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”やっていい”ことが私たちにはたくさんある。 『みんなの「わがまま」入門』 富永京子

政治や社会問題に関心はあっても、どこか遠いものに感じてしまってどうアプローチをすればいいかわからない人は多いと思います。私もそう。

世の中への不平不満、批評や主張を「わがまま」というツールに置き換えて、言いづらいことを言いやすく、政治や社会を身近なものとして引き寄せるための助けとなってくれる本です。

わがままを言えない理由・言う意味→言う(受け止める)準備→実際に言ってみる→わがままをおせっかいへ というのが一冊を通した流れで、社会運動が主軸にありつつも「わがまま」が一貫したテーマになってます。

社会問題というと、私はその時々で(あくまで私の内で)関心の高い問題について触れた本を手に取るようにはしています。最近だと、紅白でMISIAさんがレインボーフラッグを掲げていたことがあまりに唐突に感じて「?」となり、LGBTについての本を読み返したり。

しかし関心事は心境や環境の変化でいくらでも移ろうから、ずっと世の動向を見張り続けることは難しい。デモなどの社会運動に参加するほどアクティブでもなければ、身近な人の前で敢えて話題にすることもない。だって当事者じゃない事柄がほとんどで、語り合える場があったとしても何も語る資格なんてない…。「関連書籍を読んで価値観を更新しておく」ことが現時点の私なりの政治と社会へのアプローチだけど、そこ止まりでいいのか?なんてモヤモヤがちょっとあった。

日常にある「わがまま」についても、仕事でも身内が相手でも、やっぱり不平不満を口にすることは抵抗がある。嫌われる勇気なんて言うけど、そんなの持ってなきゃ世の中渡れないんだとしたらしんどすぎるわい!と泣き言言っちゃうほう…

そんな私にとってこの本は、モヤモヤの正体を暴いて、ひとつひとつに名前をつけて是としてくれた本だった。

なかでも、心に大きく風を吹かせてくれたのは「やっていい」という言葉。「(ちゃんと)(最後まで)やるべきだ・やらなきゃいけない」のような強くて縛る力のある言葉でも、「できる・やる」という確かな意志が伴う言葉でもなくて、「やっていい」

人生で同じ問題を追いかけられる時期は限られています。学校にいれば校則や教育の問題が気になるだろうし、就職すれば賃金や税金の問題に関心を持つかもしれない。子どもができたら、子育て環境をよくしたいと思うかもしれない。そう言う意味では、社会運動って興味関心に併せて変わって全然問題ないし、言いたくなる「わがまま」の種類も変わってくる。
公の場で「わがまま」を言うことは、対立も生むしすごく嫌がる人もいるかもしれない。でも、それは「やらなきゃいけない」とは言わないまでも「やっていい」ことなんです。

関心事は人生のステージが変われば当然変わるのだから、あいまいで、変動していい。揺らいでも社会問題に関心を持ち続けることは”やっていい”こと。今も、未来でも、関心事の多くは想像が及ばない「よその世界」であることがほとんどかもしれない。でもよそ者だからこそ、当事者にはない資源(お金・体力・時間・視点)がある。それを元手に参加したい活動(署名とか募金とか復興支援とか)があれば加わればいい。

不平・不満を伝えることは、(自分事であれ他人事であれ)”やっていい”。その悩みに目を向けて議論するきっかけになるかもしれない。たとえ解決に至らないまでも、みんなが直面してる困難を明るみに出すことができる。それだけで意味がある。

肩肘張らなくて大丈夫だよ、という励ましと、フラットな視点をもらえた。

自分のペースで、やっていいことやっていくぞ。

遠くにある政治や社会問題を引き寄せる、というポイントが共通していたので併せ読みました。社会問題は気づいていないだけで身近にあって、「自分だけではない、みんなもそう」と知れたから少しホッとできたところもあるかも。