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【掌編小説4】着信

 祥子のスマートフォンは、見知らぬ番号からの着信履歴と無言の留守番電話で、ほぼ埋め尽くされていた。

 期間にして二か月弱だったか、あるいはもう少し長かったかもしれない。パンデミック直前の話だ。その番号をネットで検索すると個人所有であるようで、着信拒否に設定しても番号を変えてかかってきた。数日間集中することもあれば、忘れた頃にぽつり、とかかってくることもあった。

 当時は、今のように職場にリモート会議やチャットが当たり前に普及していなかったこともあり、何かにつけてすぐ電話をかけてくるタイプの人がまだ少なからずいた。電話を受ける相手の集中力を途切れさせることで、どれだけのリソースを一方的に奪うのかだとか、相手の都合や状況、資料を準備したり束の間考えたりといった時間がどれだけ無駄であるかなど一切お構いなしに。

 祥子が担当していた仕事のうち一件にはそういうタイプの人たちが多かったので、当時は頻繁にスマホに意識を向けていた。

 突然、ポケットの中で振動し着信を告げる。

 祥子がスマホを取り出し、画面をタップするカンマ数秒前に切れる。あるいは、ふと目を離した一瞬の間に新しい着信履歴だけが残っている。この繰り返しだった。

 もしかすると、どこかから見られているのではないかーー? 

 絶妙なタイミングが不気味なのだ。

 ある初夏の午前中。祥子は某撮影スタジオに向かっており、地下鉄半蔵門線の青山一丁目駅で電車を降りた。改札を出るとその瞬間にスマホが振動した。祥子はたまたま道案内アプリを開いていたので、すぐ着信画面が目に入った。表示されているのは例の番号だ。振動し続けるスマホを握りしめ不穏な緊張から一瞬、足を止めると同時に誰かが駆け寄って来る。

 反射的に顔を上げると、それは二〇歳前後と思われる女の子だった。黒髪を背後で束ねているので卵型のすっぴんがよく見えた。彼女はネイビーの薄手のカーディガンを着ていて、やさしそうな顔立ちだったが、今にも泣き出しそうなほど真剣な眼差しで真っすぐ祥子を見つめている。

 薄い唇も何かを決意したように結ばれている。駆け寄って来る彼女の手にもスマホが握られているのを見た瞬間、祥子は恐怖で全身がこわばった。

「あのう、すみません」

 こう彼女に迫られて、祥子は硬直したままうなずくよりほかになかった。

 彼女はわずかに躊躇ったが、握っていたスマホを祥子に向けた。それはLINEのチャット画面だった。

「え?」

 混乱している祥子から視線を外し、彼女はあるメッセージを指した。

「これ、なんと読みますか?」

 それは誰かから届いたメッセージで、受信者である彼女が指すあたりには「余計に」と書いてある。

「余計に、って書いてあります」
「よけいに。よけいには、どういう意味の言葉ですか」
手の中で振動は止んでいた。祥子の心臓はまだ強く打っていたが、だいぶ落ち着きを取り戻しつつあった。
「このLINEを、読んでもいいですか」
「はい、お願いします」

 メッセージの発信者は、祥子の目の前にいる女の子から何か謝罪を受けたようだ。視界の端に「あやちゃん、ごめんなさい」と締めくくられた送信文が見える。あやちゃんからは「明日パリカラ来る?」と書かれている。こちらからは「いえ、今週はないです」と返信済みだ。

「パリカラ」

 思わず祥子が呟くと、女の子はこちらを見つめながら言った。

「カラオケ屋さん。アルバイトの先です」
続く返信の冒頭に「次のシフトで会う前に」とあることから察するに、発信者であるあやちゃんは、受信者とアルバイト先が一緒の女の子のようだった。

 メッセージにはこう書いてあった。

「次のシフトで会う前に、早く伝えたくて。私はまったく気にしてないよ。だからユンちゃんも全然気にしないで! でも、ユンちゃんはやさしいから、きっとあれからずっと心配だったよね。私がもっと早く気づいてあげるべきだった。むしろ、余計に不安にさせちゃって本当にごめんね。大好きだよ」

 祥子は英語ができないので、思わず身振り手振りで伝えていた。まず「これぐらい」と、両手で胸の前に小さな輪をつくり、次に両手を広げて大きな円を描いた。

「ほんとうは、これぐらい。でも、今、このぐらい。あなたを不安にさせてしまった」。そして最後に両手を合わせた。
「ごめんなさい」

 祥子を食い入るように見ていた女の子は、その両目をぎゅっとつぶった。そして携帯を両手で握りしめたまま、「ありがとうございました」と震える声で言った。

「いえいえ、こちらこそです」

 思わずそう返すと祥子はぎこちなく会釈をして、出口に向かって小走りで移動した。

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是非ご覧ください。
本になる前のこの文章とあなたとの間で、素敵な体験を共有できましたらうれしいです。


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