酒仙人
かつて、会社の上司だった人は「俺たちは、文字どおりの水商売だからな」と、よく私に言っていた。
水商売とは、まるで水のように、収入が安定しない仕事のことを意味するそうだが、私たちのそれは、家庭の上水、工業用水、農業用水等の水を送るための施設を造ったり、改築したりすることなので、間接的ではあるものの、確かに、文字どおり水を商売にしていると納得した。
そして、その言葉いいな、と思った。
一般的に、土木屋は、酒好きが多い。
だから、飲み会の時は、三国志のリアル張飛が大勢集まったようになる。なお、私も例にもれず、この部類にきっちり収まっている。
「これ、俺たちが関わった水でできてるんだぜ」なんて言いながら、ビールの入ったジョッキを掲げる、同僚たちと飲む酒は最高だ。
仕事中は、お互いの価値観等の違いから、どうしても衝突してしまうことがある。
内心、『コンチクショー』なんて、憎たらしく思っていても、一緒に飲んでいるうちに誤解が溶けたりする。
仕事中にはしなかった話、例えば、子どもの話を聞いたりすると、どこにでもいる普通の人だったんだと、当然のことを思い出す。
そうして、お酒で身体が温まると、次第に、胸もほんわかしてくる。
一旦、嫌なことがいっぱいあったとしても、その日までのことを水に流し、思い出の箱にしまって、明日から気持ち新たに、また延長線を描こうという力を持たせてくれるのが、お酒だと思う。
私は、お酒を飲みながら、とりとめもない思考を巡らせるのが好きだ。
例えば、錬金術について考える。
錬金術というと、魔術のような印象を抱くが、実際は、製鉄技術と同様、火を用いて鉄鉱石の中にある鉄だけを取り出す作業のようなもので、身の回りにあふれている。
錬金術師として、最も有名な人物のひとり、パラケルススは、医師でもあった。
彼は、ヒトの体内にも錬金術師がいると語っている。
パラケルススによると、ヒトが摂取する食べ物の中には、全てに、たとえいいものと言われているものであっても毒が含まれているという。
そこで、体内の錬金術師が、身体にいいものと、毒とを分別する。これが、いわゆる消化である。
錬金術師が正常に働いていれば、自分の身体に合わない異物、つまり毒は排泄され、良いものは血肉となり、身体を染める。
しかし、錬金術師が弱っている場合は、毒が分別されず良いものと毒が一体となり腐敗という現象が起きる。そうすると清らかな水が濁るように、毒の色で染まり、それが病気の症状として現れてくるという。
お酒も、錬金術で造られている。
原料を、腐敗ではなく、発酵させるために、酵母や麹等の菌の力を借りて造る、醸造酒。
中世ヨーロッパの錬金術師たちが最初に造ったとされる、原料を発酵させ、それを蒸留することで不純物を取り除いた蒸留酒。
他にも、前述のお酒と、ハーブや香辛料等を混ぜて創る、混成酒。
まじまじとお酒を眺めると、マンガ『もやしもん』の主人公みたく、酒の中の菌の姿が見えてきそうで、面白い。
それだけでも、風変わりな私は楽しんでいるのだが、お酒と共にいい時間を創るためには、何を食べるか、誰と過ごすかによるところが大きいと思う。
私は、極寒地で暮らしていたことが多いので、特に冬のお酒が美味しいと感じる。
今月(12月)に入って、毎週作っている料理が『ボルシチ』と『おでん』だ。
ボルシチは、農家の方からいただいた、ビーツとコールラビを入れて作る。
じっくり煮込んで、あっつあつにしたボルシチにおでんは、どんなお酒とも合う。
そのお酒の中に、いい時間を過ごした思い出が、ふんわり浮かんできた。
まずは、会社の同僚たちと釣ったワカサギと、お酒だ。
ワカサギは、寒い日によく釣れるらしい。
そんなわけで、敢えて大雪の予報が出ているときに、会社のすぐ近くにある池に釣りに行った。
辺り一面雪に覆われて、ガチガチと震えながら釣糸を垂らす私の上に、雪がしんしんと降り積もっていた。
『なにが楽しくてワシ、休日に、こんなことをしとるんじゃ』と思いながら、ふと同僚らを見渡すと、みな真っ白な姿でぼんやりと浮かんでいて、まるで仙人のようだった。
途端に、なぜか愉快な気持ちになって、ワカサギがエサに食い付く瞬間を捕らえることに専念した。
その後、みなで釣れたワカサギを天ぷらにして、熱燗と共にいただいた。揚げたての天ぷらの熱さと美味しさに、喉をするりと抜け落ちるお酒の温もりに、心も身体も癒されてほっこりした。
次に浮かんだのが、クシダさんと、おでんとお酒だ。
クシダさんは、会社の先輩であり、親子くらい年の離れた友人でもあった。ぶっ飛んだ理論を展開して、上から注意を受けることもあった私の考え方を面白いと可愛がってくれた、唯一の人だったように思う。
仕事が忙しく、解決の糸口が全く見つからなくて、煮詰まっていた年度末、それを察したクシダさんが「飲みに行こうか」と誘ってくれた。
そんなヒマないと一瞬悩んだが、美味しいおでん、という言葉に釣られ、飲みに行った。
大好きなおでんの具、厚揚げ、卵、コンニャク、大根を突っつきながら、お酒を飲んだ。
クシダさんは、私の悩みを聞いて、アドバイスしてくれたが、話しているうちに、全然大したことじゃない、全部解決できるだろう、そんな気がしてきた。
実際に、解決できないことなんてなかった。
その飲み会の日を境に、私は飄々と会社で過ごしている。
私に特別な瞬間をくれたクシダさんは、数週間後、不慮の事故で、この世を去った。
お酒の中に、今までの私の人生を入れて、浮かべてみると、次から次に浮かんできた。
突き刺す寒さ、料理やお酒の美味しさが、あの時のまま鮮明に蘇った。
しかも、どの記憶も、不思議なことに良かったことに変化していて、全部いい時間だったんだと思えた。
それは、お酒の中に棲む仙人が、悲しみや苦しみにばかり呑まれていては、未来に向かって生きてゆけないことを知ってて、いいものを取り上げる錬金術を使っているからだろう。
(完)
本記事を書くにあたって、下記文献を参考にしました。