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37.幸せは人それぞれ、自分にとっての幸せを改めて考えてみる


自分にとっての幸せとは何だろうか

前回、こちらの記事を書いていて、お金だけでは幸せにはなれないと書きました

でも、何が幸せをたらしめるのだろうか、自分にとっての幸せとは何だろうかと、ふと疑問を感じました

そもそも幸せとは何か、自分はわかっているだろうか?

なんとなく、世間で幸せの象徴にされている状態になる事が幸せだと思っていないだろうか?

世間の幸せを手に入れ、自分は幸せと思えるだろうか?


改めて考えると、
幸せとは、本当は追い求めるものではなくて、幸せだと思って過ごせる状態なのではないかと思います

では、どういう状態が自分にとっての幸せなのか、自分はわかっているだろうか?

自分にとっての幸せが明確になっていないのであれば、
そこに辿り着く方法もわからない為、手に入れることが難しく、
幸せになる事は不可能だろうと、ふと当たり前のことを思い出しました

先人の知恵を借りて自分の幸せを考えてみる

自分の考える幸せ以外に少し先人の知恵を借りたいと思います

マズローの欲求段階説(Maslow’s Hierarchy of Needs)

この手の話で有名なマズローの欲求段階説(Maslow’s Hierarchy of Needs)があります
より低級の欲求が満たされると、より高級の欲求を求めるという話ですが、

自分の感覚的に、最下層の第1段階 生理的欲求(physiological needs)に含まれる
食欲、排泄欲、睡眠の欲求など「生きること(生命の活動」と直結した欲求は、
常に求めており、
下級が満たされると、上級の欲求を求めるという、段階的ではない様に感じます

環境や体調の変化で絶えず下級と高級の欲求が絶えず行ったり来たりしていると感じます

マズローの欲求段階説よりも、アメリカの心理学者かつ教育者セリグマンが提唱したPERMAモデルの方が個人的にはしっくりくる様な気がします

PERMAモデル

PERMAモデルとは、幸福の中核要素を表す頭文字を取ったもので、
Positive Emotion(ポジティブな感情)、Engagement(関与)、Relationships(人間関係)、Meaning(意味)、Accomplishments(達成)でという5つの核で構成されるという考え方です

でも、PERMAモデルで提唱されている構成要素も、人によって割合が少し違うのではないかと思いました

一般的に、帰属意識やコミュニティ意識に幸せ感じる人が多いのではないかと思いますが、
自分は息苦しく感じてしまいます

わからない事を1人で探求したり、
自分の感じた事を素直に表現したり、
閃きのまま創作活動をしている時が、
何よりも幸せを感じます

人の身体や感情の仕組みに興味はありますが、
1人1人とつながる事にあまり興味を持てないのです

自己表現と創作活動、探求活動をしている時、最も心の充足を感じる事が出来ます

いつも同じ事をする、いつも仕事、いつも同じ仕事メンバー、いつものやり方で、
目新しさがない事、改革しがいのない事に、耐えられないのです

どちらかと言うと、日常生活よりも、仕事に対してその傾向が強く、
自分の改革心、探究心で仕事をする事が渇望していることを強く感じます

日常生活は、至って穏やかで、
家で読書をしたり、楽器を弾いたり、ストレッチや散歩をしたり、
仕事へ求めているものと正反対な1人または気心の知れた仲間と、穏やかに過ごす事を好む傾向があると思います

だからこそ、自分は、少人数を好む内向的なのか、刺激を求める外交的なのか、
自分の事が自分でよくわからないと長らく感じていたのではないかと推測します

仕事に対して、目新しさや探究、改革を求めつつも、
成長や進歩の機会も求めており、
貪欲なほど、自分は好奇心を刺激する多くの事を求めているのだと思います

それが自分のキャリアを設計する上で、
皆と同じ決められた安定した道を歩むという事と自分の欲求が噛み合っておらず、
自分自身を苦しめて来たのではないかと思います

改めて、幸せとは何かを考えてみて、
幸せになりたいと追い求めている限り、いつまで経っても幸せになれないというパラドックスに陥る事に気付かされました

自分の中で出た答え

幸せとは

幸せとは、非常に主観的なもの
そして、幸せであると思える状態であること

自分にとっての幸せを定義していないと、求め続けている限り幸せには近づけない

日本では、幸せの象徴がパッケージ化の様な状態になっていると個人的に感じる
安定した仕事、家庭を持つ、家を持つ、経済的な安定を得る等、
具体的な状態が定義されていて、多くの人がそれを求める状態に戦後、長らくあったように思う

ただ、上記で述べた様に、幸せとは主観的なものである為、
社会で定まっていると感じる幸せに幸せを感じなくても、何もおかしい事ではないし、恥ずべきことでもない

自分にとっての幸せ

そして、自分にとって幸せ、満足感を感じられる時は、勝手気ままに好きな事をしている時で、具体的には、
・不思議に感じたことを探求(考える/調べる)している時
・閃きのまま自由に創作活動をしている時
・答えのない問題を考えている時

以上

自分の幸せを感じる活動の一環として、こうしてnoteで発信をしています

多くの人に読んでもらいたいというよりも、
色々思考を張り巡すのが楽しく、
そして、自分の考えが数人でも響く人がいるというのがなんだか楽しくて、
細々と発信を続けています

なぜか、記事を書いている間、とても幸せな気持ちになるんですよね
そして、自分の頭でぐるぐる考えてしまう事の整理が出来て、
頭の整理もできるんですよね

今後も細々と続けていきたいなと思います

皆さまの貴重な時間を頂き、最後まで精読頂き、ありがとうございました

もしよければ、他の人の幸せとは何かを聞いてみたいので、
自分にとっての幸せをコメントで共有していただけると嬉しいです

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