い胸に迫った。

汽車を降り、家までの道。鎮守の社のもりの木々が光っている。常磐木とよばれる一年じゅう緑をたたえる木々が、新しい葉を芽生えさせ、落ちゆく古い葉と入れ替わる時季。におうばかりの光に包まれ、杜の角を曲がったとき、我が家が喜平の目に入った。
戦に出て実に7年ぶりの我が家。あの時、村の主立った者たちから見送りを受けた。が、今、野木家の前は、ひっそりとしている。まきの垣根ごしに、庭を見やった。

てんでに遊んでいる子どもたち。
喜平はぬっと顔を出し、子どもたちを「やっ」と抱きしめた。
あまりのことに、何がおきたのか分からぬ子どもたちは、きょとんとしている。そのうち、1人が喜平に気づき、声を上げた。
「おとうちゃん……!」
「おお、父だ。おまえ、誠二だな、たくましくなって。今何年生だ?」
「中学1年」
誠二のことばをきっかけに、ほかの子どもたちが、喜平に抱きついてきた。
「おとうちゃんだ! 帰ってきたんだ!」「やった、生きてるぞ!」
「おう、お前たち、元気そうだな、良かった、良かった。
文三に、志郎、ほんとうに長い間、すまなかった」
喜平は、あらっぽく子どもたちの頭を撫でた、そしてひとりひとり頬ずりした。
「髭、いたいよ、おとうちゃん」
子どもたちが悲鳴を上げる。その輪に入れず、もじもじしている少女がひとり。
「……、早穂か?」
こくんとうなずくおかっぱ頭の少女。
早穂、こっちへおいで、さぁ」
早穂は、小さな手を前に付きだし、探しものをするように、声に向かってきた。
節くれだった手が、小さな柔らかい手を包み込む。
小さな手がたぐりよせられ、汗臭い胸に包みこまれる。
早穂、会いたかったぞ」
早穂は、突然現れた父を前に、どうしたもんか分からず、父にのなすがままにされた。
「おとうちゃん、早穂は目が見えないんだよ」
「うん、知っているさ。もう6歳だろ! こんなに大きくなって」
子どもたちの常にない大騒ぎに、なにごと、と妻のつねが出てきた。
「あなた……? ……お帰り!」
つね、ただいま。長い間、苦労をかけたな」
妻の小さな肩、懐かしい髪の匂い。
兵隊のなかで、さほど背の高いとはいえぬ喜平であったが、ひときわ小柄な妻の頭は夫のあごの下にあった。
「もうひとり、長男の喜一は? どこだ?」
喜一は、まだ学校です。もうすぐ帰ってくるかと」
「そうか。出征のとき10歳じゅうだったから、ことしで17歳じゅうななか、元気なんだな!」
「はい。戦が続いている間は工場にいって武器をつくらされたけど、戦が終わり、やっと勉強ができるって、毎日張り切っていますよ」

長男、喜一の帰りをまって、夕餉のぜんが設けられた。その間、喜平は先祖に無事の帰国を告げ、風呂にはいり、汗を流した。
7年ぶりの一家揃っての夕餉。5人の子どもたちと妻、その義母はは。子どもの成長に比べ義母の老いは隠せぬ。背をかがめもくもくと飯を食う姿に、思わず喜平は声をかけた。
「義母さんにも苦労をかけたました」
が、耳が遠いのか返事がない。

今宵の主菜は、たけのこをいれた野菜のごった煮。そこに入っていたのは、喜平の帰国のためにさばかれた鶏肉だ。
「おれが捌いたんだ」
胸をはる次男の誠二
「そうか、ありがとう!」
膳を囲んで、7年間のさまざまな話題が飛び交う。
父のいない間、一家の長として文句ひとついわずけなげにがんばった長男の喜一。正義感が強く喧嘩ならだれにも負けない次男の誠二。反対におとなしいけどちゃっかり者の三男の文三。兄たちを手本に一歩下がった冷静な四男の志郎は、ことしから小学校1年生だという。そして、その兄たちに囲まれかわいがられた紅一点の早穂
喜平は、自分の膝の上に座らせた目の見えぬ娘の食べる様子をそっと見守った。箸をもった娘の手を喜平がそっと介添えすると、苦もなく箸でつかみ、口にいれる。
早穂、じょうずに食べるな」
早穂はね、カルタもそらんじてしまっているんだ」
喜一が自分のことのように妹を誉めた。
「ほんと、早穂がいるとカルタ取りにならないからな」
口を尖らせる文三
「どういうことだ?」
それはね、と子たちが話してくれた。

2年ほど前のある日、軍隊からカルタが届いたという。
それは、喜平の隊の名が記され、父が無事との知らせに違いはなかった。が、明けても暮れても戦のことばかり、これといって楽しみがない日々を送っていた子たちに、かっこうの遊び道具となった。
読み札は、妻のつねか長男の喜一が担当。それを3人の男兄弟で取り合う。早穂は、目が不自由な上、意味もつかめぬだろうと鼻から数に入れなかった。ところが、何度かカルタ取りをするうちに、読み札を読みはじめるや、それに続く絵札の句を早穂が口にする。

早穂、おとうちゃんに教えてあげろよ。いいかい、俺のあとに続けろよ」
「『野越え山越え海川越えた』の次は?」「おっとの くろうに おもいやる」。
「じゃあ、『みんな揃ったたのしい夕餉』の次は?」、「ははは せんちに てをあわす」と自慢げに早穂
「『ねんね良い子を軍歌に代えて』は?」には、すかさず「まもるじゅうごの たのもしさ」と続けた。

「じゅうご」は無論、年の数でなく、「銃後」、つまり戦で銃をとる兵の後ろ、祖国本土で、「ねんねん良い子だねんねしろ」という子守唄を勇ましい戦歌に代えて乳飲み子をあやす、そんな意味だ。

早穂は、どこまでわかっていたか? それはわからぬが、こんなんだから、兄たちはやる気をそがれ、カルタ取りにならなかったという。
早穂、もう戦が終わって、おとうちゃんも帰ってきたんだ。次は、平和の歌をいっぱいお覚えような!」と誠二が妹の耳元でいい聞かせる。
誠二の言い分はもっともだ。そして、喜平は子どもらの真ん中に早穂がいる幸せをかみしめた。
かつて妻からの軍事郵便に「めしいながら兄たちにかわいがられすくすく育っています」と書かれていた。それをいま確信した。目は不自由ながら、家族に見守られ、生まれもった才能を延ばし、まっすぐに育っている。
「そうだ、早穂、これからやさしいことばをいっぱい覚えよう。きっと早穂にはことばの神さまが宿っているんだ」と喜平は娘の頭を撫でた。

翌朝、喜平は、遺髪を届けに、幼なじみの中島金治宅に出向くことにした。

金治宅は同じ集落にあり、喜平はそこにいたる獣道まで知り尽くしていた。
この日は用が用だけに、ひとりで行くつもりだったが、早穂も「いっしょにいく」と聞かぬ。もう父をどこにもやらないつもりなのだ。
仕方ない。娘の手を引いて金治宅をおとなうと、早穂より少し上くらいの金治の娘がいたので、これ幸いと「いっしょに遊んでくれるか」と託した。
そして、喜平は、案内された祭壇に手を合わせたあと、金治の妻に戦地から持ち帰った紙包みを手渡した。

金治の妻は、夫が死んだといっても、しらされたのは一枚の紙切れのみ。だけに、幼なじみからの紙包みを開け、特徴のある夫の遺髪が現れると、たまらず崩れおちた。そして声を上げて泣いて、泣いた。
喜平は、泣きやむのをじっと待ち、とつとつと幼なじみとの出会いから最期までを語って聞かせた。

金治とは、ラボーレ島に向かう船で偶然出会い、上陸後に浜で互いに今生の別れになるやもしれぬと髪をり合った。その後、金治は、蛇神大島の戦に赴き、玉砕した。蛇神大島には喜平も上陸するはずであった。が、hyutoposの攻撃で喜平の乗っていた船がやられ、仕方なくラボーレ島に引き返した。

運命の糸というものがあるならば、わずかなりの違いで、金治は命を落とし、己が生き残った。「すまぬ、力に成れなかった、許してくれ」と、喜平金治の妻に頭を下げた。
それを聞いた金治の妻は首を振り、「あなた、ほんとうに死んだのね」とひとこと声。遺髪を胸にいだいた。

こうして己が是が非でも生きて帰らなければならぬと決めた願望をひとつ、ふたつと果たした喜平。やれやれと安堵し、我が家へと戻ろうとしたが、ふと思いとどまった。「もうひとつあった……」

喜平の足は、村の鎮守の社に向いた。
初夏、さわさわと心地よい風が田を吹き抜けてくる。
「やっと田植ができるぞ」
喜平は、いますぐにでも代掻きをはじめたいところだったが、はやる気持ちを抑え、田のなかに島のように浮かぶ社に、娘といっしょに足を踏み入れた。

その社は、もののふの神を祀っている。喜平は、武神に形だけ手を合わせると、その傍らにあるはずの小さな社を探した。たしかこのあたりだったが? と思案していると早穂が、喜平の手を揺すってぽつり言った。

「おとうちゃん、小さなお社は壊れてしまったよ」
「……? 早穂、父がお社を探しているってどうしてわかったんだ?」
「ここはね、お兄ちゃんたちとよくいっしょにきたの。お兄ちゃんたちが遊んでいるあいだ、早穂はここにあった小さな神さまとお話していたの」
「小さな神様? お話した? どういうこと?」
「ここに、くれば、おとうちゃんのようすを小さな神さまがお話してくれるんだ。でも、お社がなくなってから、聞けなくなったの」
「……、早穂、それはどういうこと?」
「小さな神さまは、ほのほつみさまっていうのよ。ただね、小さな神さまの声はあたしにしか聞こえないみたいなの。でね、それはあまりお話してはいけないんだとおもったから、だれにも話さなかったんだ。だって、おかしな子っていわれたらいやだから」
「……、早穂、小さき神さまがここにいたのか? ほのほつみって名乗ったのか?」
「うん、そう。おとうちゃんが、船にのってそれを神さまがね、かめにのっておいかけていったでしょ。そして、おとうちゃんがびょーきになって、とおくの島のびょういんににゅういんしたり、そしてなおったおとうちゃんは、ほのほつみさまとお友だちの女の神さまにあったり、いっぱいいっぱいあったでしょ。海でおぼれたたときは、ほんとびっくりして、ないちゃった。でも、だいじょうぶお父さまはしなないよって、小さな神さまは、おしえてくれたの」
「じゃあ、お前は父のことを……、そうか。ほんとうにおまえは賢い、いい子だ」
喜平は、娘を抱き寄せた
「うん、でもね、あるとき、大きな木がたおれて、ほのほつみさまのお社はこわれてしまったの」
「えっ? それは1年くらい前のことだな?」
「そう、たぶん。おかあちゃんに、『村の小さなおやしろがこわれたよ』っていったけど、『ふうん』ていうだけ」

それは、ラボーレ島永久とわの樹が光を発し、ことのはを風に伝える神、ほのほつみが大蛇ともに空に昇っていった日だ、と喜平は確信した。めしいでありながら、父のこの7年をだれよりも知っていた娘。
喜平は、社の祠があった場所にぬかづいた。そして、腹の底から声を出して、呼びかけた。

「小さき神よ! あなたをときに怪しんだりしたが、あなたは私をずっと見守り、私の罪のあがないを導いてくださっていた。そればかりでない、娘を護り、戦地のようすを語って聞かせてくれていた。いま私は、すべて理解した、ありがとう!」
喜平の叫びに応えるほのほつみの声は無かった。
頭を上げ、膝についた泥を払って、娘の手をひき社を出た喜平

「いいかい、これは父と早穂だけの秘密だよ」
「うん、わかった」
「いい子だ。きっと、またいつか、小さな神様と会えるさ」
「でも、いいの。本物のおとうちゃんがいるから、もういいの」
「……、そうだね、早穂。でも、おとうちゃんは、小さな神様に会いたい。そうだ、もう一度お社を建てよう、そしてちゃんとお礼をいおう」
喜平は、田を渡る風に吹かれ、空を見上げた。夏のはじめの光を反射して田のがきらきら光る。そのなかを、すばやくよぎるものがあった。
「もう、燕が来ているんだ。ふふふ、蝮獲まむしとり名人のわしの旅もようやく終わりだ。そうだ、帰ったらすぐに代掻きの準備だ。兄たちにもてづだってもうらうことにしよう」
我が家に戻り、玄関の戸を、と思った矢先、目の前を何かがよぎった。その消えゆく先には燕の巣。をねだる子燕の声がする。
「いっぱい食べろよ、早く大きくなれ」
その時であった。ちくりと何かに頬を刺された。
「あやつめ……」とほくそ笑む喜平であった。

(完)

【そらの唄】
そらをみあげて なにさがしているの
 もういないあのひと
そらには はやいおおきな風がふいているのよ 
 うん つばめがおしえてくれたよ あの風にのれば一気だって 
そらのうえに なにがあるのかなぁ
 そらのうえにはそら そのうえもそら そら そら そらね
ふふふ くものほかなにもないそら
 おいしそう あんパンみたい

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