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歯医者を観察して感じた世界

私は歯医者が大嫌いだった。

ところが、2020年の新しい感染症が流行する真っ只中、どうしても行かざるを得なくなり歯科に通った。
私も世間も、人との接触を避け、殺伐とした空気が流れていたのに、その院内には、全く感染症を気にしていない雰囲気が流れていて、いつもどおり、患者の治療にあたっていた。
あまりの普通さに拍子抜けしてしまうくらいで、どういうわけだか、全く癒されるはずのない歯科に癒され、現在は歯の定期検診をしてもらうことも含めて、半年に一回、先生や歯科衛生士さんたちに自ら会いに行くようにしている。

先日、歯の定期検診を済ませてきた。
その際に、歯科の先生に持っていこうか最後まで悩んだ挙げ句、結局、当日の朝、プリントアウトして持っていったものが、数ヶ月前、noteさんとPanasonicさん合同のコンテスト『#清潔のマイルール』でダ・ヴィンチ賞をいただいた『仕事からつくる』という私のエッセイだった。
これは、歯科の先生方から着想を得て、私の仕事(農業用水路をつくること)に結びつけたものを書いた。
私が書いたエッセイの中に登場する人のほとんどは、もう物理的に会うことはできない人も多く、また誰かを特定できないような記載にしていることもある。
評価していただいたもの、しかも登場している人が自分のことを書いていると分かるものを、直接その人に渡せる機会なんて、もう巡って来ない奇跡に近いことなのかもしれない。

そんなこんなで歯科に向かい、ちょっと緊張しながら待合室で呼ばれるのを待った。

これを書くにあたって、生物学ど素人の私が言及を避けたキーワードがひとつある。ウイルスという言葉だ。
ウイルスとは、生物と無生物のあいだに存在するものだそうだ。そして、菌とは違って、宿主の身体があってはじめて生物となり、一般的に、動物からヒトへ感染するものらしい。

昨今流行した感染症は、獣医学者の宮沢孝幸先生によると、風邪のウイルスにもみられる構造を持つもので、決して極端に恐れる必要はないものだという。
また、ヒトは大昔からウイズ・コロナで、日本人は今回の感染症に対する抗体を元々持っていたのではないかと考察されていて、この種のウイルスは、追いきれないくらい変異することを示唆されている。

それならば、変異の数に対応するのではなく、ウイルスの器となる身体を根本的に改善できるのであれば、それに越したことはないのではないかと、私は考えてしまう。

農作物の場合は、土づくりが命で、土さえ健康であれば、大概、病気にかからずにきちんと育ってくれる。
仕事等で出会う農家の方が少しずつ移行しているのが、農薬や肥料を使用しない、自然の力を最大限活用して、労力やコストできる限り落とす農法だ。
例えば、ある農家では、自家製の菌で農作物を発酵させた堆肥を使い、微生物たっぷりの肥沃な土壌にし、通常は苗を食べるから害虫とされているタニシを水位をコントロールすることで、雑草だけを食べてくれる優秀なパートナーとして活用している。
敵対関係を共存関係に変えるという発想の転換を繰り広げている方が多く、土木屋の私にはまだまだ未知の世界で、ワクワクしてしまう。

生態系を全部味方につけようとする背景には、燃料や肥料等の高騰が理由のひとつだ。
また、日本の食糧自給率は30%台で、それには農薬、肥料、種とか雛等の海外からの輸入が含まれておらず、それを換算すると限りなくゼロに近付く。
そして、昨年からの戦争の影響で、最悪の場合、輸入が止まる可能性もなきにしもあらずという。

だけど、激動の社会の状況にただただ脅かされてstayしてしまうのではなく、それを横目で見つつも振り回されず、今あるものの中から自分ができることを見つけ、突破口を抜けていく人たちがここ数年、頭角を現していることに驚いてしまう。
それは、歯医者しかり、農家しかりで、生き抜く力が自然に備わっている人というのは、こういうことなんだ、と感じてしまう。

生物学者の福岡伸一先生は、狂牛病が種の違いを超えてヒトに感染するヤコブ病となったことを受け、私たちが現在失いつつあり、再考すべき、必要なものを訴えかける。
一点目は、『環境が人間と対峙する操作対象ではなく、むしろ環境と生命は同じ分子を共有する動的な平衡にあるという視点』。
二点目は、『できるだけ人為的な組み換えや加速を最小限に留め、この平衡と流れを乱さないことが本当の意味での環境を考える』つまり、『私たち自身の生命を大切する』ということに『繋がるという認識』だという。
ウイズ・コロナで生きる上で、今後取り戻すべき事柄は、全てこれに集約されているのではないかな、と思う。

そんなことを考えていたら、あっという間に診察室に呼ばれた。
先生はいつもどおり、「元気だったかい」と聞く。私は「元気です」と答え、軽く世間話をして、検診をしてもらい、すっかりエッセイを渡しそびれてしまった。

支払いを終え、歯科衛生士さんにエッセイを託し、なんだか恥ずかしくなってあたふたと医院から逃げるようにして出た。

私にはまだまだ生存能力がない。

先生は、高齢で、いつ引退宣言をしてもおかしくはないのかもしれないし、私の御都合主義なのかもしれないのも理解しているが、先生への感謝と、できたらもうしばらく続けて欲しいという気持ちは伝わっただろうか。

(完)


本記事を書くにあたって、以下の書籍を参考にしました。


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