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あの子と文通を始めた日

4年生最後の学年通信には、引っ越す児童たちの新しい住所が掲載されていた。今だったら個人情報だから載せられないのだろうか。
『みんなで手紙を書いて励まそう!』
確かそんなコメントと一緒にあの子の住所が載せられていた気がする。
私はすぐに手紙を書いた。レターセットを集めるのが大好きだった私には、たくさんの便せんと封筒があったから。

***

最初のうちは彼女からの手紙の返事は一週間以内には届いていた。
最低でも便せん2枚、もしくはそれ以上の枚数につらつらと長文を書く私とは対照的に、あの子からの手紙はたいてい1枚きりで、便せんの半分ちょっとで終わることもあった。
家に帰宅するときに郵便受けを見るのは幼い頃からの習慣だったが、あの子からの手紙が届いていないかをいつも楽しみに待っていた。
ポストに入っていなかったとしても、リビングのテーブルにちょこんと置いてあることもあった。母がとっていてくれたのだ。
あの子からの手紙が届いた日からしばらくは頑張れる気がしたし、返事がなかなか来ない日はいつも寂しかった。

***

「80円切手、高い」
あの子への手紙を書き終え、80円切手を貼っている夜。父親と二人きりのリビングで私は不満を漏らした。
私の家では毎月のおこづかい制度はなく、お盆とお正月に祖父母や親戚からもらえるおこづかいとお年玉のみでやりくりしていた。また、おもちゃやゲームなど欲しいものを買ってもらえるのは誕生日とクリスマスくらいだったため、たかだか420円ほどのレターセットや80円切手の出費は当時の私にとっては痛手だった。
「80円じゃ○○市には行けないからなあ。逆に、たった80円で届けてくれるんだよ」
父親は微笑んでそう言った。確かにそうかもしれない、と思った。

***

少ない手持ちのお金で、私は小説や漫画を買い、頑張って貯めてゲームをたまに買い、そしてレターセットや80円切手を買った。
こんなにあってどうするのだろう、まだ使い切っていないのに。
サンリオのキキララのレターセット、サンエックスのにゃんにゃんにゃんこのレターセット、カミオジャパンの可愛い動物のレターセット・・・・・・
いつも便せんは足りなくて、封筒だけが余った。仕方なく、封筒と便せんがちぐはぐになって送ることもたぶんあったと思う。
あの頃の私は一体彼女に何を伝えたかったのだろうか。
新しいクラスに馴染めないこと、せっかく入れてもらったグループでうまくいっていないこと、みんなの話題についていけないこと、周りの女の子たちがさらに大人びてキラキラしていること、一緒の本を読んで話せる相手がいないこと。

何よりも、会いたくてたまらないこと。

5年生の夏休み、私は向こうのご家族のご厚意で彼女の家に泊まりに行くことになった。


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