無意識に頭に浮かんだことが、自分を立て直す行動だと気づいて、自画自賛するだけの話。
なんだかんだで、結局、自分を褒め讃えるだけの文章になってます、ご了承を。
『追いかけても追いかけても逃げてゆく月のように
指と指の間をすり抜ける バラ色の日々よ』
お?これはもしや?と、気づいた方はいらっしゃるだろうか?
そんな方はおそらく、同じ時代に青春を過ごした方かもしれません。
THE YELLOW MONKEYの曲の歌詞です。
バラ色の日々という曲。
1999年リリース。
この曲は、なんとなくふとした時に思い出して、けっこう定期的に聴きたくなる曲で、20年以上も私は思い出し続けていたと気づいて、ちょっとびっくりしてる。
バラ色の日々は不動の思い出す曲。
けれど、かなり久しぶりに思い出したような気がするけど。
どんな時に思い出しているだろう、とふと気になって掘り返してみた。
嫌なことが続いてる時や、なんとなく落ちている時や、苦しい時、負の感情よりになっている時、なんかに頭に浮かぶことが多い傾向にある。
今日、今さっき、頭に浮かんだのだ、バラ色の日々が。
ということはだよ。
私は何か負の感情を持ち合わせているはず。
バラ色の日々が頭に浮かんだ時の、前に考えていたことを思い出す。
私は、手に掴みたいものが、何かわからなくて悩んでいた。悩んでいる自分も責めて。
実態のない答えを探していて、これは正直答えの出ない系の悩み。
わかってる。わかっている、ですよ、私。
悩んでも答えが出ないことは悩まない方がいいし、時間の無駄になるんだよね。
だから、私はいつでも無駄なことをしている。
だから、悩んでいる自分をも責めてしまう。
たから、悩みがちだし、悩んでいることすら悩む。
けれどね、悩んでしまうことや、嫌なことがどんどん頭に浮かんでしまって、覆い被さってしまうことは、わたしの性質なんだもの。
しょうがないじゃない(開き直ってる!)
そんな時に、浮かんでくる歌たちは、そこから、覆い被さったものを取り除いてくれる役目を担ってることに今気づいた。
そのために歌を召喚させているのだと思う。
無意識に。
本当にふと、浮かんでくる。
バラ色の日々も然り。
なんだかやるせない辛い雰囲気を醸し出す歌詞なんだけれども。
『追いかけても追いかけても逃げてゆく月のように
指と指の間をすり抜ける バラ色の日々よ』
ですよ?
やるせない。
だけど。
やるせない日々の中、輝けるものを探して、それでも追い討ちかけられて。
それでも。
『明日は明日の風の中を飛ぼうと決めた』
で締め括られる。
美しい情景や、素敵な出来事や、嬉しい状況は、ちゃんと隙間であって、やるせないけれど、進んでいこうよ。的な歌詞だと解釈している。
これはほぼ儀式で。
頭に浮かんだらまず、ヘッドフォンをつけてそれ以外の音は入らないようにして、とにかく集中して全てのバンドの音を、一音も聞き漏らさないくらいの勢いで、最初から最後まで聞く。
2番は歌うこともある。
一通り集中して聞いて、歌ったあとは、悩みはもう置いときましょう、という気分になれる。
私は、要所要所で歌を思い出すが、それが自分のスイッチを変えることに携わっているとは思ってなかったけれど。
こうやって、突き詰めてみると、ちゃんと自分で自分を立て直せていることに気づいた。
ここ2年間は、これもできずにいて、悩んで悩んで、悩まない方法を調べて、それでもできなくて、どうしてできないんだろうと自分を責めて、の繰り返ししていたけれど。
ちゃんとできるようになってる。
すげぇじゃん、私。
これのすごいところは、
「これやって、気分を変えよう」
とか
「これをやれば気分が変わるはずだ」
と半強制的に自分に自分でさせてるのではなくて、無意識に。
というところが、すごい。
けれど、できてた時とできてない時、何がちがうんだろう。
これは、まだわからない。
し、様々な理由があると思う。
研究が必要ですな。
以上、自分を褒め讃えるだけの文章でした。
変な文章を読んでくれた方、いらっしゃったら、
誠にありがとうございます。
では、また。