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「 映画を見るならお金は出してあげる 」

なぜ小樽生まれの私がこうなったか その1

高校生だった私にそんな提案をしてくれたのは昭和5年生まれの母でした。
グレースケリーやバーグマンに憧れていた、かつての「モダンガール」からの素敵な提案を受けた私は、その頃小樽にあった名画座を中心に、時には学校サボって映画を観まくりました。

多感な年頃に観た多くの映画は間違いなく私の教科書となり、そのうち映像を作る仕事をしたいと思うようになりました。札幌のローカルCMプロダクションでいわゆるADの仕事に就き、照明、特機、美術、モデル、ヘアメイク、スタイリストなどの手配や、ロケの場合は場所探しから現場での制作進行までと何でもやりました。普通であればそこからディレクターやプロデューサーに成長していくのでしょうが、私の場合少し問題がありました。閉所恐怖症という訳ではないのですが、窓のないスタジオや編集室に長い時間いられなかったのです。

そこで屋外での撮影が好きだった私は「ロケーションコーディネーター」という、自分にぴったりな職業にたどり着きます。一般的にはあまり知られていませんが、様々な商業撮影でこの職種は必要とされていて、映画やテレビ、ミュージックビデオ、雑誌、広告写真などのロケーション撮影をマネジメントする業務で、その撮影に適した場所を探し出し、許可を取り、実際の撮影がスムーズに進むように段取りするという、まあ「何でも屋」でもありながら先方が望むロケ地を見つけ出す絵心が必要とされる職業でもあります。

どんな仕事なのか一例を挙げると、
2001年 V6 / 出せない手紙 (20年経っていることに自分もびっくり)
YouTube avex オリコンシングルチャート1位
https://www.youtube.com/watch?v=cRSXi0V5v_k

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当時はまだCDが売れていた時代なので予算もあり、札幌でのライブ前後に次の新曲のPVを北海道で撮るということが数多くありました。

この時は、8月の真駒内屋外競技場でのライブ終了後にこの新曲PVを撮りたいと東京のプロダクションから連絡が入ったところから始まります。
先方の希望は人のいない砂浜海岸と水族館貸切。
当時人気のあったジャニーズのV6。しかもお盆の真っ只中。。。
まだ曲は未完成で、送られてきた歌詞だけを頼りにイメージを膨らませて場所を探します。
様々なロケ候補地を提案してようやく落ち着いたのが太平洋側の某砂浜。
登別の水族館も営業終了後に借りられることになり撮影は無事終了。
このPVは監督の素晴らしい演出も相まって質の高い作品になっています。

なぜ小樽生まれの私がこうなったか その2

ある日、ふらりと覗いた写真展で一枚の作品を気に入って購入。
支払いの際、主催していた方から、
「あなたが購入したのは私達の写真講師であるゲアヨーデルさんの作品です。もしこういう写真に興味があるのなら一緒に彼のモノクロ写真のワークショップに行きませんか」と素敵なお誘いを受けました。

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https://www.facebook.com/PhotoCentral/
https://www.mutualart.com/Artist/Geir-Jordahl/FCD8CD25488EA9C3

行き先はUSA、ポートランドとデスバレー。
少しは英語が話せるようにと、3ヶ月間の語学留学した後だったのと、その頃は年に一度は見たことのない景色を求めて旅することをテーマにしていたので、貯金箱をひっくり返してその写真グループと一緒に渡米。デスバレーは強烈。ワークショップも実に楽しいものでした。
その際、我々の滞在先はホテルではなく、現地アマチュア写真家宅に分宿となり、私がお世話になったリンダのお宅で北海道から来たと自己紹介したところ、彼女は一冊の写真集を取り出してきた。それがマイケルケンナのJAPANという作品集。
実はこの時初めてマイケルのことを知ったのです。

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詩のようなモノクロームの作品に驚き、しかもその中には何枚もの北海道の写真がありました。私が夢中でページをめくっていると、リンダが「私の家の離れにMichaelのアシスタントが住んでいるのよ、よかったら話してきたら?」というではありませんか。語学留学で少し英語にビビらなくなっていた私は早速近くの酒屋でビールを買い込み、彼の部屋を訪れました。もちろん私の英語はかなり滅茶苦茶だったと思うけれど、アシスタントのマークはとても良いヤツですっかり打ち解けて色々と話し、いつか日本で会おうねと私の名刺を渡して帰って来ました。

なぜ小樽生まれの私がこうなったか その3

デスバレーのワークショップから半年後のある日、メールをチェックしているとMichael Kennaという人からの新規メールが。ん、誰だっけ?

---  ツヨシのアドレスはアシスタントのマークから教えてもらった。
今年の冬、もう一度北海道を撮りたいのでガイドしてくれないか? ----

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びっくり仰天。
まさかのマイケルケンナからの直メール。
そして2004年12月、新千歳空港で初対面。ここからマイケルとの関係が始まりました。最初はハラハラドキドキのスタートでしたが、彼の人柄が全てをうまく運んでくれます。

2006年に発売された「HOKKAIDO」という写真集は今でも入手困難であり、2018年に東京写真美術館で開催された写真展でも沢山の北海道作品が並んでいました。

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今ではすっかり北海道を気に入ってくれて、ほぼ毎年道内のどこかで撮影をしています。

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