![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142724438/rectangle_large_type_2_62e776a122f819d829baf210c2727490.png?width=800)
夜動く鼠のごとく進め
![](https://assets.st-note.com/img/1717318776510-QQ5re4G0Zw.jpg?width=800)
あしかび国の歩兵隊の少尉、中島金治が、蛇神大島(へびがみおおしま)に赴いたのを追いかけるように、その数日後、同郷の幼なじみ、野木喜平に蛇神大島への出兵命令が下った。
出兵を明日に控え、あしかび国の火砲隊は宴を開いた。
椰子の葉陰が浜の上でゆらゆら揺れるほど月が明るかった。
酒が振る舞われ、火の周りに兵の輪ができた。
今宵ばかりは位の上下なく、兵たちはみな酔った。
兵たちが囲んでいた火に、蛾が飛び込み、ぢっと音がする。
見れば、蛾の群が火を取り巻くように舞っていた。
兵たちは不思議がった。
「なんだ、この群は、明日は戦に征くというのに、縁起でもない」。
兵たちが、つぶいやいた。
蛾の群から、一匹の蛾が喜平の顔にまといつく。
「今宵は蛾か。いたずらが過ぎるぞ」。
喜平の目には見えていた。蛾と見えたのは、ことのはを風に伝える神、ほのほつみであった。
喜平は、蛾を払うどころか、そっと手を差し出すと、蛾は、いや小さき神、ほのほつみは憩うように羽根を休めた。
それはあしかび国の蛾と違い、大きく、派手な色をまとっている。
羽根を閉じたり、開いたり、息づくようだ。
その様に、喜平は、まだ見ぬ、早穂と名づけられた娘の姿をまぢまぢと目にした。
それを、打ち消したのは兵の声だった。
「なんだ、川村か」
初年兵の川村隆治が、喜平の傍らにいた。
瞬間、蛾は舞い上がり、娘の姿は闇に消えた。
「髪と爪を遺書に包んで出すようにと言われました。いよいよですね、精一杯お国のためにつくします」
「……うん、山砲、うまく運べるといいな。ヒンジャブ国のときように自動車でというわけにいかんぞ」
「はい、入隊して訓練してきましたから、重さは身にしみています」。
「今度は、深い深い森だ。そして森の先は、草原。さらに3000メートルを超える山の麓の険しい道だ、まだ俺たちも経験したことはない戦場だ」。
「すいません、なんか陰気くさいくなってきました。俺、ひとふしうなってもいいでしょうか?」
川村は、いうと、すくっと立ち上がった。
「川村二等兵、太閤武勇伝やります」
川村があしかび国に古くから伝わる武勇伝の語りをうなり始めると、酔ってうとうとしていた兵たちが耳を傾けた。
それは、農民あがりの「猿」といわれた男が武士として大将にまでなった出世話だった。
「よっ、いいぞ!」
兵たちが一斉に囃し立てた。
![](https://assets.st-note.com/img/1697663017071-zp66LqjzKc.jpg?width=800)
翌日、陽が傾きはじめたころ、兵たちは列となって、ラボーレ島の港に集まった。
一様に兵は背に、山のような荷を背負っている。
米1か月分、山砲の砲弾1発。さらに、腰には手榴弾。
手榴弾は、名のごとく、手で投げて爆発させる小型の爆弾だ。投げる前に安全ピンを抜く。
通常、ピンは鉄だが、このときのピンは竹であった。そしてなにより、この手榴弾は、敵に投げるのでなく、「敵に囲まれ逃げられなくなったら自ら命を絶つ」ことを暗に意味していた。
あしかび国は、前年、軍人が政治を牛耳るようになり、「生きて敵の捕虜となって辱を受けるな」という戦場兵の心得が徹底的に教えこまれた。
喜平たち兵が乗り込むのは、すばやく動ける大型の「駆逐艦」という戦船で、艦には、10数キロメートル先まで届く大砲や、飛行機を撃ち落とす機関銃が備えられ、魚のように進んで爆発する魚雷が積まれている。
駆逐艦はスピードが速く、敵に気づかれぬように夜間ひっそりと兵や物資を運ぶ。その様は、夜に活動する鼠に似ている。
その駆逐艦4艘が、すでに沖合に停泊していた。
その船から降りてきたのだろうか、浜に降り立つ兵の一団があった。兵はみな無口で、これから、これから船に乗るために待っている喜平たち兵の横を通りすぎていく。包帯を巻いた兵、足を引きずっている兵がいる。
沈黙が支配した。
今宵は、月も雲に隠れ、薄闇だ。これから乗り込む艦の黒い影が沖合に浮かび上がっている。
「乗船だ、いくぞ」
合図とともに、兵たちは上陸用の小さな船に別れて乗り、それぞれの駆逐艦に近づく。
だっ、だっ、だっと、エンジンが唸りを上げ進んでいく。しばらくして闇に現れたのは、超えがたい鉄の壁だった。
鉄の壁からはしごが下ろされている。兵たちは、それを重い荷物といっしょによじ登るのだ。
火砲隊が用いるのは、分解して運ぶ小さな機動性にすぐれた「山砲」であった。
クレーンでつり上げられた山砲が艦の甲板に下ろされると、喜平は、兵に命じて、その車輪に大きなドラム缶をくくりつけ、動かないように固定した。
全員、乗船し終えた、音もなく駆逐艦は出港した。まるで静かに背びらを立て、鮫が獲物を求めて泳ぐように。
「みんな集まってくれ」。
曹長の野木喜平が、軍隊に入ったばかりで実践経験の少ない初年兵たちを前に告げた。
告げる内容は、小さな手帖に細かな字で書いていた。が、薄闇、しかも齢四十を超えた喜平に文字は霞んでよく見えぬ。
「えーっと、これから注意事項をいう」。
一 靴に滑りどめの縄をまくこと
一 艦の便所は、しゃがんではせぬ。便器の上に腰掛ける方式だ。まちがっても便器の上に乗ってはいけない
一 艦が着いて上陸用の船に乗り移るときは、素早くすること。艦は時間がくれば直ちに出発する。上陸できない者があってもそのまま連れて帰る
![](https://assets.st-note.com/img/1697663738159-f7YI6W707e.jpg?width=800)
夜があけた。そして、昼となり、ふたたび夜を迎え、朝を迎えた。
喜平が甲板の上に出てみると、鷗のように、白い半袖半ずぼんの海軍の兵がきびきびと動いていた。艦が進む右側、右舷にぼんやり陸が見えた。
「あれが、蛇神大島(へびがみおおしま)か」
島を覆っている雲のなかから黒い点が現れた。ひとつ、ふたつ、みっつ……。
「敵機だ!」
甲板にいた兵が声を上げた。
黒い点はみるみるうちにひとつの影となった。それは、hyutopos(ヒュトポス)のうちの一国、AMERIGO(アメリゴ)国の爆弾を積んだ大きな「爆撃機」だ。大きく羽根を広げ、獲物を狙う海鷲のようだ。ただ今日は、ぶぶっと飛び回る蜂たち「戦闘機」は、引き連れていないようだ。
「各自、戦闘配置につけ!」
号令とともに、海軍の兵たちは白い服を戦闘用の服に素早く着替え、鉄帽をかぶり、大砲や機関銃など事前に与えられた己の配置につく。動きに少しの無駄もない。
「陸さんは、船室に入っていろ!」
その声を受けて、喜平たちははしごをつたって船室に入った。
駆逐艦は、右に左にくねくねと蛇行を始めた。海鷲の爆撃機から逃げ惑う魚のように。
喜平は救命具を着け、船室の小さな丸窓から海上を見つめる。
艦は傾きながら、右へ左へ大きく方向を変える。すると、それまで艦がいたあたりに大きな水柱が立った。
しゅーっという音とともに、駆逐艦からも砲弾が発射される。
「いいぞ」。
祈ることしかできないもどかしさ。が、海鷲の目は、狙った獲物は逃さなかった。
大きな音とともに衝撃が起きた。
「天地が避ける音」。
そんな音は聞けるはずもないが、ものすごい音とともに、喜平の身体は天井にほうり投げられた。とともに、海水が船室になだれこんでくる。
「甲板に出るんだ!」という声とともに、兵たちがいっせいにはしごに走った。
甲板の出入口に丸い窓があり、はしごが吊り下がっている。そこに向かって我先にひとが一斉に集まったから、たまったものでない。
「落ち着け。艦はすぐに沈まん。まずはひとりひとり、救命具をつけろ、そして確実に動くんだ」。
喜平が声を発した。
その声をきっかけに、兵たちは落ち着きを取り戻し、なんとか甲板に出ることができた。
駆逐艦は、前のほう舳の右側がやられたようだ。舳にむけて傾いている。
「陸さんは、装具を海にすてろ」
海軍の兵から声がかかる。
「やむを得ぬ」
船を少しでも軽くするため、喜平たちは、甲板に置いてある物資をつぎつぎと海に捨て始めた。
「山砲はどうしましょう!」
「それは、最後の最後だ」
「陸さん、もう捨てなくていい。それより、錨を運んでくれ」
喜平たちは命令に従い、舳に置いてあった錨を、船の後ろ、艫に向かって運び始めた。
錨をロープで結び、兵たちで引っ張る。靴に縄を結んであるはずななのにつるつる滑って力が入らない。その間も、敵からの攻撃は続く。
「息を合わせるんだ」
せーのと声を合わせなんとか運ぶことができた。
AMERIGO国の爆撃機は、しばらくしてすべて爆弾を使い果たしたのか、姿を消した。
海鷲は去った。とはいえ、傷ついた鮫は哀れなものだ。これでは獲物を狙えない。
「上陸はとりやめだ。全艇、これからラボーレ島に帰る」。
命令が下った。無傷だった別の駆逐艦にひっぱられ、喜平たちの駆逐艦が進んでいく。
狙われたら最後、広い海は身を隠す場所がない。もちろんこちらからも大砲や機関銃で攻撃はするが、敵も執拗に追いかけてくる。今回は、蜂のように襲う戦闘機がいなかっただけまだ良かった。それでも、沈んだが最期、「板子一枚下は地獄」だ。
陸での戦いとは違う、海の上での戦いの怖さを喜平は思い知った。
この攻撃で、海軍の兵と乗船していた陸軍の兵、ともに大勢が命を落とした。
喜平は、己が助かったことよりも、同じ船で命を落とした兵がいることに、運命の非情を思った。甲板で、毛布をかけられ横たわっているのが己であったかも知れぬのだ。
ことばなく、二夜過ごした。その間の命の糧は、水気のない乾パンであった。ぱさぱさとした固まりを、水といっしょに流しこむ。
舳をつんのらせて駆逐艦は、なんとかラボーレ港についた。
【鳥の唄】
おーい、鳥よ
頭を巡らせて何を見ているのだ
獲物か それとも
愚かなひとの運命か
おれは見たぞ
おまえが腐った獲物から
するどい爪で内蔵をひきだし
まがったくちばしでついばんでいるのを
おーい、鳥よ
千里眼の目でよく見てみろ
おあいにく様おれはまだ死なぬ
あっかんべー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?