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スパイス革命前夜|「顔の見えるスパイス」

インドにおける唐辛子の歴史は、1498年にバスコ・ダ・ガマがインドのケララ州コジコードにやってきた時が、その始まりとされています。実は他のスパイスと比較するとその歴史は浅く、100年後、600km北のゴアまで到達した唐辛子は3種類だけで、当初インド人の食文化に定着するまでには思いのほか時間がかかったようです。

そんなインドが、現在では世界最大の唐辛子の生産国および輸出国にまで上り詰めました。インドの唐辛子生産の40%以上がアーンドラプラデーシュ州のもの。中でもグントゥールという地区だけで、インドの唐辛子の総輸出額の半分の量が輸出されているというのだから驚きです。(参照記事

アーンドラプラデーシュ州の経済の一端を担っているとも言える唐辛子。インド政府はその輸出を支援するために、アジア最大の唐辛子取引市場であるグントゥール・ミルチ・ヤード(詳しくは前回の記事にて)の本拠地に、政府機関「スパイスボード」の拠点を置きました。

スパイスボードのオフィスはグントゥール・ミルチ・ヤードと同じ幹線道路沿い。多くの唐辛子企業が同じ道路沿いに倉庫やオフィスを構えています。

そこで私は、唐辛子農家に関する情報収集も兼ねて、唐辛子を専門に輸出やマーケティングの支援をしているというスパイスボードのオフィスに伺いました。アポを取った時間よりも早く着いて、個室の前で待っていると、体格の良い男性が携帯電話で話しながら中に入って行きました。漏れ聞こえる声だけでも、とても忙しそうな様子。しばらくして電話が終わり、部屋へと招き入れてくださったのは、所長代理のアナン・デバルマさんでした。

「お忙しいところすみません。」

と言うと、

「気にすることはないよ。あなただって遠いところから遥々きてくれたんだ。何でも聞いてくれていいからね。」

と、電話よりもゆっくりとした口調で受け応えてくれました。私は安心して、彼らの取り組みについて質問してみました。

「まず、スパイスボードは中央政府の機関で、スパイスの研究や政策決定、輸出と広報を行う組織。海外に輸出されるあらゆるスパイスが、私たちスパイスボードの検査を経ているんだよ。

プレハーベストは別の組織の管轄で、我々の対象はあくまでポストハーベストに関するもの。輸出者はあらゆるスパイスのサンプルを私たちに送り、輸出に関する検査を行うんだ。この2階には世界基準の研究所があり、そこで輸入する国の基準に見合うかをあらゆるパラメータにおいてチェクをする。もしも基準に合わなければ、彼らは輸出することができないからね。

現在輸出をする唐辛子を生産する多くの農家が、オーガニックの手前のIPM(総合的病害虫管理)に取り組んでいて、世界基準に見合うようにガイドラインに沿った生産をしている。最近だと、インドネシアの農業省のメンバーが、輸入するIPMの唐辛子の視察にやってきたんだ。これはその時の農園の写真で、ここに害虫のトラップがあるのがわかるかな?」

そう言って見せてくれたトラップは、先日私が訪ねた企業「Guntur Mirch」が開発・生産していたものと同じでした。12月に収穫が終わってしまったそうですが、グントゥールの中心から離れた郊外に農園があるようです。

Guntur Mirchで見せてもらった害虫のトラップ。

また、現在スパイスボードはUNDP(国連開発計画)とブロックチェーンを使ったスパイスのトレーサビリティに関するコラボレーションプロジェクトを進めています。パッケージのバーコードを読み取ると、そのスパイスがどこの地域のどの農家によって生産され、どこで加工され、どの輸入業者によって輸入されたかなど、全てのプロセスが見える化されるというのです。

実はこの情報、日本でリサーチをしている際にある記事で目にしたことがありました。約85%の農家が小規模農家で、その5分の1が貧困に苦しんでいるという課題があるインド。「マンディ」と呼ばれる公設市場で農作物を販売することが義務付けられていたことで、一部の仲介業者が小規模農家から不当な価格で購入していたそうです。そこで2020年に新農業法が施行され、農家が直接民間企業に販売できるようになり、自由化が進みました。

一方で民間企業による買い占めや価格操作も懸念としてありました。このブロックチェーンを使った取り組みがその解決策の一端を担うというのです。バーコードを読み取ることで、小規模農家は、流通過程の価格や相場を知ることができます。それにより、搾取をされにくくなるのと同時に、スパイスの品質に見合う適正な価格を知り、品質の向上または低下を防ぐ対策をとることができるようになります。現在開発は最終段階にあるそうで、ローンチがとても楽しみです。

気候変動に関しては国営のリサーチセンターやKBKといった民間企業がフィールドレベルで研究をしているようで、彼らとの協働が進められてます。スパイスボードのスタンスとして、持続可能なスパイスの輸出に向け、環境課題に対してどのように対策をしていくかが主な焦点になっているのです。

偶然見つけた、スパイスボードの近くの唐辛子の選別所。ブロックチェーンでの管理が進むと、こういう作業所の情報も開示されるはず。

翌週、私はアナンさんに許可をもらい、スパイスボードが施設を提供している「スパイスパーク」に行ってきました。そこで見学させてもらったのは、「ITC」という食料品製造販売を行う大手企業の製造ライン。ITCは元々国営のタバコ製造会社でしたが、50年前に民営化しています。インドの企業の時価総額ランキング12位で、日本企業とも取引をしている彼らの工場を見学させてもらえる貴重な機会。

そこでは主にチリパウダーとチリフレーク、ターメリックパウダーの製造を行っていました。取引先はメーカーや商社といった企業で、それぞれのオーダーに合わせてカスタマイズした加工を行っています。工場内はきちんと衛生管理が行われていていますが、咳き込むほどの唐辛子の香りが。ちょうどラインが切り替わるタイミングだったので、ターメリックの加工はストップしていました。

ITCの施設。セキュリティに怪しまれながら、2度目の訪問の末見学することができました。

製造ラインにいる人たちの多くが女性で、私を案内してくれたのも20代半ばの女性、レシュマさん。何フロアにもわたる大きな機械を、チリパウダーの製造工程の順に沿って説明してくれました。買い付けられた唐辛子は機械に投入されてすぐにヘタや種など不要な部分を取り除き、プレカッティングされます。そこからパウダーに加工された後にパッケージされますが、逐次同施設内にあるラボでサンプルをチェックします。そこで、ラボの女性スタッフに、温度や湿度の管理について質問してみました。

「唐辛子の長期保管はコールドストレージと呼ばれる場所で4度から6度で保管するの。2日、3日程度の期間の場合は室温で保管になるけれど。製造ラインでの加工の温度や湿度は、取引先の要望に応じて全てカスタマイズしているわ。」

湿度は食品の湿度と空気の湿度を見ながら相対的に管理するそうで、カスタマーのオーダーに合わせて調整をしますが、平均で約11%なのだそうです。2時間おきにサンプルの状態をチェックするというのも、さすが大企業というところでしょうか。

ITCの施設ではありませんが、コールドストレージはグントゥールの幹線道路の近くにいくつもありました。

ITCのオフィスに移動し、スパイスの輸出を担当するサティッシュさんにもお話を伺いました。現在アメリカやヨーロッパ、中東をはじめ、日本についても担当しているのだそうです。サティッシュさんは日本への関心も強く、ジャパニーズ・カレーの話をすると興味津々の様子。

ITCは農家から直接スパイスを仕入れ、農家へのトレーニングを通じて、サステナビリティ認証の唐辛子も生産していました。それらはグントゥールではなく、郊外の村で生産しているのだとか。というのも、グントゥールの近郊は化学肥料や農薬を使って大量生産している農家がほとんどなのです。

輸出の際には各国の規定に合わせて成分検査を行っていて、例えば農薬やカビ毒の一種など、規定にある全ての数値をチェックして、農家に対して種まきから収穫まで適切なフィードバックを行っています。このプロセスを通して初めてサステナビリティ認証の商品を作ることができ、こうしてカスタマーのニーズに対応しているそうです。

また、2018年からオーガニック商品の生産に着手をして、そのバリエーションは、唐辛子、ターメリック、アジョワン、フェンネル、フェヌグリーク、カレーパウダーと多数。グローバルギャップ認証とレインフォレストアライアンス認証は現在唐辛子のみで取得していますが、今後はクミンやターメリックとアイテムを増やしていく予定だそうです。

こうしたオーガニックスパイスの生産量を増やすために、農家へのナレッジシェアもしています。例えば、農薬の代替としてトラップクロップスのマリーゴールドを植えること。またフェロモントラップを使用して虫害対策をするといった対策があります。2020年から始めたこの取り組みを通じて、2022年にはオーガニック認証を取得することができたというから、なかなかのスピード感。

さらにITCは、2030年までに50%再生可能エネルギーに切り替え、温室効果ガス排出量を50%に減らすという目標を掲げています。既に現在40%を再生可能エネルギーでまかなっているので、予想以上の実行力でした。

ITCのサステナビリティ目標(年次報告書より)

そして、スパイスボードで聞いたブロックチェーンの導入についても意見を聞いてみたところ、ITCは既にバーコードをを使ってトレーサビリティを確保していました。収穫から乾燥、選別、加工といった全てのプロセスでバーコード管理がされているのです。

日本に届くスパイスの、全てのプロセスで関わった人を知るなんて、途方に暮れそうな事だなぁと思っていましたが、今回の滞在で「顔の見えるスパイス」が、既に現実的になっているということに驚きました。

今インドは、スパイスの革命前夜なのかもしれません。

ITCのサティッシュさん。農家さんの事情にも詳しくて、フレンドリーな方でした!

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