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老害というキーワードについて

インターネットで老害という言葉をしばしば聞くようになった。ここで自分のために、僕なりにこのキーワードについてイメージしたことを書いておきたい。

前もって書いておくが、今回のテーマはあるyoutubeのトーク番組(注b)を見てインスパイアされたものである。そのインスパイアされた文言を最初に書いておきたい。

「コミュニケーションが取れない年長者が、社会や組織にとって重要な役職のポジションにあるときは引退を促すべきである。それは、人格の否定ではない。」
「社会の役職から引退してもらうことは、社会から出すということではない。」

このような文言だ。本日はこれについて誤解を恐れず僕なりの現実的な視点を持って、思いを記しておく。

まず、日本はアジア文化圏の一部だ。自然と隣国の中国をはじめ他国のアジア諸国からの影響もあり儒教(注a)の傾向が強い社会だ。西洋にも無いわけではないがアジアほどではない。

その儒教には良いこともあるのだが、社会的にフィットが難しい面もある。その一つが年齢。年長者を敬うということだ。敬うのは良いのだが、いろいろなシチュエーションで意見がいいづらいことがある。

年長者や役職にある人を敬いすぎて、空気を読んでいるのではないか。年長者に意見をしないときがあるのではないか。会社や、ボランティアでもいい。意見を押し殺してはいないだろうか。

年齢を乗り越える。正しいと思った意見は言う。それが大切である。意見は、誰かを攻撃するものではない。

社会的におとしめるものではない。個人をやりこめるものでもない。より良いものをつくるための過程である。意見交換、議論もそうだ。論破するためのものではない。建設的なものだ。

クールに考えると、意見が言えないのは年配者のせいではなく、若年者の責任であるということ。僕らは意見の交換をするのだ。

ひとつ僕の実家でおきた例を出そう。僕の実家は地方の兼業農家で、気づかないで生活しているが儒教の影響が強い社会のなかにいる。

あるサラリーマン時代、宿泊業でオーナーとして独立したいと考えていた。どうしても自分で宿泊施設を作りたくて、まずコストをかけないために実家の一部の施設を使って民泊したいと両親と兄を説得しはじめた。サードドア(注c)を開こうと試行錯誤の過程だ。

その時は反対の意見も出ていたが、何度かの話し合いのうえで実際に実家の一部を使って宿泊施設を作ることになった。

ポイントは話し合いだ。おおまかな要旨の説明になるが、兄の反対意見は、穏やかに話すことで妥協点をみつけることができた。父親については儒教の影響で意見を言うことは簡単ではない。

しかし、実家にとって良いことなので意見を交わして何度も負けつつ引いては戻って意見をした。親というより、問題があるのは自分のほうだ。意見が言いづらいんだよな。

紆余曲折あって、最終的に意見は通ったのだが僕の気持ちは重いまま。親に逆らうとはこんなに重いものなのかと実感した。結果、僕の意見は通ったのだが気持ちは重いままだった。なんか親は少し嬉しそうだったのが印象的ではある。

プライベートなので細かくは書けないけど、これが田舎者の僕が親と儒教に逆らった体験のひとつである。

2例目もあったが、文章が長くなるので割愛する。また今度追記するかもしれない。

まとめると、儒教社会でも年少者からしっかり主体性を持って自分の意見を言いながら行動しようということ。もし年長者が間違っていると思ったならば、自分がそれを指摘すること。何度か言うこと。

年長者を社会的な役職ポジションから外したって、社会から追い出すわけではない。意思決定は能力のある者がすべきというシンプルなことだ。リスクはあるけど、それが地域を変えるということだよね。小さくても良い。自分の意見を言って、コミュニティを動かそう。

老害という言葉を使うより、前向きな発言と行動であなたの周りから良くしようということだ。常にリスクあるので、そのリスクを取りたくない人には上記のような行動はすすめないけどね。

ただ言えるのは、いつの世も若い世代が何かを変えるんだ。それは世界じゅうでそうだし、老害なんてキーワードは一般的に文語なんじゃないかな。口語で便宜的に使うには、バックグラウンドに知性や経験がないと頭が悪いように聞こえないかい。

あぁカフェインのせいで、また変わったことを書いてしまった。ついでにもう一杯コーヒー飲んでからお仕事しよう。このまえ、covid19のせいで温泉の施設に入れなかったけど僕はあきらめない。今日は別の温泉に行こうっと。ではまた。

注a 五常と五倫を守る思想。このなかには「上下の秩序をまもる」傾向がある。年齢の上下にも当てはまり、健康的な競争が起こりづらい一面がある。

注b 見たyoutubeチャンネルはre-hackと、ホリエモンチャンネルに出ていた成田博士の意見を聞いて「おお、文章を書こう」と思った。

注c 「サードドア」アレックスバナヤン著 僕なりの解釈では、何かしたいときに動きながらもがくこと。ジタバタしながら切り開くイメージ。

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