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PERCHの聖月曜日 37日目

ソクラテスのいわゆる「徳は知(あるいは知識)である」という命題–––それは主知主義的な倫理観であると批評されたり、または知行合一説であるなどと簡単に解釈されているのであるが–––それはこの箇所によって正しく理解されることになるであろう。すなわちソクラテスは、たとえば正義について、それが何であるかを単に理論的に知れば、それでもって人は直ちに正しい人になれるのだ、というようなことを主張しているのではない。理論的な認識が、それだけで充分に道徳的な実践の根拠となりうるかどうかは、大いに疑問だからである。ソクラテスの言う学ぶとか、知るとかいうのは、ちょうど大工が大工のことを学べば、その知識は身について、それによって家を建てることができるように、道徳的な知の場合も、それは身につけられた技能の如きものを意味していたのである。つまり、正義について知るということは、つねに正しい行為を生み、正しい人をつくることができるということでなければならない。したがってまた、そのような技能にも比せられるべき「知」は、ちょうどまさに「徳」と呼ばれるところのものなのである。なぜなら、ギリシア人のいう徳とは、このような有能性にほかならなかったからである。

ーーープラトン『ゴルギアス』加来彰俊訳,岩波書店,1967年,p256

Terracotta mug
ca. 460 BCE

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