研究に芽が出たのは大学院修士課程2年目の秋

前回のお話

学部4年生

大学院修士課程1年

頭が冴え始めたM2の秋

研究室でPCに向かい,実験データを眺めて考える。

あっ。こういうことかな。

今度は無心で実験データの解析。まとめ上げた実験結果を持って,教授に報告。

「なるほどね,こういう風になるのね。じゃあこう考えたらいいんじゃないかな」

教授に助言をもらえ,そこからはとんとん拍子に研究が進む。実験結果が分かる,理論計算が理解できる,考察ができる,他の可能性が考えられる……

自信があった学会発表(M2の11月)

人生2回目の学会発表は広島。このときの学会に出席したのは教授と自分だけで,教授はスケジュールがキツキツだったことから実質一人参加。前日はかなり早い時間に広島に行き,一人でうさぎ島を堪能した後,広島の友達※と夕食を過ごすという時間を楽しんだ。学会って旅行も兼ねるよね。
本来の目的であった学会発表は,特に問題なくやり過ごせた。質問も3つ程きたものの、全て予想していたところで対策済み。この時期になると大きい学会はないので、あとは修論を書くだけ。頑張る。
(初めての学会発表はM2の4月に行ったものの,あまり自信もなく,聴講者も同じ研究室の社会人博士と同期2人+司会者のみという寂しく終わる。)

※このときの広島の友達はゲーム仲間。大学4年生のときにTwitterで知り合って,ゲームのイベントで初対面。今はゲーム関係なく,年一で旅行に行く。SNSも適切に使えばリアルで会っても怖くない。

修士論文審査会(M2の2月)

書き上げた修士論文は164ページ+α,厚さにして約1.8cm。これが多いのか,少ないのか,質はどうなのか,基準は分からないけど,この修士論文を見ると今も自信が湧いてくる。これだけやったんだから,これが理解できたんだから大丈夫。

審査会当日は学籍番号順で2番目。朝起きられる自信がなく,1番目の同期と研究室に最後の宿泊をした。

修論審査会の手ごたえはというと,ほとんど理解してもらえていなかったと思う。教授も「この内容が理解してもらえない学科であることが悔しい」と,成績をみてコメント。自分が行っていた研究は機械系,所属は土建系。他の研究はデザインや建築材料,防災システムといった専攻を活かした研究。成績は約30人いる中で下から数えたほうが早い。最後の最後で結果が奮わなくて悔しかった。

修論内容で学会発表(社会人1年目5月)

教授に勧められて,修論内容を学会発表することに。ジャーナルもって言われたけど,さすがにそこまで余裕はなかった。今思えば,出しておけば良かったと少し後悔。このときの会場は大阪。今いる研究室にも立ち寄って教授にも挨拶した。2年後,ここに居るなんて思っていない。

発表では修論審査会とは全然違う質問がきた。自分の研究が理解してもらえた。受け入れてもらえた。
このときに質問してもらった他大学の先生と今,共同研究をしている。どこで繋がるか分からない。

大学院の修士課程を振り返って

しんどかった。特に実験。noteに書ききれないぐらい失敗もしたし,結果が出ない時期は精神的に辛かった。研究室には行けるけど,誰とも連絡を取りたくなくて,LINEもメールも一切開けない時期もあった。唯一,精神的な拠り所はゲーム。自分の今の状況を全く知らない人たちと,ただただ楽しいことだけをする。その時間があったから,鬱にはならなかったと思う。

理系で大学院がしんどいかどうかは,教授や研究分野で決まると思う。これから大学院に行こうかと悩んでいる人は教授と相性は良いか,所属している先輩方とは上手くやっていけそうか,2年間耐えられるかを考えて決めることをおすすめする。

それから,大学院生は『鬱』になってもおかしくない状況。精神を保つために,研究室以外の場所を確保しておくといいと思う。バイト先でも恋人でも何でもいいから研究以外の居場所。自分は心配されたり変に勘ぐられたりすることが苦手なので,『研究や大学生活を知っている人』と『長時間一緒にいる可能性が高い人』には,ほとんど相談したり愚痴をこぼしたりしなかった。大学の同級生とか恋人とか,自分はそういう悩みに近い環境に居る人や知っている人に相談ができないタイプなので,週1~2回だけ自分を知らない人たちとゲームやフットサルをして,心が休まる時間を設けていた。

自分が病まないための対策は早い段階で考えたほうがいい。

研究自体は3年間やり通して良かったと思っている。学部4年生の1年間だけでは考え抜くには時間が足りないし,これから研究が面白くなりそうなところで卒業を迎えてしまう。それに自分の場合は,研究内容と仕事がほとんど直結した。入社してから仕事で研究で培った知識が活かせたレアケースだと思う。進学して良かった。

辛いことも良いことも大学院にはある。全て含めて大学院にメリットを感じたら是非進学してほしい。

次は民間企業を退職して博士課程に進学した話を書きたい。
(前回の記事から期間が空いてしまってごめんなさい。)

【余談】2年間で実験水槽に2回ダイブ

水槽実験したことある人は聞いたことないですか,水槽に落ちる人。
私は2回落ちました。

1回目はM1の夏,初めての実験のとき
実験中,カメラを4台使っていて,他の人も使っていたので1台自前のデジカメを使って実験を行っていたとき,立ちながらカメラを確認。

良い感じ。

あっ。

手元を滑らせてデジカメが落ちた先は水深1m,深さ1.7mの水槽。何も考えず,気付いたらデジカメを追って,水槽にダイブしてた。時間は深夜。藻が増えないよう塩素がたっぷり入った水槽。自分の身長は1.5m。普段はウェットスーツを着て,脚立を使って水槽に入っている。このときは,そんな余裕もなく,Tシャツ×スウェット。少し潜ってデジカメを拾う。

どうやって水槽から出よう。

悩んでる余裕もなく,水をいっぱい含んだ服を着た体を持ち上げ,2mの壁を越えた。人間は,窮地に立つと普段乗り越えられない壁を乗り越えられることを実感(物理)。

2回目はM2の秋の簡易実験のとき
水中に浮かべた模型を真上から棒で押すというもの。固定されていない模型を真上から垂直に押すというのが難しく,どうしても斜めになってしまう。真上から押せても上下に大きく動揺してくれず,どうしたものかと考え,一回力強く押してみる。

ぐらっ。

自分がバランスを崩して,水槽に落下。たまたま日中で,たまたま水槽の縁にスマホを置いていたので,研究室の後輩に救助の連絡。

「水槽に落ちた」
「実験器具がですか?」
「自分が。」
「えっ?」
「自席にある着替え持ってきてほしい」

実験棟に来るなり,笑う後輩。

「動画無いんですか?」
「試していただけだから録画してない」

録画なんてしていたら,研究室で永遠にネタにされていたかもしれない。

後日,教授から
「危ないから実験は2人以上でやれって言ってるだろ!」
としっかり注意

水槽に落ちたことも良い思い出,もう落ちたくない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?