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このまま終わらぬものか

大きな大陸のその東に位置する大国、天の中つ国からは、南に半島が突き出している。きりきりっと弓を引き絞る形の半島からは、さらに先端からいくつもの島々が、点々と、点々と連なっている。それらの半島と島々は、地球を水平に切る緯度でほぼ0度、つまり赤道直下にあり、一年を通して暑く、雨が豊富で、豊かな森が生い茂っている。

森は本来、多くの命を育み、命の糧を与えてくれる。ひとははたや田で育てるよりはるかまえ、森に暮らし、森を慈しみ、祈りを捧げることで命を支えるほどのかてを恵んでもらっていた。

ひとの始まりにおいて、おそらく森の数だけ、ことばも暮らし方も異なった民がいたことだろう。
森から生きるかてを与えられ、そのことを知っている森の民たちは、森をり開くことよりも安らぎを、争うこよりも与えられるものへの従順さを学んだ。それゆえ、森の民たちはおおらかだ。おおらかさは外から入ってくる大きな力さえ、おおらかに受け入れる。そこで悲劇が生まれる。
今まさに森繁る半島と太洋に浮かぶ島々を巡ってhyutopos(ヒュトポス)とあしかび国との間で、壮絶ないくさが起ころうとしていた。

いやいくさは、大陸の東とうしお巡るひろつ流れ海の南の島々だけにとどまらず、大陸の西でも起きた。
大陸の西、そこは、この世を創りしひとつ神を信じるhyutopos(ヒュトポス)の民たちの国が大小ひしめいていた。そこでは、わずか30年ほど前にも大陸の西を中心にいくさが生じた。が、戦火はときを追うごとにどんどん広まり、とうとう世界を巻き込み、広がりの大きさから「第一次大戦」と呼ばれた。が、性懲りもなく、いままさに「第二次大戦」が勃発ぼっぱつしていたのだ。

「ひとはなぜ殺しあうのか」
ことのはを風に伝える神、ほのほつみは、3年半あまり農民あがりの兵士、喜平を追いかけてきた。それは、いつ終わるとも知れぬいくさの旅であった
自分には天の運行やひとの運命を左右できるような力はない。ただ見守り、ことのはという風に紛れれば消えるようなはかないもので伝える、それよりすべがない小さき神だ。そんな神ながら思った。
「兵と名を与えられたとたん、ひとはそれが己の本性であったかのように、同じひとをあやめることに無感動になる。その昔、ひとの始まりにおいて神から授けられた知恵など、戦争をまえになんの役にもたたぬ。むしろ浅はかな知恵ゆえに、残酷さは度を増してゆく。哀しいさがをもった生き物であることか」。

「国のため、国の命令だ」と己を呪言じゅごんでしばり、つるぎで刺し貫き、鉄砲を撃ち、火砲を放つ。
兵となり、地にたおれている「ひと」を軽々とまたいだ瞬間、哀しみや喜びを後ろに置いていく。ひとは、涙を忘れることで、前へ前へと突き進む。小さき神、ほのほつみは、せっかく知恵を与えられたひとという生き物の摩訶まか不思議を目の当たりにした。

あのとき、ことのはを風に伝える神、ほのほつみは、天の中つ国の戦場で、天をつかさどる神のしるしを確かにみた。天へのつかいい神、竜王神りゅうおうじんが上げた、まがまがしきしるしを。
天と地が相反する「とき」、ひとは進むべきでない天と地の道理とは真逆に進んでいる。天の道に対し真っ向から反するひとの行いが「否」であるとしるしは示していた。道理に反した行いの結末として、いまや天からの災いの「気」がこの星をどす黒く覆っている。

「この先、どうなることか」
ほのほつみは、つぶやいた。そんな状況など知らぬ喜平せたあしかび国の軍船は、大陸伝いに半島を南に下っていった。天の中つ国での一時の勝利の勢いを追い風に、南下を続けていた。南へ下るほどに、暑さが募る。船とは鉄の固まりである、そのことが船にいるとよく理解できた。
半島の静かな入り江には、あしかび国の軍のさまざまな船が次のおおかがりないくさのために集まっている。

「まるで蒸し風呂だな」
喜平をはじめ兵たちは、湾の奥で動かぬ船にいて、これまで体験したことのない暑さに心底参っていた。船には、馬に代わって火砲を運ぶための自動車が積み込まれていた。が、頭数は少なくなったとはいえ、食料や兵士の身の回りのものを運ぶには馬は欠かせない。
うしお流るる太洋、ひろつ流れ海に浮かぶ島国、あしかび国には、梅雨つゆという時季ときがある。衣類や食べ物にかびが生える時季、逆にこの時季に、梅の実を漬け、味噌を仕込む。むしむしじめじめとした梅雨は、長年あしかび国の民たちの独特の暮らし方をかもし出してきた。
しかし、熱帯の暑さは、あしかび国で知っている暑さとも違う。
船のなかは1月だというのに、気温は40度近くまで上がった。
船の上に天幕を張り、兵たちひとはそこでいくらかは過ごしやすかった。船室は違った。逃げ場所がないのだ。ひとはまだいい、暑さを紛らわすすべを持っているが、馬たちは暑さに絶えることが難しかった。

馬はやってられぬということをことばでなく、腹の痙攣けいれんなど体で表す。
もちろんそれなりに考え、手は打った。船の上から空気を取り込み、船室の兵や船底にいる馬に風を送ってはいたが、馬にとって暑さは耐えがたいもののようだった。

「馬がそうとう弱ってます」
船のなかの馬が熱にあてられ、体調を崩していることが喜平に伝えられた。
「この際、一度、馬をおかにあげた方が良いかと思います」
喜平が見かねて、すぐに隊長に進言した。
「そうだな、馬だけでなく、兵も英気を養うためにも必要かもしれぬが……。かけあってみよう」

いくさにおいて馬は大切な友、ときに兵よりも大切に扱われた。その馬の一大事とあって、すぐ策が講じられた。
「湾から出航する間、ひとまず馬はおかに上げる」ことになった。
七日の間、ひととものを管理する役目の喜平は馬とともに、大地を踏みしめ、しばし憩うた。
憩うとは、心を穏やかにする。ひとはそんなとき、しばしいくさを忘れ、考えなくても良い、あれやこれやを考える。

たとえば、あしかび国の軍が攻めていく南の半島と島々との戦のこと。
ヒンジャブ国を攻めるには、まずそこに架け橋となる半島を攻めていかねばならぬ。あしかび国は、まず半島を占領し、ついで大いなる島々からなる森繁るヒンジャブ国に入る……。
そうした手はずになっていた。

hyutopos(ヒュトポス)が300年にわたり属国としてきた森繁るヒンジャブ国は、石油も採れるし、自動車に欠かせないゴムが採れる。ならば、我が同朋であるヒンジャブ国の民たちをhyutoposから解放すれば良いではないか」。それがあしかび国に与えられたいくさの大義であった。
こうした大がかりな作戦で、喜平たちの火砲隊に与えられた命令は、ヒンジャブ国を総攻撃する際、火砲で歩兵を援護射撃すること、そして、hyutoposから石油の井戸、油田を奪うこと。
華港かこうでの作戦でもそうであったように、作戦は、歩兵、火砲が呼吸を合わせての総攻撃を行う。そして今回は空からも奇襲攻撃をするというから、作戦の規模はより大きくなる。そのためには勝手な行動は許されぬ。
別の隊が半島を突きすすみ、先端の都市を攻略するまで、喜平たちの隊は、湾で船においてじっと待つこととなったのだ。

「ごまや菜種でも油はとれるが、それでは車は走らせられないだろうな」
喜平は、馬の鼻をなでながら、ひとりごちた。
雨が来ることを告げる葉擦れの音。やがて、地に煙りたつ水しぶき。
夕立後のむせぶような水蒸気……。
「まぁ、仕方あるまい」と、喜平は、己が死なずにいることを馬とともに安堵あんどした。そして空想の連鎖はさらに広まる。
たとえば……。

喜平は、船に乗っていた間、馬のふんは、かますというわらの袋にいれて、海に捨ててきた。農民として生きてきた喜平には、それは宝をみすみす捨てるなんともやるせない行いだった。
久しぶりにおかにあがり、馬たちのこぼした糞は、南国では、1日もすれば土に帰る。
「いっそ、このままいくさが終わらぬものか」
喜平がふと心のなかでつぶやいた、その刹那せつなであった。

「野木曹長、本部から連絡であります」。
現実の前ににもならない妄想もうそうは消え失せた。
「虎」と異名をとる将軍の一気呵成いっきかせいの働きで半島の先端の都市があしかび国の手に落ちた、との知らせだった。

「いよいよだな」
森繁るヒンジャブ国への船出を前に、喜平は、軍人らしく身を整えねばと、ひげをあたることにした。
「最近、白いものが増えたな」
鏡と呼ぶにはあまりにもあわれな金属の板に、喜平は己の顔を映し、まじまじと見た。そこに映ったのはよわい40を越えての軍隊生活ですっかりしわの増えた男の顔だった。

「早穂はことし3つか、めしいとのことだがどうしているか」
喜平さん、残念ながら、まだまだ、先になりそうだよ」
ことのはを風に伝える神、ほのほつみがぱらぱらと葉にたまったしずくを喜平に振りかけた。
「冷たっ! またおまえか! このいたずらものめ!」
喜平はしずくを身体に受け、空を仰いだ。夕立のあとの虹が暮れがての空に浮かび、うっすらと十字の星が浮かび出ていた。

【馬子唄 十字星】
西の彼方に三ヶ月かかりゃあ
南にしるき十字の星よ
明日は旅立ち 愛しき妻の
指にからみし洗い髪

一夜共寝ともねも早き夜明けよ
門出笑顔で送りましょうと
まげにほつるる後ろ髪
引けばうしおの白き浪

明日はいづこか果てなき旅の
ゆくえも知らぬ空の下
風になびきし馬のたて髪
涙に霞む十字の星よ

・叙事詩ほのほつみ の物語のあらましは、こちら


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