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PERCHの聖月曜日 27日目

一般に中世ラテン語では石材を切断加工する勤労者を呼ぶ場合、たんに板石を作る職人とリブヴォールトやバラ窓やポーチの彫刻類を刻む職人とを区別せず、石切工と彫刻家とを完全に同一視している。板石製作のように明らかに機械的な作業に従事する者と、教会堂の壮大な彫像を「心をこめて」刻む者との間にはきわめて大きな差があるように思われるので、中世の社会が彫刻家と石切工とを混同していることに対して、われわれはかなり奇異な感じを受ける。しかしながら中世の大多数の人びとは、ひとるの「作品」と「傑出した作品」との間に、できばえの程度という差は認めるが、本質的な差は認めなかったのである。職人と(現在の意味での)芸術家との間には越えがたい断層がある、という考えはルネッサンスの時に生まれた。当時の知識人は、自分たちに全く無縁なひとつの手工業活動をとりあげてその作品に外観から判断を加え、上下の階級に分類することにより、その製作者について職人と芸術家との区別を作り出したのである。
彫刻家や画家の個人的功績を賞めあげたのは、ルネッサンスの著作者たちが嚆矢で、ここから彫刻家・画家に対する度を過ぎた崇拝がおこり、現在も続いている。ルネッサンスは芸術家という概念を製造した。しかし中世の知識人は、その著作の中で美学上の問題にはほとんど全く触れておらず、われわれが「アート」と呼んでいるものに言及する時も、神学ないし哲学上の立場からである。

ーーージャン・ジェンペル『カテドラルを建てた人びと』飯田喜四郎訳,鹿島出版会,1969年,p122-124 Male Anthropomorph Indonesia (Sulawesi) ca. 500 BCE–100 CE

Male Anthropomorph
Indonesia (Sulawesi)
ca. 500 BCE–100 CE

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