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追憶のヒロイン

人に貸して戻って来なかった本のひとつが、『夜は短し歩けよ乙女』だ。
本の話で意気投合したと思えた、会社の先輩に貸したっきり戻ってこなかった。
その先輩は、小説を一切読まない人だと少し経って知ったが、もう後の祭りだった。

私は『夜は短し歩けよ乙女』に、社会人一年生の頃、赴任先の田舎の小さな本屋で出会って、宿舎へ連れて帰った。
初めての一人暮らしに、テレビも車もないちょっと寂しい生活の中、その本は私の生活に癒しを与えてくれた。

本書の主人公『黒髪の乙女』に私は憧れた。
大酒飲み、天真爛漫で、ハラスメントもどきのこともするりとかわし、敵を作らない。それに、即興で物事に対応してみるという度胸もある。
彼女は、大学生でありながらも、社会を渡るために必要な道具を完璧に兼ね備えていた。

『黒髪の乙女』のようにとは決していかないが、社会や町を時に知的好奇心を満たしながら、時に四苦八苦しながら歩くことで、そこには、また別の私の『夜は短し歩けよ○○』が誕生する。私が彼女と似ているのは、大酒飲みな点だけにも関わらず。
○○の中には、何が入ってもいい。
この物語は、年齢性別、職業問わず、自分の物語に置き換えることができるのが魅力だ。だが、『黒髪の乙女』も最後は風邪が蔓延する京都の街を救うべく歩く。自分のためから、他者のために歩く、に変貌する。
他者から頂いたものは、いつか別の形で別の誰かに恩返しをしなければいけない日がくる。その最初の一歩は、五里霧中で苦痛が伴うことがきっとあるのだと思う。

多くの仕事はそうだが、私が携わる土木業も、明確な正解がない。
土木技術者としても人としても、少しずつ階段を上る過程で、私は度々頭を抱える難題にぶち当たっていた。
階段を上るにつれて、なぜだか孤独になってゆく、そんな気がする。いや、ひょっとしたら上っていると思っていても、下っていたのかもしれない。

二年ほど前も、また、壁にぶち当たってしまい、八方塞がりで、世界でも色んなことが起き、私自身も身動きがとれなくなった。

完全に迷子になっている中、そのとき既に手元にはなかった『夜は短し歩けよ乙女』から派生した『闇の中の光』というエッセイを書いた。
そこには、私の社会人になって最初の上司であり、親のようでもあったTさんとその奥さんが登場する。
Tさんとその奥さんみたいな人が、きっとこの世界のどこかにいることを書きたかった。それが誰か一人の人にであっても、生きる希望になればと思った。
そして、それはTさん夫妻に宛てた私からのメッセージでもあった。読んでもらえることは限りなくゼロに近いと思っていても、そんな二人と出会った一人が、ここにいますよ、って伝えたかった。

Tさんは、私がスランプに陥る少し前に、誰にも理由を告げずに、突然、会社を辞職した。
それから、どこで何をして暮らしているのか分からない。

幕末の志士のような精神をした(実際に幕末の志士に出会ったことはないが)自分に厳しい、Tさんらしい鮮やかな辞め方だと思った。

Tさんの病気の具合が悪くなったのかも知れないと気になっていたら、極めてよくありがちなシチュエーションの夢を見てしまった。
愛犬と散歩していたら、ジムニー(車種名)が止まって「ホクト氏!」と呼びかけられた。
その運転席にTさん、その横に奥さんがいた。二人とも満面の笑顔だ。
驚いて声すら出ない私に、Tさんはこう言った。
「今まで、世話になったなぁ。本当にありがとうな。元気でな。」
そして、ジムニーは走り出した。私は愛犬と後を追いかけたがあっという間に、消え去ってしまった。

ただの夢に過ぎないが、その時の私は道標をも失ってしまったと勘違いしたのだと思う。

森見登美彦さんの中でもう一つ、私のお気に入りの小説が『ペンギン・ハイウェイ』だ。
この小説は、ペンギンが出現し出し、それに歯科助手のお姉さんが関係していると推測をしたその街に住む小学校四年生のアオヤマ君が、その謎に挑むSF作品だ。
この中で、お姉さんはアオヤマ君のことを、『少年』と呼ぶ。いずれは、人類代表になるとお姉さんに語っていたアオヤマ君のことを、少年の代表として呼んでいるような愛のある呼び方だと思う。

Tさんは、私を『さん』付けでも、『ちゃん』でも、『君』でもなく、『氏』付けで呼んでいた。
私はこの呼ばれ方を気に入っていた。
今まで思いを馳せたこともない、私の多くの先祖たち。私は、その先祖代表として、この地球にいるような気分になった。
その先祖の知恵を結集すれば、きっとなんだってできるはずで、その遺伝子も持っているはず。しかし、実際には、ちっぽけな人間にすぎない。
でも、『氏』という響きには、何か新しい私を呼び覚ます、そんな力があるような気がする。

Tさんが私によく言っていたことを、思い出してみる。
「俺が全部責任とってやるから、お前はやりたいこと全部やれ。」
「仕事を、バンバンとってこい。」
「喧嘩上等、バンバンやれ。その代わり間違ってたら、そんときはしっかり謝りゃあいい。」
もっと、もっとある。

今度は、私のやり方で、誰かに伝えていかなければいけない。

そんなことを深夜、土木の資格試験の勉強をしながら、Mr.Childrenの『フェイク』をダークだけどいい歌だなぁなんて思って聞いていたら、ズルズルと思い出してしまった。

土木の資格試験は、合格を諦めて、ここしばらく受けていなかったが、同じ会社の70歳の人が合格したと聞き、前に進むのを諦めてはいけないと思い、再び挑戦することにした。
仕事が山ほどあるのは嫌だが、仕事をとるには、資格は断然あった方がいい。

フェイクのど真ん中にもファクトがある、ダークネスのど真ん中には、ライトがあるはずだ。

かつて、土木建設工事中に大規模な自然災害が起きて、眉間に深くシワを寄せて仕事をしていた私に、Tさんがこんなことを言った。
「ホクト氏!知ってっか?宇多田ヒカルがよ、すごいバカみたいな、くまの歌を作ってんだよ。」
私が首を横に振ると、Tさんはこう続けた。
「そのくまのライバルはエビフライで、前世はチョコレートとかいうんだぜ。あの宇多田ヒカルがだぜ、信じられっか?」
私は、Youtubeでそれを聴いた。
ほっといたら息をするのも忘れて、まるで幽体離脱でもしそうな激務の中、この世に繋ぎ止めてくれる、そんな歌だと思った。そして、Tさんは、そのくまの歌が好きなんだな、とも思った。
その日から、私も宇多田ヒカルさんが好きだ。

私はとりとめもなく、色んなことを思い出したこの日、寝る前に、宇多田ヒカルさんの『Good Night』を聴いた。

『ペンギン・ハイウェイ』のラストで、アオヤマ君は、こう語る。

ぼくは、世界の果てに向かって、たいへん速く走るだろう。みんなびっくりして、とても追いつけないぐらいの速さで走るつもりだ。世界の果てに通じている道はペンギン・ハイウェイである。その道をたどっていけば、もう一度お姉さんに会うことができるとぼくは信じるものだ。これは仮説ではない。個人的な信念である。

森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』

Tさん夫妻が走って行ったハイウェイは、何ハイウェイだろうか。
そして、私はそのハイウェイを、どのくらいの速さで走ればもう一度あの二人に会えるのだろうか。
もし、また会えたら、一番に「ありがとう」って伝えよう。
なんて、考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。

(了)


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