『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』感想文
『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』
豊島ミホ
高校時代、スクールカースト最底辺に属し保健室登校していた豊島さんが、小説家になり、数年で小説家を辞め、ニートを経て、現在ライターとして活動するまでを綴った自伝です。
わたしは中学・高校時代、豊島さんの小説が好きでを全部読み、エッセイやブログも読んできました。
今でも不定期にやっているPodcastを聴いたりもしています。
大学に入ってからは10代の頃ほど漫画や本を読まなくなってしまったのですが、
先日豊島さんがツイッターをやめてブログに専念します、というつぶやきをしていて、ふと「だいきらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル」を読んでいなかったな、と思い出し、読むことにしました。
出版当時(2015年5月)は中高生向けの本で、今更読んでも仕方ないかな…と思ったのと、ネットのレビューか何かで、”ファンだったから正直知りたくなかったことが赤裸々に書かれていた”というのを読んで手に取らなかったのだと思います。
ですが、今のタイミングで読んで良かったなと思いました。
10代で豊島さんの文章に影響を受けた人間としては、たしかにレビューで読んだようにそれ言っちゃうんですね…!というようなことまで書いてあったのですが、でも多分そういう部分まで込みで当時から豊島さんの小説が好きだったんだと思います。
漫画家になりたくて大学に進学し上京した豊島さんは、漫画と小説をそれぞれ出版社に投稿し、小説で結果を出し大学生活では小説を書いていました。
やがて就活の時期になり、”就職活動を頑張り、大企業に入れば人が認めてくれる”、つまり相手ルールに自分を合わせて就職活動をしていた豊島さんがあることきっかけにこれは違う、と気づきます。
それを経て小説家になると決めたにも関わらず、ここでもまた”売れる・求められる文体やテーマ”で執筆し、”編集さんに迷惑をかけない・コンスタントに仕事をする作家”であろうとし続けます。
これ、先日読んだ永田カビさんの『さびしすぎてレズ風俗に行ったレポ』というエッセイ漫画でも
”親の要求に応えていたんだと思っていたけど「親のごきげんをとりたい私」の要求で動いていたんじゃ…”
”「親のごきげんをとりたい私」の要求で的外れな努力をさせられていたからだ…”
だから辛かった、というのと全く同じだと思いました。
自分が思い込んでいる、「”ごきげんを取りたい相手”が望むだろうなという想像で作った自分の理想像」を「自分が自分に強制している」状況はなにひとついいことがありません。どこかで破綻します。
わたしもこれはすごく身に覚えがあるし現在も苦しんでいることなので、わかりやすく文章や漫画で提示してもらえ、よくわからなかったモヤモヤ に輪郭線が与えられたような気持ちになりました。
疲れ果てた豊島さんは二十五歳の春に見た夢をきっかけに、新規の小説の依頼を断ることを決めました。
そして残っていた執筆の仕事が終わり小説家をやめ、漫画家をめざすために帰省し投稿を繰り返します。やがて「元作家」としてエッセイ漫画と文章の依頼が。そこから仕事が転がりライターとして今に至ります。
だいぶざっくりまとめてしまいましたが、経緯そのものよりもそれぞれの段階でどう思い、考えたのかについて詳しく読んでいただきたいです。
中・高生向けに書かれた本ではありますが、大人が読んでも、というかむしろ漠然としたさびしさ・生きづらさを感じている人には響くと思います。
終盤、新しい後悔として、そばにいてくれた友人を大事にできていなかったことに気付き、それを挙げています。
友人に対して、こんなわたしといてくれるなんて無理をさせているに違いない、と思っていたが、振り変えれば属していたグループが一番ナチュラルに「気があうところ」だったんだ、と。
そして最後の一文に豊島さんの望みが書かれていていました。
わたしもそこに行きたいです。
印象に残った言葉
”人を磨くのは人だけ”
”自分がやりたいことを素直に、もう少し根気強くやること”
”絶対に「好きなことをして好きな人と付き合える場所」目指して欲しい”