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お水の花道──歌舞伎町編 第4回

母は褒めるのが下手だった。たぶん彼女自身、褒めるのが上手ではない両親に育てられたからだろう。

子ども3人のうち上のふたりが大学に入り、自分にも時間の余裕が出てきたころ、母は読書を再開した。ある日、『父と私 恋愛のようなもの』という森茉莉のエッセイを読み終わり、私に向かってこう言った。

「森鴎外は森茉莉を16歳になるまで膝の上に乗せて、茉莉は可愛いね、茉莉は素晴らしいねって言って育てたんだって。私もそんなふうにあんたたちを育ててたら、もっと違っていたのかな」

……お母さん、私たちも森茉莉ほどじゃあないけど、おかげさまでだいぶいい感じの子に仕上がっていますよ!!!と私は笑って言い返した。

実際、森鴎外は膝の上の娘にこのように言っていたようだ。「お茉莉は上等、目も上等、眉も上等、鼻も上等、ほっぺたも上等、性質も素直でおとなしい」。

こんなふうに母とか父の膝で言われつづけていたら、本当に私はいまとは違う人間になっていたのだろうか?

そんな”褒められない母”ではあったが、一度だけストレートに褒められた記憶がある。成人式だ。

私はレンタルで十分だと言っていたのだが、祖母が成人式用の着物を買ってくれることになり、母と祖母と3人で振袖展示会に出かけた。呉服店の店員が勧める赤とかピンクの振袖は、まったく好みではなかった。私は着物の山から「これがいい」と言って一枚の振袖を掘り出した。色は銀だった。母は「あんたって本当に渋いね」と苦笑いし、祖母は簡単に着付けされた私の姿を見て「かおちゃんが欲しいのを買っていいよ」とにこにこ笑ってくれた。なんと60万円もする品であったが、祖母はずっと貯めていたお金で支払ってくれた。この振袖は、私のあとは妹が、そして従姉妹が成人式に着た。

成人式当日、私は朝6時に予約していた美容室に行き、これまた予約をしていた写真館で撮影をしてから、帰宅した。母は玄関に佇む私の姿を見て、「綺麗ねえ……」と言い、目に涙を浮かべた(鬼の目にも涙、と私は思った)。

その涙の理由は、やはり「二十歳まで無事に育てた」という感慨だったのだろうと思う。予定では結婚するときに「お母さん、いままで育ててくれてありがとう」と三つ指をつくはずだったのだが、残念ながら母の生前中に結婚できなかったので、この二十歳の祝いの日に「ありがとう」くらい言っておけばよかったと思って後悔している。

「田無市成人式」に列席したあと、私は新宿へ向かった。銀座アスター新宿賓館で、二番館の新年会が行われていたからだ。

会場は結婚式のような円テーブルがいくつも並んでいた。二番館や、同ビル4階にあった一番館という割烹、ほかにも経営する店があったようで、役員から従業員まで100名ほどが参加する大掛かりなものだった。

会の終わりかけ、司会をしていた社員が「弊社にも今年成人を迎えたばかりの若者がいます」とかなんとか言い、全員で3人ほどだったかが前方のステージに呼ばれて、社長からお祝いの品をいただいた。ローラ・アシュレイのハンカチ2枚セットだった。これまで1枚1,000円くらいの縞とか水玉とかのハンカチしかもっていなかった自分にとっては、品のある女性らしいシックなハンカチが、まさに大人になった証のように感じられた。

その後、母と、母のお客さんのコクボさんと合流し、17時に京王プラザホテルのフレンチレストランに行った。

コクボさんは母のお客さんのなかでも1、2位を争う常連客で、母は「コクボちゃん」と呼んで、しょっちゅうご飯を食べに連れて行ってもらっていた。背は低いけれど、とてもハンサムで、ゴルフが好きできれいに日に焼けていて、スーツは着ず、いつもセンスのよい奥さんに選んでもらっているというジャケット姿だった。

母によれば、コクボさんの奥さんもときどき二番館に来ており、さばさばして色目をまったく使わない母のことを気に入ったのか、「私がこの人より先に死んだら、ホリちゃんが再婚してあげてよね」と言っていたそうだ。

フレンチレストランでのことはよく覚えていないが、私はその日初めてブルーチーズを口にし、まずくて吐きたかったが、まさかコクボさんの前で吐くわけにもいかず、慌てて水を飲んで流し込んだ記憶がある(いまでは大好きです)。

なぜかコクボさんの前では粗相が多く、その後も日本食のお店に行ったときに茶碗蒸しの蓋をあけてすぐにスプーンですくって口に入れてしまった。喉の奥でくずれた茶碗蒸しはひどく熱く、目を白黒させながらこれも水をがぶ飲みして流し込んだのだが、翌日喉の奥がひどく痛み、病院で診てもらったら、喉から食道が赤くただれていた。医者に「何を食べたらこうなるんですか」と尋ねられ、「茶碗蒸しです」と正直に言ったら、つける薬はないとでもいうようにため息をつかれた。

写真館で撮られた成人式の写真は私と母用に1部ずつと、母の要望でひとまわり小さいサイズのものが3部つくられた。母はそれをイシカワさんとコクボさんとシミズさんに渡したらしい。彼らがお店にせっせと来てくれたおかげで、私を大学に入れることができた、そのお礼の気持ちだったのだろう。

イシカワさんはその写真をとても喜んだが、私の成人式を誰にお祝いしてもらったかは母に尋ねなかった。母も言わなかった。世の中「言わずが花」ということがたくさんある。

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