「老い」の価値とは?
こちらの記事を読んだ。
内容は面白かったが、個人的にこの記事タイトルは微妙だと感じた。
宮崎駿や新海誠の作品の主人公は少年や学生が多いが、それが「老いを肯定的に描かない」という意図の元にそうであるのかと問われれば、僕はそんな気はしない。
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「若さ」や「変わらないこと」を至上の価値と捉えることは、日本人のクセになっているのかもしれない。
アンチエイジングという言葉が溢れていることからもそう思う。
「若さ」には価値がある。
でも、それは決して「至上の価値」ではない。
若さだけに価値を見出すのだとしたら、僕たちの価値は生まれた瞬間から失われていくことになる。
それはあまりに希望がない。
では、「老い」の価値とはどんなものがあるだろう。
老いる、年を重ねるという中で手に入れられることの一つに、「自分のことを知っていくことができる」というのがあると思う。
これは、ただ時間だけを頼りに深められるわけではなく、自分で取り組む姿勢があるかも関わってくるが、年を重ねていくうちに手に入れられるものだ。
自分で知った自分をどう生きていくか。
自分で知った自分で、自分と周りの世界とどう生きていくか。
年を重ねると、そういったことを考えられるようになる。
自分だけの世界から、誰か、周りと共にある世界へ。
そこには悲しみとか怒りもあるかもしれないけれど、そこでこそ感じられる喜びもある。
そんな喜びを感じることができること。
その喜びを分かち合うことができること。
それが年を重ねていくことの価値の一つだと思う。
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