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アヒルと鴨のコインロッカー

私は、お腹がすいたとニャアニャア助けを求めるノラ猫にならすぐに救いの手を差し伸べてあげられる気がするけれど、通りすがりの人がお腹空いたと寄って来たら多分私は逃げ去ってしまうような気がする。

動物になら優しくできる。けれど、人にはどこまでも残虐になれる人もいる。ヒトラーは、ビーガンで動物愛護家だった可能性がある、と聞いたことがある。動物に優しいのと、人に優しくできるのとはまるで違う。

伊坂幸太郎さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』を読んだ。

ミステリー小説で、トリックは、ごく簡単なものだった。
人は、最初に植え付けられた先入観と、固定観念は簡単に打ち破ることができないのだ。ただそれだけなのだけど、虜になってしまった。だが、ラストはものすごく、もやもやするので、明るい気分になりたい方にはとてもオススメできない小説だ。

本書は、大学に入学するために引っ越して来た椎名という青年が、自室の玄関でボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌っていたら、辞書の『広辞苑』を盗むのを手伝って欲しい、と同じアパートに住む河崎という青年に声を掛けられ、言われるままに書店の裏口で見張りの手伝いをしてしまう。そして、椎名は、河崎と、その元恋人の琴美、そして琴美の同居人であるブータン人のドルジの間に起きた物語に巻き込まれてゆく。(ボブ・ディランの『風に吹かれて』を読了した後に聴いてみたが、この小説にこれほどないくらいぴったりの曲だ)

ドルジの母国の宗教は、神の存在と、輪廻転生と因果応報を信仰するものだ。私は、この信仰は、生きる上でプラスにする方向に使うだけであれば良いと考えているが、この小説の登場人物はドルジから聞いた信仰に対し、いいとこ取りをし、結果、悲劇を招いてしまう。
あの世と霊魂の存在については、かつてイギリスでコナン・ドイル等がその存在を否定するための研究を行い、あの世と霊魂が存在する可能性を完全に否定するのに十分な証拠が得られなかったことから、あるのではないかと言われていると聞いたことはある。ただ、これについては部分的に知っているだけでは諸刃の剣にしかなり得ないと感じる。きちんとした土台がなければ、決して使ってはならないと思う。
また、ドルジは、命を懸けて動物の命を救うことはできるが、動物の命を粗末にする人間に対しては、残酷な一面を現す。それも、多くの人を巻き込む悲劇に繋がってゆく。

この小説の最大のテーマは、起きている出来事に対して、決して無関心であってはならないということである。
河崎は、エイズという感染症に対して他人事で、容姿が良いことを武器に不特定多数の女性と避妊具なしの性交渉をした結果、エイズに感染し、他者に感染させてしまう。
琴美は、連続して起こっている動物虐待の犯人に遭遇し、彼らに身元がばれ、嫌がらせを受けているにも関わらず、自分事でありながら、他人事にしてしまい、近しい人や警察へ助けを求めようとはしない。そして、それは更なる悲劇を引き起こす。
琴美の勤務先であったペットショップの女性店長、麗子においては、他人に対してそもそも関心がなく、全く干渉しない。だが、多くの人はそうなのである。彼女は、人一倍正義感があり、優しい人だ。そして、悲劇を目の当たりにした彼女は、「助けられる人は助けたい」と行動して実践する。

河崎と、椎名は終盤、神様を閉じ込めて、悪事を神にばれないようにしようとする。だが、私は大きな過ちがここにあると思う。あくまでも私が考える仮説であるが、もし、輪廻転生というものがあるとするならば、自分がやってしまった事柄の管理をしているのは、神様ではなく、自分自身の魂ではないのだろうか。そうすると、やってしまった事は、魂の中にDNAのように刻まれていき、したことの因果をいつか自分で自分に返すということになる。だとすれば、自分がしたことを自分で管理している限り、どんなに隠しても、なかったことにはできないのだ。

私たちは、地に足の着いた考え方で、地に足の着いた行動をとって生きてゆくしかないのだと思う。

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