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『ある男の物語 -Part2-』

 赤い扉の世界は、とても穏やかな世界に住んできた自分には、到底順応できないような、非常に攻撃的な世界だった。

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 どうやら、名家の集まりのような世界ではあったが、その世界の人々のやり取りはヒト同士の会話ではなく、自らの思惑をちりばめたようなまるでスパイの諜報合戦のようだった。

 時には狼が羊の毛皮をかぶり、ライオンが猫なで声を出す。

 お腹を見せてくつろいでいた犬が、主人がいなくなった瞬間いたずらをしだす。

 そんな本心なのか、欲望を満たす為の布石なのか、見分けのつかないようなやり取りが平気で飛び交う世界では一瞬たりとも、脳やココロも休まる暇はなかった。

 どっぷり疲れた自分は、またベッドに潜り込む。

(これで夢から覚めるだろう。)

 しかし、どうやら今回は違うようだ。眠りについた自分が目を覚ました場所は現実の世界ではなく、あの“夢”の始まりだった。

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 初めての体験にフィルは戸惑った。困惑しながら、いつもの光を目指して
あの人に会いに行く。すると、どうやら少し離れた場所にもう一人だれかがいるようだ…。あまりの変化量に頭がパンクしそうになるが、落ち着けるためにあの人と会話をしてみるしかない。

「あそこにいる人は、誰?」

 少し離れた場所に腰かけている他人に聞こえないよう、その人に小さな声で囁いた。けれど、その人はそっと微笑むだけで、何も答えなかった。

 まさか、あの知らない人も同じ夢をみて、扉を開けていろんな世界を体験している?

 見るからにうなだれている彼に恐るおそる近づいてみる。地べたにうなだれて座っていたのは同じく白い服を着た男性だった。

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「やぁ、具合悪そうだけど、話しかけても大丈夫かい?」

 彼は、返事もせずうなづきもせず、顔も見せなかった。

 フィルも、彼の隣に同じような恰好で腰かける。しばらく何も言わず、彼の隣に座っていた。どれくらいの時間が経ったのだろう。彼がふと顔をあげる。

「なんでお前は、黙って座ってるんだ」

 彼は、真っ直ぐ前を見ながら低い声でボソっと言った。

「なんでって、どうみたって話しかけてもいい雰囲気じゃなかったからね。でも、どうしてもキミと話がしたくて座ってたんだ」

 彼は横目でチラッとフィルを見るとまた黙って正面をみた。

「ここで誰かに会うのは初めて?」

「こうして話すのは初めてだ。このあいだ、扉に入っていく女の背中を見かけたことはあるが、それっきり誰にも出会わなかったよ」

 どうやら、自分たちと同じことをしている人は少なくとももう一人いるようだ。

「どうしてキミは、ここでこうしているの?」

彼はギロっとフィルをにらみつけ鼻で笑った。

「お前も体験したろ、この扉の世界のドロドロとした部分。そして、扉の世界の中で感じる訳の分からない感覚。ここ何回か体験した世界が、あまりにも苦しくてな。ほとほと疲れたんだよ。」

 だまって聞いていると、今まで抱えていた不快な感覚や、誰にも話せなかったであろう彼なりの扉の世界について教えてくれた。

「始まりは楽しいもんだったよ。運動もできて、勉強もできて、仕事も順調。美しい妻と世界一かわいい子供を家族にもって、なに不自由なく暮らしていたのさ。あまりの楽しさに、何度も何度も同じ扉を開けたんだ。」

 彼の目はどこか遠くをしっかりと見据えている。

「あの案内人にも、“またあの扉ですか?”なんて言われるくらい、ここに来るたび何度も同じ扉を開いた。だけど、そんな幸せな世界も飽きてきたんだ。十分に体験してしまってな。」

 そういうと少し目線が下にうごいた。

「それで?」

「それで、次の夢の時すぐ隣の扉に入ったんだ。きっと良い世界だろうと思ってな。とんでもない世界だったよ。」

「正直、最初は似たような世界だった。仕事も勉強もプライベートも、そつなくこなして家庭を築いていた。だがある日、妻に違和感を感じ始めたんだ。最初は何でかわからなかったが、ある時答えが分かった。その妻は、浮気をしていた。」

「その世界の俺は、彼女がココロから好きだった、愛していた。彼女のためならいくらでも金は稼いできたし、環境だって整えてきた。だが、彼女は浮気をしていた。俺に『愛してる』とキスをしながら。」

 すっかり、出会う前のうなだれた姿勢に戻ってしまった。黙っていると、彼は息を思いっきり吸って急に顔をあげた。

「あまりにも悲しくてショックだった。その世界で自殺しようともしたが、できなかった。その扉を出るころには、悲しみやショックがとてつもない怒りに変わっていてな。いや、もはや憎悪というべきなのかもしれない。」

「憎悪に支配された俺は、案内人に『仕返しがしてやりたい。』そう告げた。案内された扉は、汚い扉だったよ。多分いろんな奴がその扉を開けたんだろうな。使い込まれた扉を開けた瞬間、復讐が始まった。」

 そういった彼の顔は、怒りや悲しみ、落胆が入り混じったような表情をしていた。

「狂ったようにその扉に入り続けた。その世界では、いろんな女を手当たり次第に手に入れては捨てていた。浮気なんて当たり前だ。思わせぶりな態度をしては、一方的に繋がりを切ったり、世界で一番愛しているよと囁いた次の瞬間には、別の女と連絡を取って同じことを言う。」

「都合が悪くなった時には、力で黙らせたこともあったよ。今思えば、吐き気がするようなことを、この上ない最高の気持ちよさと共に何度も繰り返していた。狂ったようにね。」

 流石に、この話を聞いているフィルもおもわず眉間にシワを寄せていた。

「だがある日、いつものようにその扉に入って、女を手玉に取って遊んでいるとふと思ったんだ。“こんなことして何の意味があるんだ”ってな。それがその扉の最後さ。」

「満足したってこと?」

「だろうな。もうあの扉は入る必要がないと思ったんだ。ただ、帰ってきたら帰ってきたで、今度は虚無感が押し寄せてきてな。しばらく休んでいたんだ。現実世界とのバランスも崩れかけていたしな。」

「休んだ後、案内人に礼を言ったよ。きっと、あそこにはいろんな奴らがいろんな思いで行ったんだろ?そう聞いたけど、微笑むだけで答えはなかった。」

「次の扉を決めるときは、もう少し幸せを感じられる世界がいい。そう思って直感で決めたんだ。だが、これがまたすごい世界でな…。」

 よほどすごい世界だったのだろう。思わず、彼から苦笑いがこぼれた。

「そこでは、まるで前の扉の体験が跳ね返ってきたようだった。関わる女性すべてに、ののしられるんだ。思わず笑っちまったよ。罪悪感と劣等感が凄まじくってな。しかも、強烈な体験な時ほど出たいときに出られないんだ。」

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「耐えかねて自殺をしたんだが、幸か不幸か死ぬことはできなかった。目が覚めたときには医者の顔が見えたよ。何で生きているんだろう。そんなことばかり考えていた。」

「だが、面白いもんでな。退院した後の生活の中で気付いたんだ。自分の意志でこの世界に住んでいるということにな。あまりに強烈な体験だったり、その世界に没頭すると、重要な部分を忘れちまう。俺が選らんでこの世界に住んでいる。ただそれだけなんだ。そうなると次に考えたのは…。」

「次に考えたのは?」

 たっぷりの間をとって話し始めた。

「“俺が住みたい世界はこの世界なんだろうか?”ってことだ。俺は、裏切られた世界も知っているし、憎悪に任せて復讐に身を投じた世界も知っている。今までの行いが返ってきているような世界も。それに愛する者と共に過ごすことの幸せもな。」

「それを知ったうえで、どんな世界を作りたいのか?どんな世界に住みたいのか?本当にこの世界がいいのだろうか?そんなことを考え始めた時、やっと扉が開いて戻ってこれたんだ。」

「じゃあなんでこんなにくたびれているの?」

 彼は乾いた笑いで答えてくれた

「それからというものの、自分が本当に住みたい世界を探すようになったんだ。いろんな扉に手あたり次第に入っては散々な目にあったり、それなりに楽しい思いもしたりいろいろだ。ついさっき出てきた扉が久々に“アタリ”でな…。」

「その“アタリ”ってどんなとこだったの?」

「とても息苦しい世界だったよ。人が口にする言葉全てにそいつらの欲望が混じってる世界でな。ごくごく限られた人にしか本心を言えない世界で、ともすれば漏らしたその本心も、そいつの欲望のために使われる世界だった。誰のことも信じられないし、信じようとも思えなかった。」

「その世界のカラダに任せて動くのもつまらないから、たまに自分の意識で話したり行動するんだ。今まで経験した世界では、その世界の人物とかけ離れた行動なんだろう。相当ビックリされるんだ。ただ、それはすごいアイデアだとか良い変化が起きることが多かった。もちろん、失敗もあったがね。」

「ただ、さっきの扉は違った。俺の意識でやることや話すことは、あらゆる言動が世界の住人を激昂させるんだ。多分、俺の意識の世界で当たり前のことは、奴らの世界ではあまりにも非常識なんだろう。」

「このままでは、体験に支障が出ると判断して意識での行動をやめたんだ。幸い、カラダに任せたおかげで住人との信頼は回復できたようだから、なかなかのやり手なんだろうな。」

 想像以上に、経験豊富な彼の体験談を聞いていると口の空いている自分に気が付いた。

「そんな間抜け顔をしてるお前こそ、どんな世界をわたってきたんだ?」

 初めてコチラに話題が振られ、我に返ると座りなおして応えた。

「あぁ、自分なりに穏やかな体験を続けているよ。もちろん嫌な世界も大変な世界も経験したけど、ほとんどが仲間と楽しくやっていたり幸せな世界だ。」

「幸せな体験が多いって、お前はその体験に飽きたりしないのか?」

「飽きるなんてこと考えたこともなかったよ。だって、幸せだって感じるし、十分満ち足りているとも感じるんだ。それにこの夢のおかげで、いかにありがたい生活が出来ているのか知ることだってできるんだ。これ以上に何が必要なのかわからないよ。」

 彼は、フィルの言葉を聞いて考え込んでいるようだった。

「とはいえ、“黒い扉”と“赤い扉”はもう入りたくないけどね。多分、キミが言った“息苦しい世界”はあの赤い扉かもしれないね。自分もその世界に入ったけど何が何だか…。」

 すると、彼は眉をしかめてこういった

「ちょっとまて、その黒い扉はどこの扉だ?」

 フィルは、黒い扉を指さした。

「おいおいおい、待ってくれ。あの黒い扉は、俺が夢から覚める時に使ってるんだ。俺の現実世界は今のところ幸せなんだぞ。入りたくないってどういうことだよ。」

 なんという事だろうか。まさかこれほどまでに体験が違うものだとは…。いや、全く別の世界なのかもしれない。

「今すごく混乱しているんだけど、キミの言う“息苦しい世界”は何色の扉なの?」

「俺の“息苦しい世界”はコゲ茶の扉で、赤い扉はまだ入ったことがない。」

「そうなんだ。てっきり同じ扉で同じ世界にいるかと思ったよ。そのコゲ茶の扉ってドコにあるの?」

「あそこだよ。」

 彼が指差した先の扉を見ると、フィルは驚きのあまり目が点になった。

 その扉は、フィルがいつも夢から醒めて現実世界に帰るときに使ういつもの見慣れた扉だった。

「どうしたんだ?幽霊でも見たような顔してるぞ?」

「いや…だって…。あの扉から現実に帰るんだ…。」

 彼は、幽霊でも見るような顔でフィルの顔をみていた。

「はぁ!?なんだってあんな世界で幸せを感じているんだ!?あんな何のために生きているかもわからないような世界で、何が楽しくて生きてるっていうんだよ?」

「だから、毎日が幸せだから他に必要なものが分からないんだよ。あの扉に入れば、目が覚めて自分の部屋に戻る。そしたら、ミニチュア・ピンシャーっていう家族の、ラッキーが顔をなめて起こしてくれるんだ。その幸福感は何ものにも代えがたいよ。」

 彼は、フィルのコトバと全く違う体験のおかげで、驚いた顔で見つめたまま動きが止まってしまった。

「さぁ、そろそろお互い夢から醒めよう。いつもより長い時間過ごしている感じがする。」

 そういうとフィルは、彼の腕をパンパンと叩いて正気に戻す。

「そう…だな…。帰ろう…。多分、もう会わないかもしれないけど、もしまた会ったらこうして体験を話そう。」

 フィルはうなずいて立ち上がると、手を差し出し彼はフィルの手をとり起き上がった。

「まさかこんなことになるとはね。」

 ふたりは苦笑いして、それぞれが現実に帰るための扉の前に向かっていった。フィルがドアノブに手をかけた時、ふとある疑問が頭をよぎった。

『自分が帰るこの世界は、夢?それとも現実?』

 こうしてフィルは、いつもの日常に戻るのであった。

終わり


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