光を閉ざしたアトリエ(7)
平野の一番最後の作品をご覧になりますか──。
夫人がそう言って、アトリエに戻った。
平野は1992年11月24日に逝去した。65歳だった。彼は10月 9日に白内障の手術で入院し、20日に退院している。静養するように言われていたが、自宅に着くなりアトリエの座布団に座って小品を並べ、仕事を始めた。24日、容態が悪くなり再入院。わりあい順調に回復し、10日目に「やらなきゃいけない仕事がいっぱいあるんだ。帰らせてくれ」と医師に言うと、「自由人だから仕方がない」と退院を許可してくれた。2週間近く自宅で静養。描きかけの小品を主に手がけた。
「11月20日に『眼鏡が今日できているはずだ。新しい眼鏡で絵を描きたい。眼科に取りに行く』と言うんです。『雨だから私が行くわ』と言っても、『いや、行く。ひとりで行くから、もういい!』と怒るんです。一緒について行きました。絶筆の文章にはひとりで行ったと書いてありますけど、あれは嘘です。そんな、私がひとりで行かせるわけがない……」
眼科に着いた時には平野の息が荒くなっていた。眼科医は自分の車で彼を総合病院まで送った。即、入院だった。それから4日目に彼は逝った。
入退院を繰り返す中で描いた小品が彼の遺作となった。すべて抽象画で、一点だけ完成させ、額に入れたものがある。絵具で汚れたままのフローリングの床に、夫人はそれらを並べた。長い沈黙の後、大坊が言った。
「一つひとつが平野さんの魂のようですね」
「そうですね。彼が『最後は魂を突きつけるしか仕方ない』と言っていたように……。こうして見ると、いろいろな部屋を持っていて、そしてそのすべてが平野遼という感じがいたしますね」
部屋の隅にピンでとめられた走り書きは、小林秀雄の言葉だった。
ついに視力がそのまま
理論の力でもあり
思想の力でもある
そういう自覚に
達しなくてはならない
「平野さんが亡くなった今、遺してくれた大切なものに満たされているとおっしゃいましたね」と大坊は話しはじめた。
「彼は学校教育こそ受けなかったが、ジャコメッティ、ランボー、ボードレール、ドストエフスキー、西脇順三郎という師はあった。それについて『純粋無垢な形で自分の仕事をずっとやっていくうちに、だんだん気づいていく』と言っている。まったくゼロの状態から一つひとつ手探りで掴んできた人、そこに僕は深く共鳴するのです」
「彼は着の身着のままの人間ですよ。雑草が栄養を吸収して伸びていくように生きていったんです。本当に自分の求めたものを、きちんと得ていく人でした」
「そういう生き方というのは、生き物のもっとも自然な姿だと思うのです。『原始人の目でものを見ろ』というのも、そこに繋がります」
「たとえば平野はジャコメッティを尊敬していたでしょう。造形的に突き詰めて、その究極は『人間は一本の線である』ということを自分も理解できた、と彼は言うんです。それは真似ではなく、彼も自ら到達したんですよ」
仏壇の上の壁に掛かっているジャコメッティふうの絵、木炭で描かれた一人の男が歩く姿。先ほど、夫人はその作品『歩く姿』を「平野そのものです。少し俯き加減で大股に歩く、そして、たった独りの姿は」と言った。
大坊は並べたままの未完の小品を振り返ってから言った。
「最期まで人間の深淵を描いたんですね……。完成された姿がない……。いや、こういう言い方は誤解を受けるな。彼は素描も油絵もすべて完結しているという評価を受けていますし、僕もその通りだと思うんです。僕が言いたいのは、“こうである”というものがない気がするということなんです。常に“まだ描ける”という状態と申しましょうか」
大坊のこの言葉は、彼の絵の本質を鋭く指摘していた。そして応えた清子夫人の言葉は「なぜ絵を潰すのか」という問いへの答えでもあった。
「ひとつの作品を完成させたようなつもりでも、描きすぎて、行きすぎて、壊すこともあるんですよね。絵はすべて未完というか、他人に渡す時と展覧会に出品する時しかサインをしないんです。展覧会に出品しても自分が気に入らないと『早く家に帰りたい』と気を急くようでしたし」
「具体的にはどうするのですか」
「気に入らなければキャンバスから外すこともありますが、大抵ずっと塗ってしまって、下塗りの状態にするんです。それで他の絵を描く。平野は造形的にひとつのフォルムをとらえるでしょう。それをいつまでも後生大事にしないんです。それをうち崩して、また新しいものを追求するのが創造者の役目だと言って」
「創造者の役目……」
夫人はおかしそうに続けた。
「たとえば売れた後で『サインがないので、して欲しい』と絵が戻ってくるでしょう。購入した方に戻る時には、違う絵になっていた、なんてこともあったんですよ」
大坊は夫人の言葉に笑った。そして少し涙ぐみながら言った。
「描いても描いても、次から次へと見えてくるものがある……。当たり前ですが、終着点はないのですね」
夫人は「そうですね」とひと言、頷いた。
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