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「マリウポリの十字架」敵を愛し友に変え平和を創れ

クリスチャンとして、僕はどの国のどの民族のクリスチャンも愛すべき同じ神の家族だと信じます。それは、もし戦争が起きたとしても変わりません。敵国の中に住むクリスチャンは憎むべき敵ではなく、愛すべき兄弟姉妹です。その愛の関係を創るためにイエス・キリストが十字架で死に、復活されたのです。

戦争・貧富・差別のない世界が来るのを願うのか。願います。そういう世界のことをキリスト教では「神の国」と呼びます。イエス・キリストはクリスチャンに祈り方を教えるとき、神の国が来るように祈れと教えました。神の国とは、天と同じように地にも神の心が、互いに愛し合うことで成就する世界です。

人が神を愛し、また互いに隣人として愛し合うこと。これが神が世界を創造したときに目指した世界です。しかし今世界はそうなっていません。戦争が起き国と国が対立しています。神の目指した世界ではありません。人がこれを壊しました。まず神の愛と善への信頼を捨て、自分勝手に事の善悪を決めました。

自分が良いと思えば良いことで、悪いと思えば悪い。自分中心に生き、神も他人も愛さない。自分さえ良ければ。自分のグループさえ良ければ。自分の国さえ良ければ。他者を踏みにじり搾取し、強い者が弱い者から奪う世界です。一国の中でも国際社会でも、奪い合いです。愛を探してもどこにもありません。

神は愛です。だから神を失えば人は愛を失います。だから愛について人が学ぶ助けを、神はずっと続けました。神の民を選び定め、彼らに戒めと預言者を与え、神の道に立ち返るよう努力しました。しかし人は聞きませんでした。最後に神は自分の子を送りました。愛である神の子が、人として愛を見せました。

神の子イエス・キリストは人に神の愛が何であるのか教えました。言葉で説明して教えるだけでなく、生き様を通して実践して示しました。生き様だけでなく、十字架で殺されても相手を赦す死に様を通して、神の愛を伝えました。神はイエスを復活させ、この愛の生き方が何より正しいと全世界に示しました。

十字架と復活を通して、人は自分の愛さない生き方が間違いであると悟り、その愛が自分を愛する神の愛だと悟り、今までの自分勝手な生き方の束縛から開放され、他者を愛する自由を得ます。それが「愛さない罪からの救い」です。僕は救われました。そして神に敵対する者から神の愛する養子とされました。

クリスチャンは皆、神の愛する子とされた人たちです。そして、クリスチャンは皆、イエス・キリストから、全ての国の民に、イエスの命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教える働きを委託された人たちです。だから僕はクリスチャンの仕事は伝道だと信じます。伝道とは神の愛を伝えることです。

だから戦ってる場合じゃないんですよ。戦いの準備をしてる場合じゃないんですよ。少なくとも僕はそう思います。神の愛を伝える。神の愛を教えたイエスの教えを教える。それこそ神の子とされた者の急務であり優先して取り組む必要のある課題だと思います。一人でも多くに少しでも早く神の愛を伝えたい。

キリスト教のメディアをやってるのも、ツイッターでつぶやいているのも、プログラミングで教会開拓の道具を作っているのも、全部、神の愛が一人でも多くの人に伝わって、人が救われ変わり、神の国が一日でも早く来ますようにと祈るからやってるんです。そうやって戦争も貧富も差別もなくしたいんです。

ウクライナにロシアが攻め込んで人が沢山死んでます。どの国にも敵意の象徴である武器があります。だから、どうするのか。だから敵意を廃棄された方イエス・キリストを伝えるんです。初期のキリスト教の最大の敵はサウロというユダヤ人でした。イエス・キリストは彼を愛し最大の友パウロに変えました。

戦争に溢れた世界に平和をもたらすのはイエス・キリストです。敵を友に変える愛で人を変えたイエス・キリストです。その愛で互いに愛せと命じたのはイエス・キリストです。そうやって敵を愛せば友になり平和を創ることができます。「平和を創る者は幸いである」と、イエス・キリストが言った通りです。

自分は自分が神の子とされたのを信じ自覚しています。しかし他の人はどうでしょう。認めるでしょうか。敵を愛し友に変え平和を創ってこそ、神の子と呼ばれるのです。互いに愛し合う時にあれはイエスの弟子だと全ての人に認められるのです。イエスから愛を学びましょう。そして互いに愛し合いましょう。

写真:Tweet from Ukraine 4 Freedom @uawarinfo


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