本は静かに積み上がる(2023/6)
本を眠らせ、本の尾根に本ふりつむ。
いや、「尾根」という表現はこの部屋の実態を反映しておらず、本の山脈というよりも、本の群島がまずは起源的に形成され、それらが徐々に隆起して、初めは独立した島々と見えたものが結果的にひとつの高原(プラトー)として存在する状態。
ミル・プラトー(©ドゥルーズ&ガタリ)ならぬ、ヨム・プラトー。
簡潔に言うと、ほぼ読んでいない本が、床面積の大半を一定の高度で占拠している。
《本って、閉じているとき、中で何が起こっているのだろうな?》
ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』
(上田真而子・佐藤真理子訳、岩波書店)p.24。
きっと、1冊の本の内部でも何かが起こっているし、積み上がり密接した本同士の間でも何かが起こっていることだろう。
だから、この積ん読の楽園(どうか墓場とは呼ばないでほしい)では、何かが起こりつづけているはずなのだ。
といった言い訳めいた妄想はさておき、書いてるお前は誰なんだという問いには、2018年のこの記事が答えてくれるだろう。
前回と同様に、さいきん買った本を羅列する。
敬称は、最大限の敬意を込めて省略する。
1.國分功一郎『目的への抵抗』(新潮新書)
高校生も聴講対象に含まれる講義の書籍化。
新型コロナウイルス感染症流行下における権利制限をめぐるジョルジョ・アガンベンの議論を起点に、ソクラテス、ヴァルター・ベンヤミン、ハンナ・アーレントなどを参照しながら「自由」や「目的」について再考する。
本書は『暇と退屈の倫理学』の続編と位置づけられている。
『暇倫』は最初の朝日出版社版を読了、太田出版の増補新版(付録として「傷と運命」という章を増補)、新潮文庫版と合わせて3種をコンプリートして、中で論じられている映画『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー監督、1999年)を見たのちに原作小説(チャック・パラニューク作、池田真紀子訳、ハヤカワ文庫)も購入した。ただし、これも積ん読である。
國分功一郎の他の著作では、『中動態の世界』(医学書院)ももちろん買ってあるが、中動態の、ギリシア語文法における機能を、先入観なしの状態で語学的にすこし学んでから読もうかと迂闊にも考えてしまい、荒木英世『CDエクスプレス 古典ギリシア語』(白水社)の最初の数章で挫折したままだ。
2.グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ』上巻(佐藤良明訳、岩波文庫)
グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』は新思索社版の単行本で読み、このたびの岩波文庫版も購入した。
『精神の生態学へ』のほうは、自分では読んでいないのに分厚い単行本(タイトルは『精神の生態学』であった)を誰かにすすめたことがあり、『精神と自然』につづいて文庫化されたので買った(全3巻の予定)。
最初にベイトソンを知ったころは、たしかいわゆるニューサイエンス(説明を省略するが、1970〜80年代ごろ主に工作舎から出ていた一連の本と言えば大きく外れてはいないはず)のくくりで名前があがっていたのを見かけた気がする。そのくくりは的外れだと思うが、それでもやはり、あの独特としか言いようのない議論を展開するベイトソンが岩波文庫に?というおどろきは大きい。
3.斎藤幸平『100分de名著 ヘーゲル『精神現象学』』(NHK出版)
ヘーゲルの『精神現象学』は、ちくま学芸文庫版の熊野純彦訳、平凡社ライブラリー版の樫山欽四郎訳を持っており、おそらく、序文というもののあり方を論ずるところから始まる長い長い序文(序論、Vorrede)だけは読んだ気がする。
NHK「100分de名著」は、いちどもテレビ放送を見たことがないが、テキストだけはちょくちょく買う。
ざっと調べた感じだと、「100分de名著」ではまだデカルトが取り上げられていないようで意外。『方法序説』なんかぴったりだと思うのだが。
4.岩野卓司『贈与論』(青土社)
同著者の新刊『贈与をめぐる冒険』(図書出版ヘウレーカ)を見かけて、そういえばと思い出し、今回はこちらを購入した。
ケアと人類学的観点が思想界の流行という雑な認識を前回記しておいたが、そこに贈与を加えてもよいだろう。資本主義における所有と交換の問題を考察するなかで導入される、あるいはそれらの基底をなすものとして見出される贈与。
マルセル・モースの『贈与論』は、ちくま学芸文庫版(𠮷田禎吾・江川純一訳)も岩波文庫版(森山工訳)も持っていて、ちくま学芸文庫版はいちおう通読したのだがよくわからないままだし、岩波文庫版は長らく積ん読。
解説書として、岩波文庫版『贈与論』の訳者である森山工の『「贈与論」の思想』(インスクリプト)や、第四章のモース贈与論をめぐる議論をツイッターで小泉義之が褒めていた佐々木雄大『バタイユ エコノミーと贈与』(講談社選書メチエ)も積んでいる。
5.荒川洋治『文庫の読書』(中公文庫)
同じく中公文庫で荒川洋治が編者として出した『昭和の名短篇』が良かった(とりわけ佐多稲子「水」がすばらしかった)ので、きっとまた良い作品を教えてもらえると期待して買った。
以前、荒川が朝のラジオ番組(TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」)で本の紹介をしていたころ、おもしろく聞いていた。
ちなみに、荒川の『忘れられる過去』(朝日文庫)には、かつて札幌の名店として知られた書店リーブルなにわ(札幌市中央区南1条西4丁目。2013年閉店)が、詩集をおどろくほど売ってくれる店だったという話が出てくる。
《〔荒川が自身で創立した出版社(紫陽社)刊行の詩集について1970~80年代を回顧し〕特にニッシン上前津店(名古屋)とリーブルなにわ(札幌)の売れ行きはおそるべきもので、三〇冊も送ったのに、二、三日もすると追加注文の電話が入るなどしておどろくこともあった》
《この間はじめて北海道に行ったおり、札幌の街を歩いていて、ふと、リーブルなにわを見つけた。いつも電話をくれた桧佐(晴一)さんは会社をやめたとのことで会えなかった》
荒川洋治「詩集の時間」『忘れられる過去』(朝日文庫)、p.169。
【初出は『新潮』2002年4月号】
6.堀田季何『俳句ミーツ短歌』(笠間書院)
「麦酒句会」という俳句のイベントがあり、私がいちおう主催者だ。
コロナ禍のため、この3年ほどは休止状態で、再開のタイミングをうかがいつづけているところだが、2013年から19年までの間に、札幌の「古本とビール アダノンキ」を主な会場とし、計12回おこなった(うち月寒神社での出張開催が1回)。
おいしいビールを飲みながら、ほろ酔いかげんで初心者同士が自由に俳句をつくり自由に感想を言い合うのは、ほんとうにたのしい。
俳句にかんする本は、角川ソフィア文庫などで出ている入門的なものをめくるくらいだが、ときどき買っている(麦酒句会を始めるにあたって参考にしたのは千野帽子『俳句いきなり入門』(NHK出版新書))。
句会のほか、雑誌の俳句投稿欄にも、サボりがちだが投句している(現在は、雑誌『世界』の「岩波俳壇」にときどき)。
このところ「短歌ブーム」と見聞きすることが多くなったが、俳句と短歌を同時に論じている本書をきっかけに短歌もすこし作ってみようかな、というささやかな野心を抱いて買ってみた。
7.清水高志『空海論/仏教論』(以文社)
今年(2023年)は空海生誕1250年で、関連書も多数刊行されつつある。
清水高志は、フランスの哲学者ミシェル・セールの研究者として知られる。本書は、プラトンやレヴィ=ストロースなどを介して空海を読み解こうとする試みのようだ。
この部屋にある空海関連本は、ほかにおそらく角川ソフィア文庫の『ビギナーズ日本の思想 空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」』と篠原資明『空海と日本思想』(岩波新書)くらいで、前者は積ん読、後者は芭蕉や草間彌生まで空海と関連づけて論じており、その視点はおもしろかったが、やや想像力がたくましすぎる気がした記憶がある。
8.ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』(高橋啓訳、創元推理文庫)
同じ作者の『言語の七番目の機能』(東京創元社)は、ロラン・バルトの死をめぐるミステリで、ミシェル・フーコー、ウンベルト・エーコ、ジャック・デリダら実在人物が登場するフィクションと聞いて、2020年の発売後にすぐ買ったまま積ん読。帯には「エーコ+『ファイト・クラブ』を書きたかった」という作者の言葉が引用されている。
「言語の七番目の機能」というタイトルがロマン・ヤコブソンの議論に由来すると訳者あとがきで知り、その勢いで購入した『ヤコブソン・セレクション』(桑野隆・朝妻恵里子編訳、平凡社ライブラリー)も積ん読。
『HHhH』は、ナチによるユダヤ人虐殺が進行するプラハが舞台の歴史小説。本屋大賞やツイッター文学賞で話題になっているのは知っていたが、文庫化を機に今回購入した。
9.奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(新潮文庫)
ボルネオ島で狩猟採集中心の生活をするプナンの人々といっしょに暮らした人類学者によるフィールドワークの記録と思索。
コロナ禍で訪れることができなかった期間をへて、現地に太陽光発電やWi-Fiが導入されてどのように生活が変化したかなどが書かれた「文庫版あとがき」のみ先に読んだ。
ダニエル・L・エヴェレットの『ピダハン』(屋代通子訳、みすず書房)も、南米アマゾン奥地の少数民族ピダハンの言語を中心とした記録だが、最初の数章を読んだだけでいちばんおもしろいであろう部分にはまだたどり着けていない。
この機会にまとめていっしょに読むとよいのかもしれない。
10.ジョナサン・フランゼン『コレクションズ』上巻(黒原敏行訳、ハヤカワepi文庫)
前回書いた『ツイン・ピークス』の次に見た連続ドラマは『メディア王 ~華麗なる一族~』。原題は SUCCESSION で、巨大メディア企業の後継者争いがメインの物語だ。
企業買収の交渉をめぐるエピソードで、内部回覧の文書について、「ジョナサン・フランゼンの新作小説はすぐ読むくせに、あの文書はみんなまだ読んでいない」というようなセリフが出てきて、ジョナサン・フランゼンをまったく知らなかったので、そもそも実在するのかどうかを検索したら、現代アメリカの人気作家だった。
文庫で邦訳のあった本作を、上巻のみ購入した。
11.『将棋世界』2023年6月号
この号では名人戦(渡辺明名人に藤井聡太竜王が挑戦)は第1局までの進行だが、すでに決着していて、藤井聡太が史上最年少名人となり、8大タイトルのうち7冠を独占するという藤井1強時代のプロ将棋界である。
第1局の解説は佐藤天彦九段。名人を3期獲得した一流棋士だ。間違う人間同士の対戦ということを考慮に入れて勝利を目指す渡辺明名人と、人間離れした計算力で盤上の数学的な解を導き出そうとする藤井聡太竜王という対比で語っている。
藤井の圧倒的な強さについて、プロ棋士でさえも違和感を覚えるレベルとし、その異次元の強さ(あるいは正確さ)ゆえに周囲の理解が追いつかず、孤独の中で本来の能力をじゅうぶんに発揮できなくなるかもしれないとの危惧を示す。
藤井のすごさを「すごい」と棚上げするのでなく、同時代の同業者が理解するようつとめることは「後世に対する責任」であるという認識を持ち、ともに将棋という芸術を創り上げようとする姿勢に感銘を受けた。
12.『文學界』2023年6月号
乗代雄介「それは誠」を目当てに購入。第169回芥川賞候補にも選ばれたので、選考会(2023年7月19日)までには読んでおきたい。世評の高い「旅する練習」や「最高の任務」は少女のふるまいにさわやかな印象がのこるが、私は、「本物の読書家」や「皆のあらばしり」などに出てくる物知りすぎて胡散くさい感じのおじさんが好きなので、そんな人物の登場を期待して。
芥川賞は分量的に条件(『文藝春秋』に一挙掲載してバランスを損ねない程度?)があり、候補になった作家が受賞するまで中篇を書きつづけるという傾向が見えるので、さっさと受賞して長篇小説にも挑んでほしいと私が思うひとが何人かいる。乗代雄介もその一人だ。
13.『ドラえもん探究ワールド 本の歴史と未来』(小学館)
ツイッターで絶賛されていたのを見かけて購入した。
マンガ部分と文章部分が 2:1ぐらいの割合で、小中学生がおもな読者対象だと思うが、出版業界全体の成り立ちと仕組みをコンパクトにまとめてあってすばらしい。欄外の豆知識などの情報の詰め込み方もよい。
本の未来を背負って立つ出版関係者は全員必読、と言い放っておこう。
『ドラえもん短歌』(小学館文庫)という本がある。
藤子・F・不二雄のマンガ『ドラえもん』の世界観や登場人物、ひみつ道具などを詠み込んだ短歌を募集し、歌人の枡野浩一が選者をつとめた作品集。
そのなかに、こんな短歌が載っている。
僕たちが今進んでいる方向の未来にドラえもんはいますか(仁尾智)
「僕たちが今進んでいる方向の未来に本はあるのでしょうか」と、ときどきちょっと、祈りを込めて問いかけたくなったりもする。未読の本に囲まれながら。