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163.信仰は自信

はじめに

高野友治著作集第4巻「草の中の聖たち」という本があります。

この本は、「草の中の聖」とあるように、天理教史の中でスポットライトが当たっていない人達(2代目以降の方や、一信者の方など)のお話が沢山収録されているものです。

今日はその中のお話を一つ紹介させていただきます。


信仰は自信


大阪の南河内に東条為次郎という人がいた。居村の赤坂村を中心に十里四方ほとんどおたすけに回らん家はないと言っておられた。屋根に蜂がいて、子供たちがさされて泣くといえば、屋根に上って蜂の巣を取ってやる。蜂が手といわず、顔といわず、むらがって食いつく。
「お爺さん、蜂にさされては大変だ」
と周囲がさわぐと、
「私はな、毒虫にさされて毒がまわるような身体は、神さんからお借りしておらんわい」
と平然としていたという。
これも大した自信だ。
私は信仰は自信だと思っている。すくなくとも学問とは世界が違うのだと思ってる。学問の世界だけが世界ではないのだ。学問ではどうにもならない世界もある。レピ・ブリューエルが「未開の社会の思惟」の中で言うているように、未知の世界は、学問でわかったように思っている世界よりはるかに広大なのだ。言い換えると、学問でわかったように思っている世界は、わからん世界の中の一点に過ぎないと言うのだ。
 それを世の人々は、学問で分からんものは、皆無知蒙昧の世界、迷信の世界と軽蔑してきたし、今も軽蔑している。しかも心の問題は、形がないから証明のしようがない。だから宗教の問題、信仰の世界は、現れて出たところだけを論議の対象とし、現れてこない、また現れてきそうなところは、問題にしないで通ってきた。
(中略)
そこで、信仰者は、今こそ自信を持って混迷せる世界に胸を張って歩かねばならんと思う。信仰者が学問に頭を下げてはならん。学問を克服して、学問を信仰の道具としなければならない。これは難しい。急にはいかない。だが神の教えを間違いなく通っていると言う自信、これはやろうと思えば今でもやれる。昔の人はこの自信を身に付けていたから、怖いものなしだった。

これを読んだ時に、
「今の僕に足りないものはこれか!」
と悟りました。

以前に酔っ払いながら書いた記事でも述べた、
「天理教の教えってそんなに頼りないものなのか?」
と言う思いを抱く原因が、
この自信の無さだったと気づいたんです。

その記事はこちら

学問を武器に例えると分かりやすいと思ったので、例えてみます。

昔の武器は「剣」とか「銃」で、あまり種類も豊富でないため、誰でも練習すれば簡単に使いこなせていたと思います。

しかし、現代の武器は「戦闘機」のような武器もあれば、「コンピューターウィルス」のようなソフトを攻撃する武器もあり、あまりの多種多様さと武器自身の強さに振り回されてしまう人が沢山いるのではないでしょうか。

つまり
現代は武器(学問)があまりにも強力なので、それを道具として使いこなすには、信仰者自身の強さが今まで以上に求められていると思うのです。
(あれ?あんまり分かりやすくなかったかも…)

天理教の信仰者であれば、武器を修理肥と訳した方が分かりやすいかもしれません。

「修理肥(心理学・医学等)がとても良いものになってきたので、それを頼りにお助けにかかる事に、盲信していないか。」

「ものごとの優先順位を間違っていないか」

これについては、常に自分に自問自答していかなくてはいけないと思い知らされています。

二代真柱中山正善氏が、
「信仰と学問の間に矛盾を感じるのは、己が未熟だからである」(意訳)
ということを言われていますが、最近、葛藤を感じているという点で、そのことを痛切に自覚しているところです。


信仰者の自信が力


今回僕が悟ったことは、
「信仰者の自信は力になる」
ということです。

この自信の付け方は、
教理を勉強する事、
自分自身が助けられる体験、
他人が助けられる体験、
布教に出る事等
色々な方法があると思います。

方法は何であれ、高野氏の言う
「自信を持って混迷せる世界に胸を張って歩く」
という事が出来るように、日々精進していきたいと思います。


一番の課題


この自信に関して、まず問題だと思ったのは、
そもそも、「自信を付けたい」というスタートラインにすら立たない方が多いという事です。
特に、信仰2代目以降の自分の意思で信仰を始めた訳ではない人達で、このスタートラインに立たない人が多い事には問題意識を向ける必要があると思います。

このように感じてしまうのは、信仰する「理由」「魅力」を感じない事が原因かと思います。

ですから、
信仰する「理由」や「魅力」の言語化
これが、多くの人に自信(信仰者の力)を付けて頂くためにすべき、一番の課題だと思っています。


ちなみに先日取り上げた「李登輝氏の信仰観」は、まさに信仰の「理由」や「魅力」の言語化したものだと思いますので、まだ読まれてない方は是非読んでみて下さい。


おまけタイム


どーも!TUTAYAに漫画を返しそびれた男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

今日が返却日だった漫画を返しそびれてしまいました。

これも何かの縁という事で、「漫画大好き漫画丸」である僕が、今回借りた漫画の中でオススメの漫画を紹介したいと思います。

今回オススメするのはこちら

「夢で見たあの子のために」です。

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この作者の前回の作品が、「僕だけがいない街」なのですが、それと同じような雰囲気を醸し出している漫画です。

魅力を語り出すと、全く止まらなくなってしまうので、一文で魅力を述べたいと思います。

「双子の兄と痛みを伴った時だけ五感を共有出来る主人公が、幼い頃殺された家族の仇を取るために、殺される間際に共有した兄の五感を頼りに犯人へ迫っていく、ハラハラドキドキ系サスペンス漫画」

ぜひ面白いので読んでみて下さい。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!









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