レジンへの未練(レジンアレルギーについて)
こんばんは。Holymelです。
今日は私と切っても切り離せない、レジンのお話をしようかと思います。
ちなみに最初に言っておきます。長いです。
話の要点をまとめるのが苦手なので読みにくいかも。
(そもそもリハビリで始めたnoteなのです)
私はHolymelとして活動を開始したのが2015年頃ですが実は2012〜3年頃にTokimekiという名義でレジン作家としてハンドメイドの販売を開始しておりました。
当時私はまだ10代。
レジンが今ほどメジャーでは無かった頃で
今では当たり前に置いている手芸用品店でも販売されておらず、東急ハンズの一角に3000円のUVライトと1500円くらいのレジン液、着色用のピカエースなどが売っていた頃でした。
お金は今よりかかるけど情報も素材もネットの海で探しながら試行錯誤して作るのが楽しかったな…。
海外製のチョコ用モールドが人と被りにくくてネット通販で片っ端から集めたり、琉球ガラスを球体モールドの中に入れたり(めちゃくちゃ綺麗!)、表面を研磨して曇りガラスのようにしたり
素材屋さんをネットで探すのも大好きで日々お気に入りの素材屋さんを覗いていました。
今思えばあの頃既にVintageパーツに出逢ってるんですが、当時は知識もないので【少し高いけど綺麗なパーツ】くらいの認識で特に気にせずインタリオをレジンにぶち込んだりしてました(怖)
あのインタリオ今なら喉から手が出るほど欲しい( ; ; )
そんなこんなでレジンでアクセサリーを作りつつ、当時在学中の専門学校のファッションショーで物販を出したり、minneで販売したり、行きつけの美容室で委託させてもらったりしてました。
なんせ売れても売れなくても材料ばっか買うので多分一度も黒字になった事はありませんが、それでもずっと楽しくて作ってました。
レジンを始めて1年後くらいからレジンブームの様な事が起きはじめ、手芸店でレジン用品の取り扱いが始まりました。
最初は新しいフィルムやモールドが増えて嬉しかったのですが、段々と界隈の人口も増えていきデザインが飽和していく気がして焦りと悲しさで自分の作る物について考えるようになったのがこの頃からでした。
私も初期は宇宙塗りをかなり練習し、自己流ですが結構綺麗に作れる事が多く得意だったんです。
しかし日を追うごとに何をしても誰かと被る気がして段々と嫌になり王道レジン作品を作らなくなりました。
結論、レジンを使ってたら誰かと似た様な物を作ってしまうし誰とも被らないなんて相当極めない限り無理ではないのか、もういっその事レジンから離れた方が良いのではないのか、そう考える様になります。
百均がレジン用品を販売し始めた頃です。
この頃から脱レジンを考えてビーズ刺繍を少しずつ始める様になります。
それでも、ここまでレジンを使っていろんな物を作ってきたので直ぐにレジンを辞めることは出来ませんでした。
ここらへんから自分の体に異変が出始める。
レジンを初めて3年目、専門学校を卒業し飲食店で働きながらハンドメイドを続けデザフェスやクリマに出ていた時期。
ふと気付いたら指の皮が剥ける事が多くなった。
当時レジンをしながら刺繍も本格的に触り始めており、最初は針を刺す力に指が負けて皮が剥けたのだと思って友人にも笑い話として話していた。
いつのまにか気付いたら指の皮も治っているし、硬くなって針に負けなくなった。
そしてまた気付いたら指の皮が剥けていた。
段々と治りが遅くなってくる。飲食店での水仕事が痛くて絆創膏を何度も貼り直すようになった。
当時の私の指はこんな感じだった
※微センシティブ注意
この状態で半年近く原因が分からず
指が痛い→ハンドメイド出来ない→指が治った→ハンドメイド再開→また痛くなる→治るまで待つ
という無限ループを繰り返していた。
言わずもがな、私はレジンを素手で触っていた
(良い子はマジで止めようね、私の手になるよ)
これがレジンアレルギーだと気付いたのは
ある日たまたまTwitterでレジンアレルギーの呟きを見て「もしや…」と思ったのがきっかけだった。
知識としてレジンにもアレルギーがある事は知ってはいたが、知った頃にはもう素手で触っていたし数年間何事も起きていなかったので自分には関係無いと思い込んでいた。
思い込みとは怖いものだ。
アレルギーは蓄積によって発症するなんて、毎年花粉症の特集を見ていたら(花粉症のない沖縄に住んでいた)私でさえも知っている事なのに。
こうなったら最後、潔くレジンを止める……
なんて出来なかった!!!!
出来ないよ‼︎ずっとレジンを使って物作りをしてたんだもの‼︎‼︎あんなに「レジン界は飽和してる〜人と被るからもう辞めようかな〜ジャンル移行しようかな〜」って言ってたくせに人間は出来ないと言われたらやりたくなる生き物である(つくづく感じた)
ポリ手袋をしても指先の感覚が掴めず結局外してしまう
(ゴム手袋はこの頃近所で見かけず思いつかなかった)
結局指の痛みが消えた頃にレジンで製作をする。
痛くなってきたら刺繍にシフトチェンジ。
だましだまし、もう辞めようと思いながら作った。
レジンを辞めるきっかけになったのは地元へのUターンだった。チャームや資材は一部断捨離したが、結局UVライトも顔料もホロもレジン関係は捨てられず実家へ持って帰った。
持って帰ったが、荷解きして再び仕舞った。
これでいいんだ。もうレジンはここで終わろう。
そう決心してダンボールに戻して蓋をした。
それでも未練タラタラなので(←)
その後何度か取り出してレジン液も買ったが、一度離れると新しい技法や資材に追いつけなくなり結局使うだけの決心がつかず今に至る。
あの指の激痛と、レジンが使えなくなった事での今後の絶望、悔しさ、後悔、。
もっと色んなもの作りたかったな。
あの頃良くしてもらってた相互フォロワーさんで現在も活動してる方は、何人か界隈ではフォロワー数千人規模の有名作家さんになっていた。レジンが出来ず作品を作れなくなった私はいつしかフォローを外された。
今でも未練はまだある。
ゴム手袋をしたら出来るかもしれない、でも酷いアレルギーの方は換気しても健康被害が出るらしい。怖い。
今の相互フォロワーさんがレジンを使っていると羨ましさがどうしてもまだ消えない。
素敵なアクセサリーを作っている方でもレジンで補強されている事も多々あって欲しくても買えない場合も多い。悲しい。
でも何より、怖いという恐怖心が消えないのだ。
レジンが使えなくなりハンドメイド人生が一気に絶たれたあの絶望、指紋も消えて爛れひび割れ、針も持てない激痛の指。
あの頃の恐怖心すらも糧にして、あの頃の自分にレジンを辞めて良かったと言えるように、これからも立ち止まらず進んで行こうと思う。
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