場面緘黙症と社会不安障害(SAD)の話

今思えば、俺が場面緘黙症になったのは幼稚園の出来事が原因だったように思う。

幼稚園の頃。俺はいじめられていた。
何をされていたかは覚えてないが、とにかくいじめられていたという記憶だけが残っている。
あの頃から、俺は回りの人は助けてくれないんだなって悟っていたし他人に脅えるようになっていたのかもしれない。
ただ、友達はいたし、よく遊んでいたとは思う。

小学校に上がって間もない頃。
アサガオの種を植える授業があった。
俺はこの種をどうするかわからず、植えないまま植木鉢を先生に出した。

数日後。クラス全員の芽がでる中、俺のアサガオだけ芽がでなかった。
当然だ。植えてないんだから。
「なんで芽がでないんだろうね?」と聞かれたが、特に答えられずにいたと思う。
その後植えなおして、みんなより遅くアサガオの芽がでた。

でも、この頃はまだ、友達とも学校では会話できていた。

変化があったのは小学3年生。
この頃にクラス替えがあった。
仲の良いともだちは他のクラスになった。

この頃から、孤立するようになり、話をすることも少なくなっていったように思う。
小学生4、5年の頃あだ名がついた。

「無口の○○くん」

当時、無口という言葉の意味がわからなかったので特に気にはしていなかったように思う。

友達はまだいたし、この頃は誰かと遊ぶこともまだあったとは思う。
学校での会話は授業中だけできた。
クラスメイトとの受け答えは首を縦に振るか横に振るかだけになった。
分からないことは首をかしげる。そんな感じ。

それでも優しくしてくれる人はいた。
図工の授業中、隣になった女の子が足りない粘土を分けてくれたり、
前の席の男の子がふと、馬の人形をくれたりした。
俺は、その優しさが嬉しかったが「ありがとう」とは言えなかった。

人を傷つけたこともあったとは思う。
でも「ごめん」の一言も言えなかった。

勇気をだして喋ったことが2回ある。

一回目はクラスの男の子と二人きりで部活見学していた時、何気ないことを話したような気がする。
見学から戻ってきた時、
「○○くん、喋ったよ」と言った。
「えぇ~嘘だぁ」とか「○○くんが喋るわけないじゃん」みたいな反応があったことを覚えてる。

あぁ……。俺が喋ることってそんなに変なことなんだな……。
喋ることを許されていないんだな…。と思った。

こんな空気の中で、喋ることなんて到底できなくなった。
空気を壊すし、引かれるから。

喋ることはもう諦めた。

学校の帰り、俺はよく学校を休む女の子にプリントを渡すことを先生から頼まれていた。
その女の子と帰り道にあった。

彼女から何か話しかけられた気がする。
それで何か答えたりした。会話の内容は覚えてないが、とても笑っていたことを覚えてる。
それからも、しばしば学校の帰りとかに喋ることもあったと思う。

学校では彼女が何かを察してか会話することはなかった。

そんな日々がある程度続いたが、彼女は親の都合か何かで転校した。
特に別れの言葉もなかったように思える。

それがクラスの人と普通に話をした最後の記憶だと思う。

中学生になっても相変わらず、誰とも会話することはなかった。

中学2年生になった頃のこと。

先輩に絡まれた。
うわぁ…と思った。
そんな時、
「○○くん、先生が読んでたよ」
と言って同学年の男の子が助けてくれた。
「あ、うそうそ」
「?」
あ、助けてくれたんだなと後で気づいた。
その男の子は頭がよくて評判だった。

しばらく経ったらある日。
学校から自殺した人がでたらしいことを知った。
翌朝の新聞を見る。

そこに書かれていた名前は、その助けてくれた男の子だった。

衝撃を受けた。
今までに味わったことのない喪失感のようなものが頭を支配した。
しばらく、引きずっていた気がする。
助けてくれたお礼とかもう言えないんだなって後悔した。

その後は普通に高校受験に失敗し、もう、どうでもよくなっていた。
自分は選ばれない人間なんだなと思った。
もう消えてしまいたいと思っていた。

滑り止めの高校に行った。
受験に失敗した後悔と失望感を感じたまま。ただ虚しく。

絶望の高校編に続く

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