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99.8.「たんのうは前生いんねんのさんげ」って凄く良い教え -「たんのう」解説- #5

はじめに


前回に引き続き、深谷忠政氏著書の「天理教教義学序説」を出来るだけ分かりやすく、噛み砕いて説明していきたいと思います。

今回は、「たんのうは前生いんねんのさんげ」についてです。

噛み砕いて説明しても、普段の記事より少しコアな内容になると思いますが、ご了承下さい。

前回の記事はこちらです。



<天理教教義学序説を噛み砕く>


前生いんねんのさんげ


自分の意識している過去の通り方が今ここに現れてきた場合、それは当然のこととして心に納得がいくであろう。しかし、実生活においては、むしろこうした場合よりも、自分が全く意識していない困難が、自分の行く手をさえぎり、せつないふしとなって立ちはだかることであろう。また信仰の道につとめてもつとめても、身上のさわりや事情のもつれが現れて、一度定めた心が動揺する時もある。
こうした場合、治めにくい心を治める上に忘れてはならぬことは、「たんのうは前生いんねんのさんげ」という諭しである。

苦難や困難であっても、なぜそんなことが起こるのか、自分の過去の振る舞いに心あたりがあれば、納得できます。

しかし、
実際に苦難や困難として立ち塞がるのは、ほとんどが自分に全く心あたりのない事です。

むしろ、

「あんなに良い人なのになぜ」
「あんなに信仰熱心だったのになぜ、病で寝込むのか」
「良いことをして生きているのに、熱心に信仰しているのに、なぜこんな酷い仕打ちを受けなければいけないんだ」

こんな思いを、何度も何度も聞いたことがあります。

天理教では、各々の信仰体験を話す「感話」というものがあるのですが、その「感話」の中でほぼ確実に出てくるような言葉達です。



昨日のTwitterで、キリスト教の方のこんなツイートが流れてきました。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」という有名なフレーズはかなり誤解されています。ここでいう「試練」とは「誘惑」のことを指しています。大切な人との死別など、世の中には越えられない「試練(本来の意味)」はあります。だからこそ神様が必要なんです。みなさん、どうか背負いすぎないで下さい。

このように書かれると、ひねくれて僕なんかは

「越えられない試練って、何を持って言えるだろう?」
「越えられなかったどうなるんだろう?」

って思ってしまい、
軽く流す程度であれば気にならないんでしょうが、考えれば考えるほど、
「乗り越えられない試練」という表現に「?マーク」がついてしまいました。


天理教では試練をそんな風には捉えません。


天理教では、
「神様は意味のある試練しか与えない」
言い換えると
「神様は意味のない試練は与えない」
と考えます。


そして、神様が試練を与える目的は一貫していて

「人類を陽気ぐらしに導く」
「幸せにする」
「危ない場所(心づかい)から引っ張り出す」

といった「元のいんねん」によるもの

つまり、神様は
「人間が陽気らしするのを見て共に楽しむ」
という目的のために、苦難や困難(試練)を人間に与えるんです。


そして、人間の魂は新しい身体を借りて、何度もこの世に生まれ変わってきます。

ですから、
魂には前世の行いがインプットされています。

その魂にインプットされた、陽気ぐらしからズレた心遣いを正すために、神様は「前生のいんねん」を今世で見せて下さっています。

ここまで分かって初めて
「たんのうは前生いんねんのさんげ」
が、なんとなく分かってくると思うのです。


ならん中たんのうするは誠、誠は受け取る。(中略)ならん中たんのうするは、前生さんげ〳〵と言う。ようこれ聞き分け。これだけ諭したら、自由の理は分かるやろ。 (明治30年10月8日)

この諭しを思案すると時、いかにすればたすけていただけるかが、よく解るであろう。

親神の心を動かし親神のたすけにあずかることのできる人は、前生いんねんの理を見定めた真剣の心構えである、真のたんのうを治めた人であろう。

「前生いんねんのさんげ」と書いてますので、
「前生のいんねんにお詫び申し上げ」みたいな
「お詫び」
という悟り方をされているのが一般的ですが、僕はこの悟りは好きではありません。

お医者さんに病気を指摘された時、
「病気が見つかりましたか、それは大変申し訳ありませんでした」
とお詫びする人はいないと思います。

また、
「人から注意されたら詫びるだろ、それと同じで、神様から注意されているからお詫びするんだ」
と言われる方もいますが、

相手が、本当に自分の為を思って叱ったり、注意してくれるとき、
申し訳ないという気持ち以上に、ありがとうございますという感謝の気持ちが生まれてくると思います。

親神様は大きな親心で、僕たち人間を苦難や困難を通して幸せへと導いて下さっているわけです。

ですから、
僕は「お詫び」よりも「感謝や喜び」に比重を置くべきだと僕は思います。

おさしづにも

「ならん中たんのうするは誠、誠は受け取る。(中略)ならん中たんのうするは、前生さんげ〳〵と言う。」

つまり、
「たんのう=前生いんねんのさんげ」ということだと書いてあります。

「たんのう≒喜び」ですから

「たんのう=前生いんねんのさんげ≒喜び」

ということになります。

起こってきた苦難や困難に対して、お詫びする事ではなく、喜ぶことが「前生いんねんのさんげ」になると考えます。

とりあえず喜んだ後に、親神様はどんな意図でメッセージを下さったのかを思案すれば良いと思うのです。

何より、そのように考える方が「陽気ぐらしの天理教」ではないでしょうか。

今回で最後かと思ったのですが、次回まで続きます。長々と続きますがよろしくお願いします。

(熱くなってしまって、全く「天理教教義学序説」の解説をしていないことに気づきましたが、尺も丁度良いので、ご愛嬌ということでお願いします。)


おまけタイム


どーも!自粛ムードの中、更に自分を追い込む男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

外出を自粛している中、家の中で何が出来るのか、皆さんが日々頭を悩ませているところですが、僕はであえて、更に家の中で出来ることも自粛を行い、己の精神を鍛え上げていきたいと思います。


自粛1
家の中でのマスク自粛
今や街中でほとんどの人がマスクを付けており、更に店頭に並べば即完売状態です。
こんな状況ですから、
家の中でもマスク、
寝る時もマスク、
お風呂に入る時もマスク、
食事の時もマスク、
という生活を皆さん送っていると思いますが、
僕は断腸の思いで、家の中でマスクを自粛したいと思います。

自粛2
ニンテンドーSwitchの自粛
今や出荷が追いつかない程、ニンテンドーSwitchは売れています。
貴重な屋内での娯楽ですし、新発売した動物の森は、ニュースにもなるほど面白いらしく話題になっています。

ニンテンドーSwitchを持っていない僕でさえ、かなり面白いと確信していますから、これが出来ないのはかなり厳しい自粛です。


自粛3
タバコの自粛

禁煙することは、通常時でも難しいのに、このストレスが溜まりやすい非常時に禁煙することは、かなりのストレスになります。

1日に一箱以上吸うヘビースモーカーからすれば、3日禁煙するだけでも発狂ものです。

タバコを吸わない僕からしても、かなり厳しい自粛になること必死だと思います。


これら3つの自粛を課して、更に自分を追い込んでいきたいと思います。

この自粛期間を乗り越えた時、僕がどの程度成長しているか楽しみでなりません。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!

サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!