変えるべきものは

この前友達がYouTubeでテレビ番組「初耳学」の高学歴ニートの回を見ていたので私も横で見ていた。
友達が観ていたのは橋下徹の回だった。
私は部分的にしか見てないのだけれど、要約すると「完全燃焼できる人生を送る」という話だった。
橋下はそのために目の前のことに全力で向かっていったと語っていた。
彼の場合は「テレビでコメンテーターをしていても世の中が変わらないから政治家として大阪を変える」ということにエネルギーが向かっていた。
だから彼は「今の日本に不満があるなら自分の力で変えたらいい」と若者たちに説いていた。

しかし、インターネットや書籍などを見ていると最近の世論では「他人を変えるのは難しいが自分を変える事はできる」というものが多い。
数字上の話で言えば2人以上を変えるよりたった1人変える方が労力は少ないし、コミットできる割合を考えても妥当な考えだと思う。
…果たして変えるべきは、自分か、他者か。

とはいえ、橋下自身の考えと行動が変わったから世の中を変えられた、と捉えるべきなのかもしれない。
タマゴが先かニワトリが先か…。


話は少し脱線するが、他の気になった点を挙げると
・“高学歴ニート”側にいた女性が1人だけだった
・「35歳までは自由にやれる」という橋下の考えに対して出産育児のライフバランスに対する視点がなかった
という“女性性”を無視していたことだ。
また、これまでのゲストも皆男性である。
私はフェミニストではない(つもりだ)が、男性の視点で、男性のホモソーシャルが前提とされて番組が作られていると見受けられる。
とはいえニートの男性と女性では、圧倒的に男性への風当たりが強いというのも想像できる。だからこういった番組が成立するのであろう。

バラエティ番組がプロレスであるという事や、視聴のターゲット層を念頭においても、性差やライフワークバランスについてなど考える余地はまだまだありそうだ。

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