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オーガニックスパイスの宝庫、ヒマラヤ造山帯

2023年も残りわずかとなってきましたが、スパイスの旅はまだまだ続きます!

12月中旬、World Spice Congress 2023(世界スパイス会議)で出会った、オーガニックスパイスのサプライヤー「ARICHA」の代表のヴィシャルさんとコルカタで再会しました。ARICHAのオーガニックスパイスは日本でも販売されていることもあり、どんな農家さんがどのように育てているのか、どんなサプライチェーンになっているのか、ぜひお話を伺いたいと思っていました。

英領期のベンガル地方は世界で9割程度のシェアを誇るジュート産地として栄え、ヴィシャルさんの祖父もジュート繊維を生業としていました。しかし、近年プラスチック製品に置き換わり、産業にかげりが見え始めました。そこでヴィシャルさんは、サステナブルなフードビジネスに機会を見出して、オーガニックのスパイスやその他の農産物を農家からより良い価格で買い取り、市場を獲得し始めました。

しかし当時インドは、農業において生産性が重視されていた時代。農薬や化学肥料が多用されていて、食の安全性や環境負荷は軽視されていました。そんな時に、2002年にスペインの企業からオーガニック認証の取得を進められて、そこからオーガニック商品を輸出するというビジネスにフォーカスし、現在では7000近いオーガニックの小規模農家と直接取引をし、日本だけでなくヨーロッパやカナダにも輸出を増やしていきました。

「本当は農薬や化学肥料を使いたくない小規模農家も少なくないんです。そんな声を聞いて、ハイデラバードの郊外のファーマーグループから始まり、徐々に取引を拡大していったんです。」

とヴィシャルさん。そんな彼に紹介をしてもらい、コルカタから夜行バスで北上し、彼らがターメリックやラージカルダモンを買い付けているというシッキム州を目指すことにしました。早朝、隣の州の西ベンガル州の州都シリグリに到着。市場調査のために近くのマーケットに出かけてみました。

日本にオーガニックスパイスを輸出している「ARICHA」のヴィシャルさん

シッキムでは「ブラックカルダモン」というスパイスの生産が盛んです。「ブラウンカルダモン」や「ビッグカルダモン」とも言われますが、現地では主に「ラージカルダモン」と呼ばれています。日本人にとってはあまり身近なスパイスではないかもしれませんが、お肉のカレーやガラムマサラ、ビリヤニなど、知らないところで個性を生み出してくれているのが、このブラックカルダモンなのです。

マーケットでは1kgあたり1300ルピーから1500ルピー(2200円から2500円)で販売されていました。高価なスパイスとして知られるブラックカルダモンですが、今年は特に価格が高騰していました。しかも、産地のシッキムが近いにもかかわらず、ブータン産やネパール産のものを扱っているお店もちらほら。そこで、ブータン産のブラックカルダモンを販売していた卸業者に、トレーダーを紹介してもらいお話を伺うことにしました。

紹介をしてもらったトレーダーは、ブラックカルダモンを専門に事業をしていて、日本でも販売されているスパイスブランド「エベレスト」にも卸していました。身近なマサラに使われているスパイスのルートを知ることができるのは、とてもワクワクします。農園をみに行きたいというと、毎週日曜日に開催されるサンデーマーケットで買い付けをするというので、早速その週末に同行させていただくことに。

ブータンの国境付近の村のサンデーマーケット

向かったのはインドとブータンの国境付近の小さな村。舗装されていない曲がりくねった道に途中車酔いしながら、4時間程かけて到着しました。標高は1000mほどで空気は冷たいですが、日差しの強さを感じます。案内してくれたソナムさんは、ブラックカルダモン農家で、地域の行政機関が管轄する農業組合の代表の息子さん。最近までカタールで働いていただけに英語が堪能かと思いきや、キリスト教徒も多い地域なので、英語が話せる人も多いのだそうです。一方で、公用語はネパール語でチベット仏教徒も多く、とても国際的。さらにソナムさんは、

「父はインド人ですが、母はブータン人なんです。ほら、谷を挟んだ向こうの山に小さな集落があるでしょう?あれが母の故郷で、親戚もたくさん住んでいるので、僕も時々尋ねています。ブータン側でもブラックカルダモンが生産されているので、コロナ前まではこのサンデーマーケットにも向こうの農家が来ていましたね。パンデミックからは政府の規制でブータンから売りに来れなくなりましたが。」

と教えてくれました。ブラックカルダモンを介して国境を超えた交易に驚きつつ、ソナムさんに連れられ、農園を見せてもらうことにしました。農園に近づくと、あの独特なブラックカルダモンの香りが漂ってきました。11月に収穫時期を迎えるため、この日には実った状態を見ることができませんでしたが、既に次の時期の花を咲かせる準備をしている様子を拝見することができました。

案内をしてくれたソナムさん
ブラックカルダモンの根本。尖っているところから花が咲き、実が付きます。

インドのケララ州を主な産地とするグリーンカルダモンは、多くの場合農薬が使用されているのに対して、ブラックカルダモンはオーガニックで栽培されているのだそうです。また、この地域ではグリーンカルダモンのようにドライヤーを使い乾燥をさせると3000ルピーかかってしまうので、多くの農家がかまどの上に網を敷き、その上に収穫したブラックカルダモンを広げ、薪の火で2〜3日かけて乾燥させていました。時に独特なスモーキーな香りを感じるのは、スパイス単独の香りではなく、加工の過程で付けられたものなのでしょう。ちなみに、一大生産地でありながら、産地の人たちはブラックカルダモンを料理に使う習慣はないそうです。

サンデーマーケットには10人ほどの農家が売りにきていて、トレーダーは700kgのブラックカルダモンを買い付けていました。このサンデーマーケットという仕組みは、インド側だけでなくネパールやブータンを含むヒマラヤ造山帯で至るところで見ることができます。インドのスパイスの多くが「マンディ」という公設市場で大規模に取引されるのに対して、山奥に点在する小さなコミュニティで生産されたスパイスは、独自のサプライチェーンを築いているようです。

そんなブラックカルダモンは今、大きな課題を抱えていました。2010年頃から、収量が大幅に減少しているのです。スパイスの輸出を支援する政府機関のスパイスボードや研究者が何度もここを訪れて、原因を調査していていたそうです。レポートによると、気候変動による季節の変化、降雨量の不安定さや少なさ、日照りの長期化、気温の上昇、土壌水分の損失、病気や害虫の発生の増加が原因であるとされています。ヒマラヤ造山帯の豊かな生態系も、着実に気候変動の影響を受けていることがわかりました。この地域の農家の収入の3割を支えるというブラックカルダモンの課題は、想像以上に複雑で深刻なのです。

ソナムさんの農園で今年収穫したビッグカルダモン
ブラックカルダモンの農園。建物の向こうに見えている山はブータン。収量の減少はインドだけでなくブータンやネパールにも及んでいるそう

数日後、ARICHAのヴィシャルさんの紹介で、西ベンガルとシッキムの州境に近いマジターへ。オーガニックスパイスのの買い付けをしているヴィヴィックさんのもとを訪ねました。シリグリからローカルバスで川沿いを走りましたが、途中工事や川縁が崩落しているところもあり、5時間かけて到着しました。

ヴィヴィックさんが取引する主なスパイスはターメリックとジンジャーですが、今年シッキムでは生産する農家が少なかったこともあり、価格が高騰しているのだそうです。この地域はドライヤーが普及していなく、降雨量も多く、気温が低いので天日干しもできないことから、生の状態を買い付けています。

彼の案内で丘の上にあるジットラ村へと向かうと、道沿いにフラワーガーデンが現れました。聞くと、村を上げてオーガニック農園を打ち出したアグロツーリズムに取り組んでいて、ヴィヴィックさんも支援をしているのだそうです。ツアーの受け入れ先となっている2つの農園に伺うと、有機肥料のレシピやシダ植物アゾラを使った有機農法、魚を養殖しながらその水を肥料として作物を育てる取り組みなどを紹介してくれました。酪農も行い牛のふんをバイオガズにしながら、その残りを乾燥させて堆肥として販売するという、循環型なだけでなく、その様々な過程で付加価値を生み出し、オーガニックで収入を上げる工夫があらゆる所に見られました。

バイオガスの装置。発酵後は加工して肥料にし販売
奥が金魚の養殖の水槽で、手前が蜂の巣箱。交配を促し蜂蜜も商品に

こうした背景に、シッキムの州を上げたオーガニック農業の推進政策があり、農業局の支援もあり10年前頃からモデルケースが徐々に増えていきました。さらに政府の支援で、農家のオーガニック認証の取得も進んでいるのだそうです。

しかし、2つのロールモデルとなっているオーガニック農園では、残念ながらターメリックは育てられていませんでした。1つ目の農園は地域のターメリックの市場価格が下がっていたため今期は他の作物にシフトしたためです。2つ目の農園は一度栽培してみたけれど上手く育たなかったそうで、同じヒマラヤ造山帯でも湿気が多い土地は向いていないようです。

前衛的な取り組みが目立つ一方で、昔ながらの伝統的な方法だけでオーガニックに取り組む農家もいます。その一人、今年から初めてターメリックを育てたというシンビルスヴァさんに、お話を伺うことができました。

オーガニック農家のシンビルスヴァさん

「スパイスボードが無料でターメリックの種をくれたんで、今年初めてターメリックに挑戦してみました。最初に撒く有機肥料もセットでくれたんですが、特に栽培方法の指導はなかったんで、自己流で育てやってみました。日陰があったほうがいいと思ったんで、樹の周りに植えてみたら、上手く育ってくれて満足しています。今年できたターメリックを種にして、来年はもっとたくさんのターメリックを育てるつもりなんです。」

あまりに珍しい日本人の突然の訪問に、少し緊張しながらも、時に嬉しそうに語ってくれました。さらにこのターメリックの品種は後に、クルクミン(黄色のポリフェノール化合物)の含有量が高いことで有名な「ラカドンターメリック」だということがわかりました。ラカドンターメリックの原産地はシッキム州の東のメガラヤ州ですが、同じヒマラヤ造山帯ということもあり、スパイスボードが生産を拡大するためにメガラヤ州の農家から買い取り配っているのです。

今年栽培したラカドンターメリック。断面の色の濃さからクルクミンの数値の高さが伺える

御年73歳を迎えたというシンビルスヴァさんには5人の子どもがいて、全員が家をでて別の仕事をしているのだそうです。種まきや収穫で労働者を雇うこともあるそうですが、基本的には奥さんと2人だけ。夫婦で協力しながら、先祖から受け継いだという農業一本で生計を立てています。一年の収入を伺ったところ、7000ルピー(約12000円)というので、何度も聞き返してしまいましたが、基本的に食べ物は自給しているのと、有事には子どもたちにサポートしてもらうそうなので、少し安心しました。

奥さんが用意してくれたお水をいただくと、スモーキーな香りが。それもそのはず、薪を使う伝統的なキッチンで沸かしたお水だから。スマートフォンもなく、これまで見てきた農家の中でも最も素朴な暮らしでしたが、丘から望む景色は絶景で、この土地で生きる喜びを、お裾分けしてもらった気がしました。

「鹿が野菜やら食べてしまうんで、そういう意味でもターメリックはいいです。食べられんでいいからね。」

シンビルスヴァさんが言いました。日本でも鹿による農作物の被害がありますが、ヒマラヤ造山帯でも同じ状況が起きていました。さらに近年はブラックカルダモンと同様、降雨量の減少や気温の上昇の影響で、農作物の収穫量が減ることもあるそうです。ラカドンターメリックは高価格で売買されるため、今回のターメリック栽培の挑戦が、彼の生計が安定につながることを願わずにはいられませんでした。

シンビルスヴァさんと奥さん。シッキムの公用語はネパール語で、チベット仏教徒も多いですが、この地域はヒンドゥー教徒が多いのだとか
シンビルスヴァさんのお家。ヒマラヤ造山帯と街を見下ろす眺望

実は私が訪れる2ヶ月前、シッキム州では大規模な洪水があり、この地域でも多くの方が亡くなりました。その中には、スパイス農家もいらっしゃったようです。原因は北部での突然の豪雨と氷河湖決壊、ダムの崩壊という複合的なものだそうですが、前者2つは気候変動が少なからず影響をしているでしょう。

今回の滞在で、ヒマラヤ造山帯は標高が高く涼しいため害虫のリスクが低いこと、手付かずの自然が多く肥沃度も高いこと、さらに伝統的に農家はオーガニック農業を継承してきたこと…様々な点でオーガニックスパイスの生産に適したエリアだと知ることができました。その一方で、気候変動の影響を受けていることも、事実として広く伝えなくてはいけないと感じました。

次回は、北東インドメガラヤで州で、幻のターメリックと呼ばれるラカドンターメリックについてさらに深堀していきます!

シッキムを案内してくれたヴィヴィックさん。ベジタリアンで作り方を教えてもらったベジモモが最高に美味しかった!






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