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『虐待児の詩』 新潮文庫の一冊

「さぶ」


「深夜特急(4) シルクロード」の投稿で、沢木耕太郎が一頁目を読んだだけで涙がこぼれそうになったと云うので、なんとなく読んでみたくなった、例の時代小説「さぶ」である。

時代背景は江戸、しかし、時代は古いがそこに描かれているものは人間、親子、知人との人間関係であり、現在と何ら変わりは無い。

半分ほど読み進んだ頃、何か前に一度、読んだことがあるような気がした。しかし、そんな覚えは無い。それに良く考えてみると、私は時代物を小説では、殆ど読んだ覚えが無いのだ。
夢・・・。まただ、「深夜特急」の第二巻を読み終わったときと同じだ。
これは、確かに昔、夢で見た光景だ。そんなに遠い昔じゃないと思うのだが、いつかと言うと思い出せない。
しかし、小説の中の幾つかの場面は何故か見たとしかいえないのだ。まあ、深く考えるのはやめておこう。

信頼して心を許していた人達に裏切られ、自暴自棄になっていた栄治が、ある時、「おためごかしのお愛想なんかより、自分自身に向けられた復讐心の方が真剣で、嘘偽りが無く立派だ」と感じる場面がある。
こうまで極端に感じることなど出来ないが、なんとなくだが分かる気がした。
私も、玉虫色の言葉でお茶を濁しながらいざとなったら急に敵意を示されるくらいなら、最初から、ぶつかっても本心を聞かせてくれる人の方が好感が持てる。尤も、意見がぶつかったままで一緒にやっていけるとは思わないが・・・。

この著の中で、最も多く登場しているのは栄二である。しかしこの著のタイトルは「さぶ」である。だが、読み進んでいくに連れて、この著のタイトルが「さぶ」である所以がわかってくる。

そして、最後まで読んだとき、嗚咽しながら私はこう思った。
”さぶ”は主人公ではないかもしれない。けれど、”さぶ”はまさしく主役なのだと・・・。

これとよく似た物語を思い出した。
スモーク」という映画だ。
これは、もう「さぶ」の比では無い。
本当の物語の主役は、最後に一瞬、ぼやけた新聞記事の写真として登場するだけなのだ。

さて、1970年代に独り旅の旅先、テヘランで、この時代物の「さぶ」の一頁目を読んだだけで涙がこぼれそうになったと書いていた「深夜特急」の著者、沢木耕太郎は、この著を読み終わっていったいどんな感慨にふけっていたのであろうか・・・。



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