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SUNNINESS(3) 「だから平野遼を評論する」

さて、鉛筆を削るだけの散漫な待機時間に終わりが近づくと、私は茨の道を進む覚悟でその時を迎えていた。触るとチョット冷たい練り消しが「それでは、どうぞ仕事に生きてください、自分のやるべきことを追い求めてください」と言わんばかりに鎮座していた。仕方なく私は眉間にしわを寄せて誰に促されるでもなく練り消しをこね始めた。そして裸の蛍光灯の下で一時間ほど、顔、膝、手の順に描き込みを加えた。やはり手は実物より大きく描かなくてはいけない。自分の中でひそかに自分の考えを試して喜ぶ自分がいた。やがて手前に迫ってくる手は顔と同じようにことさらくっきりとした姿で目にとまるようになった。それから一時間ほどねばってようやく鉛筆をおき、することもなく自分の絵を眺めていると間もなく午後を知らせるベルが鳴った。
私は肩掛けカバンだけを持ってアトリエを出た。中庭は緑がまぶしかった。見渡せば、裏門の方にはユニフォームを着た守衛さんが突っ立っている。守衛さんは肉付きがよくジャイアン的だ。私はこの光景を忘れることができない。美しいからではもちろんなくばかげた景色だからだ。どういうことかと云うと、このころデザイン科の一台何十万円もするパソコンが盗まれた。大学の学費には格差があり誰もがパソコンを使えるわけではない。パソコンがある部屋には身分証を持って通らねばならない。およその犯行は想像がつくという訳だ。私はその事件と守衛さんとを切りはなして思い出すことが出来ない。学生は自由で、それゆえに無責任で、道徳というものを知らない。アトリエにはときどき絵の具を泥棒する輩が出没するらしい。原付のバックミラーを盗られた用務員のおじさんの「まったく、この学校なら、ろくなことしねぇな」という言葉を私は今も耳もとに聞く思いがする。
とりあえず食堂で日の丸弁当をしたためてお茶をすすると、図書館で新聞を読んだ。あまり頭が働かず、新聞はいい加減に目を通すだけで終わった。時計を見たがまだ二時を回ったばかりだった。登校時間まではあと四時間もある。
ところで、私は妄想をするのが好きだ。この時も同じ志を持った仲間の「おはようさん」が聞きたくて、こんな具合に頭の中でまだ見ぬ友の声を描いた。まずは、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い、いつになく軽やかな足取りで学校までの坂道をあがる妄想だ。校舎につけば冗談の応酬があり、はずむ会話があり、タバコを一服しながら愚痴を聞く時間をもつことができる。「大友」というゆらぐことのない信条を持ちそれをますます発展して「おはようさん」と何回となく呟いてみた。しかし呟いたところで友達が向こうからやってくるわけではない。見込みのない妄想だった。私は私で努力するしかない。心の中に夢を描くしかない。
私の夢はどこにいて、いま何をしているのだろう。じっと雲を眺めた。三年生になり半年が過ぎ去ろうとしている。思い出したのは予備校時代の夏、電車に乗って平野遼展に行った時のことだ。 

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