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リッカルド・ムーティが振るヴェルディ! オペラ「アイーダ」(演奏会形式)_2024年4月20日

4月7日のワーグナー「ニーベルングの指環」ガラ・コンサートに続き、4月20日も上野文化会館で、ヴェルディのオペラ「アイーダ」を演奏会形式で聴きました。
指揮は言わずと知れた世界的な大指揮者、リッカルド・ムーティ!


「アイーダ」はプロダクションによっては製作費に3億円かかるほど豪華なオペラであるため、演奏会形はオペラとはまた”別物”であろうと思っていました。

また、出演者が急きょ変更になり、ラダメス(テノール)役がクロディアン・カチャーニからルチアーノ・ガンチに変更になっていました。
ルチアーノは昨年11月に新国立劇場のオペラ「シモン・ボッカネグラ」で聴いていましたが、急なキャスティングだったので少しだけ懸念があったのも正直なところ。

しかし、この日の「アイーダ」については、すでに色々な方がSNSなどで絶賛されているので、私の懸念がまったくの杞憂であったことはすでに多くの方がご存じであることでしょう。

■感情や情景がありありと伝わる、オーケストラの音

何より、オーケストラの演奏が素晴らしいものでした。
例えば、一幕でアイーダの歌う「勝利者として帰って下さい」でのヴァイオリンのトレモロ(だったと思います)は、アイーダが胸の奥に隠しきれない心のザワつきが、そのまま音になったようでした。
続く全ての曲たちが、登場人物たちの感情が手に取るように伝わってくる演奏だったのです。

パッと聴いて、これまでの「アイーダ」と大きく変わって聞こえるような弾き方ではないのに、明らかに音にうねりがあって、情景がありありと浮かぶ音でした。
第2幕 第2場「バレエ音楽」は、実際にダンサーがいればさぞ踊りづらいであろうと思うほど、音楽自体が歌っていました。決して踊りの伴奏ではなく、明確に音楽が主役でした。

何といっても第2幕第2場「凱旋行進曲」の迫力といったら! 
炎もあがらず象が舞台上を歩いているわけでもないのに、豪華で壮大な行進や、人々の歓喜の表情が見えました。

今回はオペラとは違い合唱団の規模が大きかったので、合唱の厚みも作品の壮大さを強めていたと思います。

■ユリア・マトーチュキナの歌うアムネリスのアリアは圧巻!

主役のアイーダはもちろん、どの歌手も素敵でしたが、特筆すべきはエジプトの姫、アムネリス(メゾ・ソプラノ)役のユリア・マトーチュキナかと思います。

とくに第4幕第1場、裁判が始まらんとする場面で、アムネリスがラダメスを説得するアリア、「すでに祭司たちはつどっています」は名歌唱でした。

『アイーダではなく、一生私を愛すると約束すれば罪が軽くなるよう取り計らってあげるわよ』

忌まわしい敵国の姫であり、自分にとっては奴隷であるにも関わらず恋敵であるアイーダへの嫉妬。そして、プライドの高さと、自分のせいでラダメスが罪人になってしまうことへの焦りーー。

アムネリスの胸中に渦巻く感情の動きが、彼女が自分で認めたくないような感情でさえも、音から生々しく伝わってきました。

■地下牢の闇の中、手を取り合って最期を迎える恋人たちーー。
アイーダとの再会は、果たして現実であったろうか?

さて、余談ですが、「アイーダ」を鑑賞するといつも脳裏をよぎることがあります。

それは、最後、生きたまま墓となる地下牢に閉じ込められたラダメスが、闇の中でアイーダと再会するシーン。

「あなたが死刑になる予感がしたから、ここに潜んでいたの」

と言って、逃亡の途中で行方知れずになっていたはずのアイーダがラダメスの腕の中に戻り、2人で最期を迎える愛のシーン。

私にはこれが、錯乱の果てにラダメスが見た幻覚ではなかったかと思えてしかたがないのです。

今回は演奏会形式であったため、「幻覚ではないのか?」と言うラダメスの台詞も印象に残りましたし、
何より、やはり、最期のシーンの音楽があまりにも美しすぎる。

愛のシーンだから美しい音楽なのだと分かっていながら、絶望の深淵で見た幻ゆえの美しさではえるまいか——と、妄想の気のある小説家としては、思ってしまうのです。

【ききみみ日記】
★今回で投稿148回目になりました★
オペラ・クラシック演奏会の感想をUPしています。是非お越しいただけますとうれしいです。
(2022年10月10日~2023年1月15日まで101回分を毎日投稿していました)



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