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自由に楽しくVS本気で向き合う ~のだめカンタービレに愛を込めて~

「自由に楽しくピアノを弾いて何が悪いんですか?」
「本気で音楽と向き合ったらどうなるか知りたくない?」

最近まさに考えていたことだ。

 サンバとロックを愛する、クラシックがわからない私には、彼らの苦しみは到底わからない。楽譜は読めても「音楽」を五線譜で表すことがいまだに理解できないし、推敲に推敲を重ねる文章と線に線を重ねる絵画を愛してきたから、その瞬間にしか存在しない芸術なんて恐ろしいものなんて全く理解できない領域。だから、正直「1音くらい間違えたっていいじゃん。CDでいいじゃん。一定以上、上手くなったらそれ以上なんてわからないよ」と思う。

なのに。
ねぇ、なんでそんなに頑張るの?

 好きこそものの上手なれ、とは言うけれど。好きなことと、才能が一致している奴はいい。迷わずプロになればいいんだから。好きと得意が一致してることほど恵まれたことってない。たいていは下手の横好きでしょう?好きなのに、想うほど愛が返ってこない。

仕事も、恋愛も一緒だね。

愛しても愛しても、愛なんて返ってこない。
探しても探しても、天職なんて見つからない。

 ターニャもくろきんも、峰も、もちろん千秋も、皆もがいて、もがいてもがいている。もがきすぎてて読んでいるのが辛いよ。だけど、やっぱりどうして皆、険しい道を行くのだね。

 果たして、のだめにとって、音楽とともに生きていくことは本当に「幸せ」だったのだろうか。物語から逃げ出し、絵を描くことから逃げ出し、ことばを嫌いになるのがこわくて、物書きからも目を逸らした私としては、疑わずにはいられない。


 恥ずかしながら今回初めて気づいたのだが、のだめの思考はほとんど明らかにされない。だからいつもいきなり心変わりしたり、キレたり、クレイジーな女だと思われる。だけど、今ようやくわかる。のだめもいっぱいいっぱい考えて、苦しんでいたのだと。
特に多言語習得しようとするとわかる。教科書で遊びたくなる気持ちと、海外での心細さ。

ねぇ、それを超えるものがあった?
普通の女の子でいたくなかった?
どうして無垢なままでいられないんだろうね。

私も、本気で向き合うべきだったのだろうか。
――否、今からでも遅くないことはわかっている。
本気で向き合うべきなのだろうか。

”飛ぶものは落ちるんだから
お落ちるのが怖いなら 飛びたいなんて思わなければいいのに”
 ――千秋真一

苦しめば、苦しむほどいい味が出るのは知っている。
だって今がそうだから。苦しい時ほど文章を書く量が増える。
だけど、当たり前だけど苦しいんだ。
苦しくて苦しくてしかたないんだ。
たった一度の快感のために、これに耐え続けなければならないのか。
吾唯足知の精神で細々と生きさせてはくれないのでしょうか。
あるとも知れぬ桃源郷のために、砂漠を歩き続けねばならないのか。
途中で力尽きて倒れたとしても。
求めずにはいられないのだろう。


それが愛なのか。
それが為事なのか。

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