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過食嘔吐体験記② 両親と摂食障害の関係

私は、恵まれた両親のもとで生まれ育ったと思う。

「小さい頃にたくさん色々な景色を見せたい」と、いろいろなところへ旅行に連れて行ってくれたし、クリスマスや誕生日にはプレゼントをくれ、極力好きな習い事をさせてくれ、読書や塾など教育に良いと思うものにはお金を惜しまない両親だった。  

父も子育てには協力的で、休みの日にはどこかへ遊びに連れて行ってくれることが多かった気がする。

「子供には極力お金のことで心配させたくない」という方針もあったようで、幼少期に実家の金銭事情を心配したことはあまり記憶にない。

それこそ私が怒らせると、家から閉め出されたり殴られたり蹴られたり物を投げつけられたりしたことはあるし、当時は悲しみや怒りといった感情でいっぱいになったことも覚えているけれど、特段両親に対して拗れた感情を抱いているとか、そんなことはない。


何が言いたいのかというと、
両親が摂食障害のきっかけになったのではないということだ。


私が今まで得てきた知識にしか過ぎないが、摂食障害の治療においては、まず家族など身近な人物との関係性にその原因を探すことが多い気がする。
毒親であったりとか、愛情不足であったりとか、それを疑うのは嫌なので、まずそれに言及しておきたかった。


私が摂食障害になったのは、「承認欲求」「自己肯定感の低さ」が拗れた結果だと、振り返って思う。


このような家庭で育っておきながら、なぜ私は自分の承認欲求や自己肯定感を満たすことができなかったのだろうか。

それはひとえに、誰のせいでもなく、自分が自分で作り設定した思考ルートが間違っていたからだと思っている。


「私が自分で間違えた」この事実に絶望し私は制服のベルトで首を吊るのだけど、それはもう少し先の話。
承認欲求を満たすために100人以上の男性と関係を持つのも、もっと先の話。




摂食障害が全快した前提でnoteをしたためているけれど
「自分が自分で間違えて、それで周囲に多大な迷惑をかけてしまった。私がこのまま生きてまた他人に迷惑をかけるのなら今死ぬのが結局は最良の選択だ」
という考えは未だにある。

こうしてnoteに文字を書き連ねている時点で、「最良の選択」ができていないのはお分かりかと思うが、そのことについても後々、整理する意味合いも含めて書けたらと思う。


次回
「過食嘔吐体験記③ 過食の始まり」

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