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徒然草 幸せって何だっけ?

私が、家族のことについて描いた映画の中で、最も好きな映画の一つは、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」である。

この映画は、家族に潜む闇も、探求していくことで光を見つけ、結局光で飲み込んでしまう。

多分、これからもいっぱい波風が立つことがあるだろうけれど、きっと彼らは何が起きても大丈夫だと思う。

興味のある方は、こちらで紹介したので、ご覧になって頂ければ幸いである。

この映画は、断然オススメしたい。

今日は、別の映画を思い出した。

最近は、こんなご時世だからだろう。

幸せについて考えることが多い。

でも、幸せって何なんだろうか?

自分が幸せかっていう判断は、もちろん主観的なものだが、他人からみた自分の幸せは客観的なものである。

結局、どの位置からフィルターをかけて見るかによる。フィルターというのは、植え付けられた固定観念である。

こんな家族だったらイヤだなぁ、と思うので、決してオススメできる作品ではないが、圧倒的に幸せな(幸せだと思い込んでいる)沖縄の家族を描いているのが、「ホテルハイビスカス」である。

この映画は、全員父親が違う(上二人は米兵の子、末の子はうちなんちゅの子)兄妹と、水商売で一家を支えている母親、沖縄戦の影響で戸籍がない父親、あと何だか霊感のありそうなおばあちゃん、一人限定でしか宿泊できない客との家族模様が、末のやんちゃな女の子を主人公として描かれているものである。

この映画の見所の一つが、余貴美子さん演じる母親だが、ここでは節操がない、いい加減な感じの役がすごくはまっており、すごい俳優さんだなぁ、と思う。

とにかく、ものすごく風変わりな家族で、貧乏そうだし、やることなすことハチャメチャなのだが、家族関係はすごくハッピーなのである。

この家族の唯一の強みは、他人が考える幸せに全く翻弄されないところにある。

この映画は、沖縄戦を経験した、祖母、父母、そして未だに戦争の暗い影が漂う様子が間接的に描かれている。

どんなことが過去にあっても生き抜いていかなければならない。その過去に翻弄されていては、生きていけないし、世間一般にこうであれば幸せであると思われるものを持つ可能性も、先の大戦で絶たれている。恐らくそれを持ちたいとも考えることはないであろうが、不幸な出来事も丸ごと受け入れてしまっているのである。

他人からなんと言われても、この家族は断じて幸せなのである。

そもそも、この家族が断じて幸せなのはどこから来るかというと、他人と比較しないことにある。

私たちは常に、他者と比較し続けて生きている。その他者とはあくまでも、上辺だけの他者である。そして、自分が持ち得ていないものを他者の中に見出だし、それを持っていない自分を不幸だと思い込む。

しかし、上辺で見えるもの、というのは、実際は、上を見ても下を見てもきりがないのである。しかも、上辺ってのは、装えてしまったりする。

結局のところ、不幸というのは、主観で見た決めつけに過ぎないのかもしれない。

コロナ禍で、今までの物質主義的な価値観は崩れてきているという話を最近よく聞くようになった。

本当の幸せとは、宮沢賢治が、亡くなる数日前に教え子に宛てた手紙に全て表れているような気がする。

以下に抜粋する。

風のなかを自由にあるけるとか、

はっきりとした声で何時間も話ができるとか、

じぶんの兄弟のために

何円かを手伝えるとかいうようなことは

できないものから見れば神の業にも均しいものです。

そんなことはもう

人間の当然の権利だなどというような考では、

本当に観察した世界の実際と余り遠いものです。

どうか今の生活を大切にお護り下さい。

私たちは、今持っているものに目を向けない。そして、ないものをねだる。

だから、今持ち得ているものがどれだけ幸せにしてくれているかを私たちは深くは理解できないのだと思う。そして、失って始めて、それがどれだけ幸福なことであったか理解できるのではないだろうか。

そうすると、幸せって、宮沢賢治のいうとおり、健康が鍵の一つなんだと思う。そして、賢治のいう、今の生活を護るとは、単なる物質的な安定のことではなく、社会に翻弄されて人の心を失ったりすることなく健康を護るということであると理解できる。

社会や他者に翻弄されずに、そして、こうでなければないという固定観念に執着することなく柔軟に生き抜いていくこと、これこそが真の幸せの鍵なのかもしれない。

※一部不適切な表現もあるかも知れませんが、ご了承下さい。

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