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どうしてここに酒蔵が?栗山で考えたこと。

栗山町の小林酒造に行ってきました。
北海道で一番古い酒蔵です。
明治11年(1878年)に札幌で酒造業をはじめ、33年(1900年)に栗山に移転しました。
酒米を持ってきやすかった北海道の玄関口の小樽でも函館ではない。
今なら札幌から車で1時間半ほど、千歳空港から1時間ほどの農業地帯。
なぜ、ここに?

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その答えはこの地図にあります。
そう、隣が夕張なんです。
青いラインは夕張川です。

夕張の石炭産業があったからこそ、この地に酒蔵が作られ、
この土地の日本酒が育ちました。

寒すぎて発酵しない北海道で、石炭エネルギーで蔵の温度を上げ、
木造の蔵でなくレンガ蔵を作ったのが二代目の小林米三郎さんでした。

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すごくないですか?

昭和20年から30年代、夕張は炭鉱で栄えに栄えました。最盛期の夕張のメインストリートには当時の東京の銀座より人が溢れていた、と聞いた事があります。ほんとかな?つまりそのくらい活気があったということなのでしょう。
そんな活気のある町で、楽しみにも、炭鉱の仕事に疲れた時も、気晴らしにも、祝いにも、葬式にも、生活のあらゆる場面で酒は人々に添っていました。不可欠なもの。百薬の長。
小林酒造の酒は、夕張の生活になくてはならないものだったのです。

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さて、現在の敷地の中は、蔵や古くからの建物が建ち並び、さながらテーマパークです!

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博物館のように、美術館のように、それぞれの建物の中には酒造りの道具のみならず歴代のコレクションも展示されています。

その中に、明治30年に建築された木造の小林家があります。歴代の社長が暮らした家は今、喫茶室と、奥は調度品などをそのままに、小林家の生活を垣間見れる資料館のようになっています。ここでは女たちの暮らしが見られます。

奥は見なかったのですが、それでも親切に小林家の建物や当時の生活をガイドの方がお話してくださいました。寒いから温まっていってください、と炬燵に入れてくださって、お番茶とキャベツの粕漬け、酒粕に黒コショウをあしらったのをいただきました。

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オーダーしたのは甘酒。立派なお雛様を拝見したので。2日遅れで雛祭り。

大工は新潟から呼んだとのこと。それでは建材も新潟から運んだのでしょうか?どうやって??
明治30年です。
これはきっと北前船ですよ!

そこで最初の地図に戻ります。

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新潟から北前船で石狩まで運ばれた木材が石狩川を遡って江別まで。
江別から夕張川に入り、栗山まで運ばれたのではないか、と。
小林家に使われた木材は新潟のものだけでなく、近隣のも使われたそうですが、こんなことを考えるのも楽しいもの。
ふと見ると、北前船の模型もありました。

きっと、そうだわ!!面白いなぁ。

わたしはこちらのお酒が大好きなのですが、今日いろんなことを知って、
開拓スピリッツにあふれた伝統を感じ、栗山の米での醸造や味の表現、蔵マイスターへの重なる挑戦と受賞結果に、開拓者的な革新も感じるのでした。





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