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多元性と包括性に価値を置く【キャリア理論】

昨日書いたハンセンの統合的ライフ・プランニングについて、もう少し書きたいことがあったので、今日はそのことを書いてみようと思います。
昨日の記事↓

ハンセンの説く6つの重要課題の4番目、「多元性と包括性に価値を置く」という課題について詳しく見てみます。
ハンセンは、「多様性を忌むのではなく重んじるべきであり、キャリアプランニングにおいても、このような違いをすべて包括する道を探るべきだ」、と述べています。

この言葉に僕は、とても勇気づけられるような気持ちになりました。

「多様性」という言葉、よく耳にする言葉です。
それは主に、大切にしようとか、認めよう、みたいな文脈で使われることが多いように思います。
多くの人は、多様性の重要性に気づいているし、認めるべきだと考えているのではないでしょうか。
では、具体的に「多様性を重んじる」とはどんなことなのでしょう。

まず、「多様性」とは何のことでしょうか。

「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」
(オックスフォード英語辞典)

辞書的には上記のように定義されています。

人には自分を構成する様々な要素があります。
年齢や性別、人種、社会的な立場、家庭的な立場、性格、価値観などなど。
自分と全く同じ人間はいないので、全ての人に違いがあり、多様性があると言えると思います。

そのような中でも、人は、
この人は自分と似ているかもしれない、とか
あの人とは価値観が合わないなど、あれこれと他人のことを考えているのかもしれません。

他人について自分と比べてあれこれ考えること自体が悪いことではなく、
自分とは構成要素が違う人に出会ったときの態度、そこにこそ「多様性を重んじているかどうか」が表れるのではないかと思います。


自分を構成する要素を自分で強く認識している人。
そして、そこに正しさを見出している人。
そんな人は、ある意味では、自己理解に長けていて、生き生きとしているのかもしれません。
「正しさ」というのは人それぞれです。
自分の正しさと他人の正しさがあり、そのどちらが優れているわけでもなく、答えもありません。
自分の正しさを自分が静かに持っていれば十分なのだと思います。

自分の構成要素を認識し、正しさを見出している人。
そのような人、それ自体は素敵なことだと思います。
ただ、「正しさ」を他人に振りかざした瞬間に、それは「多様性を重んじる」というところから離れてしまうのかもしれません。

ハンセンの言う、「多元性と包括性に価値を置く」。
この「包括性」というところにヒントがあるように思います。

自分とは違う他人、
そこに対し押し付けるわけでもなく、妥協するわけでもなく、
包括する。

包括するとは、受け入れるということだと思います。

受け入れることと、理解することは違います。
他者理解とか、国際理解とかよく聞く言葉ですが、僕はあまり好きではありません。
理解、というのは受け入れること以上に難しく、おこがましくもあることではないかと感じています。

私とあなたは違うこと。
そのことを認め、受け入れる。


多様性を重んじること。
ここまで書いてきて、やはり大切なことだと感じるとともに、難しいことでもあると感じます。
自分とは違う存在に対して、自分の優位を示したり、拒絶したりしてしまうことが全くないと言い切れる人はいるのでしょうか。
簡単ではないことかもしれませんが、ハンセンの言葉のように「違いをすべて包括する道を探る」ことを諦めないようにしたいと思います。


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