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光を閉ざしたアトリエ(2)

6月初旬、大坊は北九州市小倉へ平野清子夫人を訪ねた。

薄曇りの空はみるみるうちに灰色が濃くなり、小倉駅に到着した時には大雨だった。大坊が清子夫人の自宅へ電話を入れると、車で迎えにきてくれるという。雨足はアンコールを促す盛大な拍手のような音を立て、ひとつも弱まりそうにない。 数分後、車がロータリーに乗り込み、夫人が降りてきた。簡単な挨拶を交わすと、吹き付ける雨を避けるように早速自宅へと向かった。

何かに導かれるように、思いつきのような提案が受け入れられることがある。

平野遼という名を知って数日後、珈琲店に行くと大坊が小倉を再訪するかもしれないと言う。思わず、彼自身に夫人をインタビューできないか、と訊ねた。唐突な申込に彼はただ唖然としていたが、落ち着きを取り戻すと「少し考えさせてください」と言った。

車の中では皆、言葉少なだった。平野遼の絵のどこに惹かれるのか大坊に訊ねた時の、彼の言葉を思い出す。

──平野の絵を見て感じるある真実は、何か引っ掴まれるようなもの、人間が暗く深いところに沈ませている本来の姿、作家自身の持つ人間としての切実な姿のように見える。芸術を鑑賞する眼というよりも、平野自身の存在のあり方、生き方、思索そのものに接したいという欲求に駆られる。そのようにして僕は平野の絵画に引き込まれていった── 

大坊は、平野の死後、一度会って話を聴きたかったという気持ちが日に日に募ったと言った。平野遼はもういない。しかし、清子夫人の言葉から平野が絵画に駆り立てられた何か、その創造の現場を知ることは可能だろう。不思議と不安はなかった。

自宅のアトリエは生前のまま残してあった。中へ足を一歩踏み入れると、部屋中に気迫が充満していてただ圧倒される。描きかけのキャンバス、放置されたままの絵具、額におさまっている自画像。まさに闘いの跡そのものだ。

天井は中央から奥へと緩やかな斜面を描き、その壁の前にはイーゼルが2台置いてあった。明かりとりの窓は左手にあるが、その前の棚にキャンバスをぎっしりと詰めてあるため、天日は入らない。蛍光灯が2灯設置してある天井を見上げていると、清子夫人が声をかけた。

「その斜めのところ、天窓があって障子が貼られていたんですけど、平野が埋めてしまったの。僕には光は似合わない、と言って」

「外光をまったく遮断したのですか……」。大坊も驚いた様子で天井を眺めた。

反対側の壁には仏壇が、その後ろの棚にはオーディオセットとCDが何十枚か、それに平野のポートレートが飾られていた。線香をあげ、位牌に手を合わせた。

大坊は夫人に「お手数ですがお湯を沸かしていただけますか」と言って、自分は持ってきた珈琲の用具をカバンから取り出した。彼はいつもの手つきで丁寧に珈琲を淹れると、仏壇に供えた。

「平野さんは音楽をよくかけてらしたそうですね」と大坊が訊いた。

「絵を描く時はいつもCDをかけていました。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、モーツアルトやマーラー、バッハのマタイ受難曲、音楽はその日の気分によって違うんです。私は制作中はアトリエに入ったことはほとんどないんですけど、外から聴いて今日は気持ちを高揚させているとか、気分がよさそうとか、快調に進んでいるなとかがわかるんです」

「制作中に中に入ってはいけなかったんですか」

「そう厳しいことを言うわけではないですけど。何となしに体の具合が気になっても、アトリエを覗いてその後姿で判断するというふうでしたね」

「どんな格好で仕事をしていたのですか」

「仕事着に軍手をはめて、脚は神経痛のため、ナザレで買った手編みの靴下に部屋履きというスタイルでした」

「音楽は必ず流していたんですか」

「デッサンを描く時はそうでもないですけど、油絵を描く時はいつも。朝一番にお風呂に入るでしょう。軽くお食事してからお抹茶を飲みます。それから仕事にかかります。午前中は大作を。お昼休みをゆっくりとって3時までは小品を。3時には必ずまたお抹茶を飲むんです。夕刻はデッサンです」

大坊は立ち上がってCDをかけてもいいですかと夫人に尋ね、弦楽四重奏曲を選んだ。グラリと自画像が動き出す。抽象画が揺れる。アトリエ内に洪水のように平野の魂があふれて座を震わせた。

撮影:阿部稔哉


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