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支援者は役に立とうとするより無害であろうとしてほしい 求めるのはヘリウムのような軽さ

セラピストやカウンセラーがクライアントの「お役に立とう」として発した一言が施術を台無しにしたことが立て続けに起きました。

・ものの見方を少しずらすと楽になります
・光が当たっているところも見ましょう
・もっと安いの知ってるよ、そっちにしたら。

3番目は完璧にお節介おばさんですな。
全て私の思考や行動に強いブレーキがかかります。これがクライアント(私)の自己解放を妨げました。プロなんだから自分の仕事に専念して私の領域に余計な口出し手出しをしないでほしい。

支援者は自分が役に立ったという実感がほしいようです。
無害なだけでいいの?
もっと掘り下げるなどして役に立たないといけないのでは?

あなたがそう思っているだけです。人助けに前のめりになるより、自分の領域に留まりクライアントと境界線を引いて守るようにしていただきたい。お節介な支援者はクライアントの癒える・回復するペースを信じられないのかなと。今目の前で何らかの変化を自分の手で起こしたいと思っているような。頂いたセッション料の分だけ変化を起こさないとね、など。私も家庭教師として生徒には賢くなって帰ってほしいと思いながら授業をしているので、それをセッションに置き換えるとわからなくもない。しかし、それもまた施術者もしくは家庭教師の側のエゴかもしれません。

「お役に立つ」一言で何度も打ちのめされたクライアントとして、もっとヘリウムガスのようなセラピストやクライアントいないかなぁ、と望みます。なかなか叶いませんが。

私は普段オンラインで数学を教えていますが、「ヘリウムガスのような先生」を標榜しています。それはこの教訓があるからです。先生の熱い思いはしばしば生徒を疲弊させます。軽さってありがたいんじゃない。

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普段は数学の家庭教師です。お仕事ブログ

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