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光を閉ざしたアトリエ(1)

1996年、「大坊珈琲店」の主人・大坊勝次さんが北九州市小倉を訪れ、当時すでに亡くなられていた画家・平野遼について、夫人の清子さんに取材しました。この原稿は、同行者の私が第三者としてまとめたものです。出典は『平野遼 水彩・素描集~疾走する哀しみ~』(1998年11月出版、現在絶版)。全8回。

表参道の交差点から赤坂方面へ1、2分、 古い2階のビルに大坊珈琲店はある。

人が交差できないほどの狭い階段を上がり、小窓のついたドアを押すと、珈琲の匂いが鼻をくすぐる。10坪ほどの小作りな店内は、よく見れば20年という歳月を静かに感じとることができる。

右手にあるカウンターは木の材質からか、緩やかにかしいでおり、その奥の4人掛けのテーブルと椅子、天井に備え付けられた本箱の文庫本は飴色に焼けている。246号線に面した窓からはマロニエが美しく、季節の移り変わりを教えてくれる。音楽は今も変わらず古いジャズだ。気持ちを追い立てるものは何ひとつない。ここを訪れる人々は大抵常連になるだろう。それほど居心地がいい。

そしてカウンターを隔てて、店主の大坊勝次がいる。

彼の一日は本日使う分の珈琲豆を煎ることから始まる。椅子に腰掛け、選び抜いた豆の入っている手回しロースターを一定のテンポで回す。ガラガラという音が店内に響くが、それは決してお喋りや読書の邪魔をしない。煎った豆は円形の平たい笊にあけられる。

そして彼は注文に合わせ珈琲を淹れる。ネルフィルターを左手で器用に回しながら、ステンレスポットからお湯を注ぐ。湯気が立ちのぼり、徐々に珈琲で湿ったフィルターから最初の一滴が落ちる。何万回同じことを繰り返しただろう所作は、無駄のない美しさだ。

彼の淹れてくれた珈琲を静かに飲む、そんないつもと変わらない日のことだった。

店の奥の壁にはいつも一枚の油絵が掛けられている。いくつもの黒い引っかき傷を連想する抽象画。ぼんやりとした闇に浮かぶ人影。彼の好きな作品なのだろう、何カ月かに一度掛けかえられる絵はどれもこの空間にぴたりと馴染んでいた。

その日はブルーで配色された馬と人の絵だった。雨が降っていて客も少なく、読む本も持ち合わせていなかったので、仕事の邪魔にならない時を見計らって画家の名前を訊ねた。

「平野遼という絵描きです」

彼は顔を上げて答えた。その名に聞き覚えはなかった。

「平野遼……いい絵を描く人ですね」

「そう思いますか。いや、僕はすごく平野の絵が好きなんですよ」

「あの絵は大坊さんがご自分で所有なさっているんですか」

「これは借りうけた物ですが、先日掛けていた抽象画は気づかれましたか? あれは僕のものです」

彼はぽつりぽつりと平野遼について話してくれた。始まりは10年ほど前、友人が店に『階段の群像』という絵を貸してくれたこと。平野が既に亡くなっていること。現在抽象画1点、具象画1点、ペン画1点を所有していること。購入先の画廊と懇意になり、最近平野夫人を紹介してもらって北九州市小倉まで会いに行ったこと。

そして言葉が尽きないような少し興奮した様子で、上の棚から1冊の本を取り出した。1990年東京セントラル美術館で開催された個展の図録だった。1ページずつめくるうち、とてもいい仕事をしてきた画家だということがすぐ理解できた。

「この絵、好きだな」

何度目かのその言葉を呟くと、彼が珈琲を淹れる手をとめて覗き込んだ。

「ああ、『老水夫』ですね。この絵は僕も好きです。でも、もうないんですよ」

「ない? ないってどういう意味ですか」

「平野が潰してしまったそうなんです。潰してその上に別の老水夫の絵を描いたらしいんですよ」

図録には1988年作と記してあった。不思議な想いがした。既にこの世に存在しないという事実をすぐには受け入れられなかった。言葉を継げずにいると、彼は言った。

「平野は一度完成をみた絵でも、気に入らなくなって潰すことが多かったようなんです。だから図録や画集に掲載されていた絵がもうないなんていうことはしばしばあったようです」

「新しい絵は新しいキャンバスにも描けるけれど、潰してその上に描くというのは、その絵を残しておきたくないからなのでしょうか」

納得しかねるように言うと、「どうでしょう。僕もその辺のことを知りたいと思っているんですが……」と彼は少し寂しげに微笑んだ。

外の雨は弱まり、雲の切れ間から柔らかな光がこぼれはじめた。街の喧騒は徐々に取り戻されつつあった。ジャズピアノの音色とお湯の沸く音しかしない店で、なぜ絵を潰すのか、その画家の生理を知るには遅すぎたことをただ実感していた。

しかし、それは平野遼という画家の軌跡を知る始まりだったのだ。



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