ほのか

26歳 どこかの会社員です。 摂食障害の経験について書き留めます。 ※あくまで私の経…

ほのか

26歳 どこかの会社員です。 摂食障害の経験について書き留めます。 ※あくまで私の経験や知識であり、医学に基づいた知見ではありません。まただれかの意見や気持ちを否定する目的もありません。ご了承ください。

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  • 過食嘔吐体験記まとめ

    摂食障害になってから抜け出すまでを時系列に沿って書き留めます。あくまで個人の体験談として読んで頂けると嬉しいです。

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  • 摂食障害について

    過食嘔吐体験記以外の、摂食障害についてのことです。

最近の記事

過食嘔吐体験記⑦ 閉鎖病棟入院

前回の更新からだいぶ時間が経ってしまいました。 文体が変わったりしてしまうかと思いますが、少しずつ続きを書いていきます。 2023/9/23 ーーーーーーーーーー 閉鎖病棟で過ごした、3日間の記憶を振り返ってみます。 首吊りにより脳に酸素が行き渡っていなかった影響なのか、それとも薬の影響なのか、その時の記憶は漠然としています。 覚えているのは、ひどく眠かったこと。 首吊り時に噛んだと思われる舌がひどく痛かったこと。 とにかく早くここを出たかった。 愛想良くしていれば

    • 「死ぬのが最善の選択」という結論がいつまでたっても変わらない。

      死ぬのが最善の選択である。 という自分の中での結論は、17歳の時に一度着地してから、24歳の今に至るまで、一度も覆ることがない。 この先もそれが覆らないことを何となく確信している。 できれば何かのきっかけで変わらないだろうかと、心の底では思っていた。 もう、死ぬ方法を考えるのには疲れたのだ。 * 死ぬのが私にとって、最善の選択である。 生きているだけで、血縁者を含めた周りへ迷惑をかける。性格も悪い。大した能力もなく、社会の役にも立てず、見た目も醜く、誰の何の役に

      • 過食嘔吐体験記⑥ 自殺未遂

        健康的にダイエットできている人は、 ダイエットをしても摂食障害にならない人は、 どうやって精神バランスを維持しているのだろう。 私はほぼ根性で、自分を洗脳するようにしてダイエットを続けてきた。 過食嘔吐の負のループに陥ったのは食事制限中心のダイエットにより脳が飢餓状態になった結果であるが、 「痩せないなら死ね」など、自己否定する言葉を永遠に言い聞かせ続けたのが本当によくなかったと思う。 痩せた自分しか肯定しないこと、 しかし結局どれだけ体重が落ちようと努力しようと自分の

        • 過食嘔吐体験記⑤ ダイエット開始と過食の再来

          私は希望した高校へ無事合格した。 入学後はほぼ帰宅部のような部活に所属し、あとは勉強に没頭することにした。 勉強の成果はわかりやすく発揮されて、学年1桁、クラスでは5位以内の順位を保つことができ、2年生では特進クラスに入る。 勉強面は順調だったが、相変わらず食生活は変えられず、私はさらに太っていった。 身長149㎝で、50㎏は超えていただろうか。 中学1年生のころから比べると、10㎏程度は増えていたと思う。 食事制限や運動など、様々なダイエットを試していたけれど、続

        過食嘔吐体験記⑦ 閉鎖病棟入院

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        記事

          過食嘔吐体験記④ 中学時代の挫折

          中学1年で、5歳から続けていた新体操を辞めた。 その後吹奏楽部に入部し練習に明け暮れるのだが、運動量は激減した。 消費量と摂取カロリーの均衡が崩れ、私はどんどん太っていくことになる。 周りにも太ったねと揶揄されることが増えてきたため、私は幾度となくダイエットに挑戦する。 しかし挫折の連続だった。 長年かけてゆっくり身についた食生活を変えるのは容易ではなく、まず「間食をやめる」「運動量を増やす」を目標に1か月ほどは続くのだが、それ以上続かなかった。 私は吹奏楽部の練

          過食嘔吐体験記④ 中学時代の挫折

          私が摂食障害から脱出したきっかけ

          6年間、どれほど足掻いても頑張ってもやめられなかった過食嘔吐が減ったのは 次の事がきっかけだったと思います。 ・「就職先が体力勝負の仕事だった」 既に転職しましたが、最初の仕事は土方の営業でした。 体力勝負の仕事のため、過食嘔吐をすると体力オーバーで次の日の仕事がままならなくなってしまう。体力を保つために食べざるを得なかったり、帰ってきても体力が持たず、過食せずにすぐに寝てしまったり。 このような状況が続いた結果、自然と過食の回数が減っていきました。休日は相変わらず過食嘔吐

          私が摂食障害から脱出したきっかけ

          自己紹介〜過食嘔吐について〜

          こんにちは、ほのかと申します。 摂食障害の体験を書いている「過食嘔吐体験記①~」の筆休めに別のトピックスも追加していこうかと思います。 今日は簡単に自己紹介を。 【自己紹介】 ほのか(偽名) 22歳 事務職 関西出身、関東住み 16歳~21歳までの約6年間、摂食障害(過食、過食嘔吐)。 21歳頃から徐々に回復し、22歳現時点で全快。 大学は2年生(20歳の時)で中退し就職。 現在社会人3年目。 【私の経験した摂食障害】 摂食障害も細かく分類されますが、私が主に悩ん

          自己紹介〜過食嘔吐について〜

          過食嘔吐体験記③ 過食のはじまり

          両親と住む一軒家の隣には、父方の祖母が住んでいた。 習い事の新体操に向かう前、夜ご飯を準備してくれていたのも祖母。 両親が共働きだったので17時から始まる習い事に送り迎えするのは難しかったし、そのあたりは祖母が面倒を見てくれていた。 祖母は必ずお菓子を買い溜めしてくれていて、帰宅するとそれをもらって宿題をしたり祖母と雑談したりするのが毎日の習慣だったのだけれど、 新体操をしている手前体型を保たねばならず、祖母からお菓子をもらったことが母にばれるのが嫌だったので、必ず内緒

          過食嘔吐体験記③ 過食のはじまり

          過食嘔吐体験記② 両親と摂食障害の関係

          私は、恵まれた両親のもとで生まれ育ったと思う。 「小さい頃にたくさん色々な景色を見せたい」と、いろいろなところへ旅行に連れて行ってくれたし、クリスマスや誕生日にはプレゼントをくれ、極力好きな習い事をさせてくれ、読書や塾など教育に良いと思うものにはお金を惜しまない両親だった。 父も子育てには協力的で、休みの日にはどこかへ遊びに連れて行ってくれることが多かった気がする。 「子供には極力お金のことで心配させたくない」という方針もあったようで、幼少期に実家の金銭事情を心配し

          過食嘔吐体験記② 両親と摂食障害の関係

          過食嘔吐体験記① 食べることが恥ずかしかった幼少期

          当時、摂食障害という言葉も知らなかった頃。 私が精神を拗らせるきっかけになったのは、 やはりダイエットだったと思う。 (※高校2年生でのダイエットの話になるのはもう少し先になる) 話は一気に小学時代まで遡る。 5歳から続けていた新体操は、身体ラインの美しさが演技の美しさに繋がり、結果的に審査にも影響する競技だった。 そのこともあり、幼少期から私の体型に対する意識は高かったと思う。 太ることをタブーとし、食べることに対して罪悪感を抱いていた私は、「食べる」という自分の

          過食嘔吐体験記① 食べることが恥ずかしかった幼少期

          摂食障害体験記をはじめます

          はじめまして。ほのかと申します。 私は16歳~21歳までの約6年間 摂食障害(過食症、過食嘔吐)に悩みました。 当時は、何とか抜け出そうと足掻きながらも その出口がどうしても見えず絶望していましたが 22歳の今、全快しました。 この6年間で 過激なダイエット 高校不登校 自殺未遂と精神病棟への入院 心療内科への通院 大学受験 初めてのひとり暮らし 性行為への依存 風俗でのバイト 大学中退 就職 転職 ……いろいろと経験し 最後の「転職」という転機を最後に 一切過食

          摂食障害体験記をはじめます