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本は静かに積み上がる(2023/10)

 積ん読と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論積ん読でいいやなどと考えてはいない。すぐに読む気がなければ本を買ってはいけないと云うわけはない。すぐ読む積もりはないけれど、本屋に行って本を買って来ようと思う。
(以上、内田百閒「特別阿房列車」書き出しを元に。『第一阿房列車』(新潮文庫)参照)。

 てな具合いの、百鬼園阿房列車マインドで、日々の本屋旅行&積ん読である。件の内田百閒は、旅先で手持ちの高山樗牛全集第七巻を古本屋に売って切符代を捻出したりしているが、私は、近年まったく蔵書を処分していないので、この部屋の積ん読高原は、裾野を広げ高度を増す一方だ。
 本を売って得た金で行ける旅行先はたくさんあるが、その本の中でしかたどり着けない場所もある。それはときどき世界の果てよりもさらに遠くだったり、自分よりもさらに自分自身に近いところだったりする。積ん読によっても、そんな旅が可能かどうかは、ひとまず問わずにおくとして。いや、問わないでください。
 そう言うお前は誰なんだという向きには、2018年のこちらの記事を。
前回までと同様に、買った本を羅列する。
 敬称は、最大限の敬意を込めて省略する。


1. 『文庫で読む100年の文学』(沼野充義・松永美穂・阿部公彦・読売新聞文化部編、中公文庫)

 この手のリストもの・ベストものは好きで、いわゆる名作や必読書のたぐいの概略や意義を知ることができると同時に、これぐらいは読んでおかなくちゃねとせまってくる教養圧とでもいうのか、そういったものを感じさせてくれるのがよい。
 最近は、世のあれこれには我関せずといった風情でとにかく自分の好きなものを「推す」ことをよしとする風潮もあるなか、おせっかいなおすすめによるおしつけで意外な出会いをするのも楽しいものである。
 編者を含む作家や文学者らが海外文学の名作60点をすすめ、さらに読売新聞文化部の記者が日本文学から40点を選んでいる。
 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』から川上未映子『夏物語』まで。プルースト『失われた時を求めて』や三島由紀夫『金閣寺』といった古典的作品のほか、ケン・リュウ『紙の動物園』や村田沙耶香『コンビニ人間』など2010年代の作品も。
 私が読んだことがあるのは3分の1ほど。読んでいないもののなかにはすでに物理的に積ん読状態のものもあるが、あらたに「読みたい」と思う心理的な積ん読が、また増えそうだ。


2. 浦野真彦『[新版]3手詰ハンドブック』(浅川書房)

 ツイッターで、 #豊島ブートキャンプ というハッシュタグとともに、本書の詰将棋を解いてみた結果を報告する事例を見かけ、調べてみると、今年度(2023年度上半期)にNHK将棋講座で講師をつとめていた豊島将之九段が、初級者の将棋上達法として3手詰200問を見た瞬間に解けるようにするというのをすすめていて、NHKでは書名を明言できないところ、200問という条件から、おそらくこの本のことであろうとの推定がなされていたのであった。
 将棋道場など近所になく、高校生のころに雑誌の検定で認定証を取得したのでペーパーではあるが、いちおう将棋3段の私にとって、3手詰はもちろん全問解ける難易度であるものの、ひさしぶりにまとめて取り組んでみると、なかなかおもしろい。ペーパー3段の私がすすめても説得力はないが、実戦に出てきそうな形でありかつ思考の盲点を突くような良問が多く、これはたしかにおすすめだ。


3. 『本屋、ひらく』(本の雑誌社)

 いわゆる独立系書店を営む22人による、開業・営業の様子や本・本屋にたいする思い。残念ながら北海道の書店は掲載されていないが、首都圏以外に岩手や長崎のお店も取り上げられている。
 さまざまな困難や不安が、本人の言葉でつづられている。わりとよく見かけるガイドブック的に魅力を伝えるような店舗紹介だとあまり前面に出てこない苦労話も多いように感じた。
 北海道の書店について現状をまとめた本があれば、ぜひ読みたいのだが、ウェブ上の連載としては、北海道書店ナビが、幅広く書店や出版業界の様子を伝えてつづけてくれている。


4. 青山文平『本売る日々』(文藝春秋)

 時代小説はほとんど読まない。
 山田風太郎──
 を軽くたしなむ程度。
 本好きならたいてい読んでいる司馬遼太郎は、『街道をゆく』のどれか1冊を読んだような気がする。
 が、清水義範によるパスティーシュ(文体模倣)小説「猿蟹の賦」の記憶のほうが強いぐらいだ。
 それはさておき。
 本屋に行けば、時代小説のコーナーもいちおうぐるりと見て回る。
 この青山文平の小説は、題名が目をひいた。
 江戸時代、村々を訪ね本を売り歩く行商人の話とのことだ。
 ざっと眺めてみると、扱うのは「物之本」と総称された、今で言うなら学術書・専門書のたぐい。
 本居宣長『古事記伝』や医書の『傷寒論』などの書名が見える。
 本の歴史、本屋の歴史。
 というものについて、まだまだ知らないことが多い。


5. 池上俊一『世界史のリテラシー ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放 少女はなぜフランスを救えたのか』(NHK出版)

 本連載初回に触れた映画リストは未完成のままで、とりあえず映画はコンスタントに見つづけている。
 『裁かるるジャンヌ』(カール・テオドア・ドライヤー監督、1928年)は、ジャン=リュック・ゴダール監督の『女と男のいる舗道』(1962年)のなかでアンナ・カリーナが涙を流しながら鑑賞する映画館のシーンが有名だが、このたび初めて全編を見た。ジャンヌ・ダルクの百年戦争における活躍ではなく、捕らえられてのちの裁判を、特異なクローズアップの連続(顔、顔、顔……)で描いた名作だった。
 ちょうど映画を見終え、そういえばジャンヌ・ダルクについては世界史の教科書以外できちんと読んだことがないなと思ったタイミングで刊行された本書を、すぐに購入した。
 「世界史のリテラシー」というシリーズの1冊。「タタールのくびき」や「カノッサの屈辱」「バビロニア捕囚(バビロン捕囚)」といった、用語としては記憶鮮明ながら、内実はどうだったっけ? と思いそうな歴史的事件を取り上げて背景を説明する。今後の刊行もたのしみだ。
 

6.山内志朗『中世哲学入門』(ちくま新書)

 『普遍論争』(平凡社ライブラリー。単行本は哲学書房)や『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(平凡社新書。2021年に新版刊行)の著者としてなじみ深く、最近は、ちくま新書『世界哲学史』の編著者にも名を連ねた山内志朗による中世哲学入門ときたら、買わないわけにはいかない。
 『普遍論争』はいちおう読んだはずだが、アヴィセンナ(イブン・スィーナー)による「馬性は馬性以外の何ものでもない」という謎めいたフレーズ(本書でも「馬性の格率」として出てくる)というか、馬のイメージしか記憶にのこっていないテイタラクであり、中世哲学に、あらためて入門したいと思いつづけていたところ。
 なお、中世哲学については、ジョン・マレンボン『哲学がわかる 中世哲学』(周藤多紀訳、岩波書店)という概説書も今年、翻訳刊行されている。


7. マーカス・デュ・ソートイ『数学が見つける近道』(冨永星訳、新潮クレスト・ブックス)

 数学が得意かと聞かれると、受験科目としては比較的得意であったが、現在において数学的思考を実践できてはいないように思われる。大学は理系として入学したので、ε-δ論法とか偏微分方程式とかまでも、学んだ記憶はある、うっすらだが。
 受験生時代に読んでおもしろかった数学参考書は、駿台文庫で出ていた秋山仁の「発見的教授法による数学」という全6巻のシリーズだ(現在は森北出版から全7巻で復刊されている)。問題の解法パターンを超えて、分野横断的に活用できる数学的な思考法を伝えようとする良書だった記憶がある、おぼろげだが。
 本書は、数々の具体的な事例に対し、数学的な技法を用いた解決のための「近道(shortcut)」を示して見せる。帯の推薦文には「数学とは「ずる」である」とも書いてある。「ずる」してラクして「近道」を見つける方法を学びたいものである、積ん読ではもちろん無理だが。
 なお、本書とはべつに、数式を使わずに物理や数学を理解できるとうたった本はよく見かけ、それもある種の「近道」かもしれないが、イメージだけでたどり着ける場所より、数式の論理的な操作によって連れ去られる、思いもよらぬ見知らぬ場所のほうが素敵なこともあると思う、なんとなくだが。


8. 村上靖彦『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)

 データ、エビデンス、ソース……。
 SNS上の、議論とも呼べぬ言い争いでは、根拠薄弱な個人の意見が「感想」としてきびしく糾弾され、客観性を求められることが近年ますます多くなったように見受けられる。
 具体的な事例にもとづくエビデンスや、信頼できるソースが提供するデータから得られる数値など。だが、それらへの過剰な信仰が、私たちに比較や競争を強制し、序列化や不安を加速しているとしたら──
 著者の村上靖彦を最初に知ったのは、おそらく『レヴィナス 壊れものとしての人間』(河出ブックス。増補改題した『傷の哲学、レヴィナス』として最近刊行)というレヴィナス現象学の入門書。
 その後も、精神病理学や現象学をベースにしながら、看護師やヤングケアラー、大阪・西成の子育て支援など、現場担当者・当事者の「語り」に耳を傾けつづける仕事には注目してきた。
 もちろん、社会的な問題の解決に、数値化・客観化されたデータやエビデンスは不可欠である。しかし、その問題の真っ只中に、数値化や客観化からはこぼれ落ちてしまうような、それぞれの顔をもった個々の人々の生々しい経験や苦しみがあることは、つねに思い返されるべきだ。
 本書は、経験の内側に視点をとる、現象学という方法実践についての入門書ともなっている。


9.トマス・S・クーン『新版 科学革命の構造』(青木薫訳、みすず書房)

 1962年に原著が刊行された科学史・科学哲学の古典であり、パラダイム(paradigm)という語を導入したことで有名な著作の新訳(今回の翻訳底本は、2012年の原著刊行50周年記念版)。
 既訳(1971年)は長年にわたり読まれつづけてきたが、長年にわたり誤訳その他の不備が指摘されつづけてもきたので、待望の新訳である。
 自然科学が、累積的・連続的に進歩するだけではなく、パラダイム(思考枠組みや問題設定)が転換する「革命」と呼びうる変化をすることがあるという歴史記述を提示した。
 冒頭に、イアン・ハッキングによる「序説」50ページほどが付されており、本書の概要と問題点などを手際よくまとめている。
 高橋憲一訳のコペルニクス『天球回転論』が講談社学術文庫に入った流れで、クーンの『コペルニクス革命』(常石敬一訳、講談社学術文庫)も新訳を希望したい。
 なお、岩波書店の雑誌『思想』2023年10月号では、トマス・クーンの特集が組まれている。


10. 駒井稔『編集者の読書論』(光文社新書)

 読者としてたいへんお世話になっている光文社古典新訳文庫シリーズの創刊編集長で、現在は自ら立ち上げた「駒井組」という出版社を営む編集者による読書論、あるいは読書論論。ブックガイドとしても充実した内容となっている。
 章立ては、
 Ⅰ 世界の〈編集者の〉読書論
 Ⅱ 世界の魅力的な読書論
 Ⅲ 世界の書店と図書館を巡る旅
 Ⅳ 「短編小説」から始める世界の古典文学
 Ⅴ 自伝文学の読書論
 Ⅵ 児童文学のすすめ

 「児童文学のすすめ」の章で、河合隼雄との対談集『子どもの本の森へ』(岩波書店)における詩人・長田弘の積ん読に関する発言が引用されている(p.295)。
 孫引きしておく。
《長田弘:子どもの本というのは「読まなきゃいけない本」というんじゃないんですね。そうじゃなくて「読みたい」とずっと心にのこっている本。
 子どものときに読まなかった子どもの本が、記憶のなかにいっぱいのこってる。だけど、そうやって記憶のなかにツンドク(積ん読)だけで読まなかった子どもの本というのを、大人が自分のなかにどれだけ持っているかが、じつはその大人の器量を決めるんじゃないかなあ》


11. 『ヴェーロチカ/六号室 チェーホフ傑作選』(浦雅春訳、光文社古典新訳文庫)

 チェーホフといえば『桜の園』などの戯曲が有名で、4大戯曲とされる『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』は新潮文庫の神西清訳で読んだことがある。
 ちなみに、チェーホフの『桜の園』を創立記念日に上演する演劇部のある高校が舞台のマンガ『櫻の園』(吉田秋生、白泉社文庫)、およびそれを原作とする映画『櫻の園』(中原俊監督、1990年)も好きだ。
 チェーホフは、短篇小説も味わいぶかい。
 訳者の浦雅春は、本書以前に河出文庫で『馬のような名字 チェーホフ傑作選』を編訳しており、さらにこのあと光文社古典新訳文庫で、もう1冊チェーホフの短編集を刊行予定とのことだ。
 沼野充義による『新訳 チェーホフ短篇集』(集英社)も読んだが、これもできれば文庫化して、その解説を含め、より広く読まれるようになってほしいところ。


 私がチェーホフの中でいちばん好きな短篇小説は「中二階のある家」で、最後の一節だけ折にふれて読み返す。

《孤独にさいなまれ淋しくてたまらぬとき、ぼんやりと思い出に浸っていると、なぜかしら相手もやはり私のことを思い出し、私を待ちつづけ、やがて私たちは再会するのではないかという思いが少しずつ募ってくる……
 ミシュス、きみはどこにいるのだろう。》チェーホフ「中二階のある家」『かわいい女・犬を連れた奥さん』(小笠原豊樹訳、新潮文庫)、p.34。

12.『中上健次短篇集』(道籏泰三編、岩波文庫)

 1990年代に若者であった私は、当時の文壇や論壇のお偉方が、こぞって村上春樹を批判し、やたらと中上健次をもちあげる態度を、そういうものかと眺めていた。
 おもしろく読んだのは村上春樹のほうであったが、中上健次のよさがわかるようにならなければいけないと思っていた。
 本書には収められていない「日本語について」という短篇(中篇?)は好きだった(集英社文庫の『鳩どもの家』に収められているのを読んだ)。見出しのように配置され、ただくりかえされる「夏」の一語の魔力。
 90年代末に刊行された小学館文庫の『中上健次選集』全12巻もそろえた。
 いまだにほとんど積ん読だ。
 中上健次が亡くなって30年以上が過ぎ、党派的な擁護や批判からはだいぶ解放されたところで、もういちど出会い直してみたい。

 あのころ買った積ん読の中から、さっと本を取り出せば、またすぐ読み始めることができる。それについては、自分をちょっとだけほめてあげたい。ただし、さっと取り出せるとはかぎらないのが、最大の問題なのである。