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social distance bet/ ppl & media

アーティストとメディアとの向き合い方


私は今33歳なのですが、
中学の時からずっと好きでバンプを聴いていました。
今回の件で、曲を聞く時に脳裏にあの事がよぎってしまいます。

今まで仲良しバンドとして知られ、
「誠実」「謙虚」というイメージが確立しており、そんな彼らが作る曲が好きな方々もいたのではないでしょうか。それだけに、今回の件は本当に残念でなりません。

確かに、ファンが悲しくなってしまうのは仕方ないのかもしれません。

ですが、
「これを機に反省してもらいたい」
とか
「もうバンプの曲は聞かない」
と言う方がたまにいらっしゃいますが、
その言葉を目にした時もなんだか切なくなりました。

『言論の自由』は
いつでも、どこでも、なんでも言っていいわけではありません。
上記を言う必要性を私は全く感じません。
公言ではなく、個々人の会話の中でして頂ければと思います。

「誰のための」公での発言なのだろう、
SNSで言うべき事なのだろうかと思ってしまいます。

プライベートをメディアに晒されて、SNSユーザーからメンタルリンチ。
家族とも色々あったでしょう。これで反省しないわけがないし、そもそも「反省してもらいたい」と言う方々は、直接的な関係を持っていないにも関わらず、いつから他人を裁く立場になったのでしょうか?

そして、
「物には何の罪も無い」と言うように、
「曲には何の罪も無い」


曲は曲でしかなく、そのバンドメンバーとイコールではありません。
それらを混同してしまう人は、自分の意見を否定されたら、人格まで否定されたと感じてしまう人かもしれません。


今回の件で、私や他のファンの方々が出来る事は、




『何もありません。』




これに関しては、当人と当人の身内で解決する事だと思ってます。
強いて言うなら、「次に活動する時まで信じて待つ」くらいだと思います。

そして、今回の文春砲ほど「誰のために放ったのだろう?」と思ったことはありません。メディアは制限しないと本当にメンタルがやられます。
日本のメディアの怖い部分も改めて知りました。

factfulness(ハンス・ロスリング著)という本には、
人間が持つ10の本能によって、偏見が生まれ、事実を見逃す可能性があると述べられています。
そのうちの2つを超簡略的にお伝えしたいと思います。

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ネガティブ本能
『あやふやな過去の記憶、ジャーナリストや活動家による偏った報道、状況がまだまだ悪い時に「以前に比べたら良くなっている」と言いづらい空気があるがゆえに、世界はどんどん悪くなっていると思い込んでしまう。
そういう人は実はあまり深く考えておらず、なんとなく感じているだけだ。
「悪い」と「良い」は両立する。

恐怖本能
『めったに起きないことのほうが、頻繁に起こることよりもニュースになりやすい。こうしてわたしたちの頭の中は、めったに起きないことの情報で埋めつくされていく。注意しないと、実際にはめったに起きないことが、世界ではしょっちゅう起きていると錯覚してしまう。

※上記に関する統計も面白いものばかりですが、長くなるのでここでは割愛させて頂きます。


決してメディアに飲み込まれないよう、
一定の距離感を大事にして音楽を聴いていきたいし、
バンプファンの方々もそうであってもらいたいです。
彼らはミュージシャンであり、アイドルではないのです。


一音楽ファンからの願いです。
長文失礼しました。
そして、ご精読ありがとうございました。

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