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意味のある言葉、意味のないことば、どちらも「ただ、ある」。それがプレゼントだ。

今日も今日とて、ブラッドベリチャレンジを進めています。

声がほんとうは「言葉」ではなく「鳴き声」であったように、涙は、ほんとうは「悲しみの涙」ではなく、「美しさへの涙」だったのではないか。

百人一首という感情/最果タヒ

鳴き声。
今は、人の声を「鳴き声」とは捉えないかもしれませんが、元をたどっていけばそうだったのかもしれません。

そういえば、今読んでいる論考の本には、

時間意識を持つことで人間が人間になったというのは間違いないと思うんです。
ー中略ー
自分はかなり長い時間にわたって同一性を保つものだということが自覚されて初めて、ものごとには原因と結果があるとか、前に言ったことと後から言ったことの間に不整合があるとか、ものごとが起きる確率には違いがあるといったことがわかる。

日本宗教のクセ/内田樹・釈徹宗

とありました。
「長い時間にわたって同一性を保つもの」という自覚。
「過去があって、今があり、未来へ向かう」という時間意識。
そこから、人の声は「鳴き声」から「言葉」としての役割を持つようになったのかもしれませんね。

言葉は便利です。
言葉の持つ意味を介してコミュニケーションを取ることもできます。
でも、逆に言葉には「意味以上のものは何もない」とも言えます。
日々の中で、「言葉」をつかっていますが、「意味ある言葉」だけをつかって生きているわけではありません。
「鳴き声」という声や、声だけでなく活字にも「意味ある言葉でないことば」があると思います。
「意味のある言葉を話しなさい、書きなさい」という圧を感じることもあるかもしれないし、
鳴き声に対して、「なんで?」と理由を求められることもあるかもしれません。
人は、意味があると納得できたり安心できるのかもしれません。
でも、意味のない声、意味のない文字の羅列、美しさへの涙、そういうものがあっていいというか、あるはずというか、ただあるんだと思います。
「鳴き声」は綺麗なものだけじゃないかもしれないけれど、考えだけで埋め尽くされた言葉にはない叫びや豊かさがにじみ出ます。

意味のある言葉、意味のないことば。
悲しみの涙、美しさへの涙。
どちらがいいということもなく、どちらもただある。
ただある、それがプレゼントだと思いました。

*

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