見出し画像

誰かの「死にたい」は重い

こんにちは。hokoriです。今日はかなり暗い話をします。

自分でもあまり長く生きようとは思わないし、「消えてしまいたい」と思うときはあるのに、どうして誰かの「死にたい」や「消えてしまい」を聞くととても辛くなるのだろうか。

この世の中、特にいまの社会は生きづらい。きっと誰もが一度や二度、この場所から消えてしまいたいと考えたことはあるだろう(そういえばツイッターのRTで、死にたいと考えることは通常の状態ではないと回ってきたような…?)

わたしはしょっちゅう、なにか失敗をすると、「うわああこの場から消えてしまいたい」などと凹むし、ちょっとしたことで軽率に死にたくなってしまう癖がある。こういう思考を変えようとはしているのだけど、なかなか変えられない。

すぐに、消えてしまいたくなったり、死にたいなどと口走るくらいにわたしはメンタルが弱い。それでも。それでも思うのだ。
自分で死にたくなるくせに、他の人が死にたいと言っているのは、とてもつらい。自分で死にたいと思うほどのことよりも、とてもつらい。身体に冷水を浴びせかけられたように、ショックを受けてしまう。

なんでだろう。
どうして、自分のことよりもしんどいんだろう。
いなくなってしまいたいと嘆く知人や、長生きをしたくないという父の話を聞くのはつらい。
そんなことを言わないでほしいと思う。冗談でも。

だけども、わたしはその人ではないから、その人の苦しみはわからない。軽率に「生きていたらいいことがある」と元気づけるのも、なんだか違う。違うけれど、しぼりだして、結局そういう言葉しか言えない。

だったら、お前も死にたがるなよブーメランだよとは思うんだけど、そういう風にうまくもいかない。今日も自己嫌悪に陥って死にたくなった。

矛盾だらけの日々。きっと正解はないまま、ぐるぐると生の道を終点まで歩き続けていく。それでもわたしが生きているうちに、かける言葉の答えが出ればいいな。
そのまえに、自分を大事にしてあげて、消えてしまいたいなんて思わないようになりたいな。

(すぐ凹むのに、推しの笑顔を見ると生きててよかったー!!とめちゃくちゃ元気がでてくるから、わたしはわりとチョロい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?