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カオスを愛し、カオスと生きる

VUCAは世界そのもので、カオスは人間のことだ。

生むは易し、壊れるも易し。更新は茨の道。

 今の仕事では、自分が生まれた年くらいに作られたモノを延々と更新している。作った当時の喜びあふれる手書き図面の黄ばんだ青焼きと、老朽化した本体を見ながら、いかにその過去をきれいに上書きしきれるかばかり考えている。最新設備を取り揃えた当時は老朽化することなんて考えないから、更新がめちゃくちゃ大変なのは言うまでもない。根こそぎ破壊して棄てるだけなら簡単だが、そうもいかない。モノのアップデートは、作る以上に難易度が高く、更新の困難さはいつも作者の予想を遥かに上回る。

 そう言うなら、高度経済成長期に建てられた、いまでは当たり前の高層ビルや橋の数々も更新時期を迎えているものも多いのではと思う。…誰も建替えなんてやりたくないのではないか?だけど誰かがいつかやらねばならない。いつやるんだろうね?とヒヤヒヤドキドキワクワクしている。でも、コンクリートとか高層ビルとかだって、実際のところ一体築何年まで耐えられるのか?はまだわかってない。最も古いものでも、ほんの築百年くらいしかないからだ。もしかしたら、1つくらいは1,000年もつものがあるのかもしれないし、あと数十年で皆ボロボロと崩れるのかもしれない。計算はできても、本当にどうなのかは1,000年経つか全てが崩れないと断言はできない。そもそも1,000年もあれば雷火事台風大雨強風噴火のうちひとつくらいに見舞われて寿命を迎える前に壊れるかもしれないし、そんなことを言う前に明日大地震が来て全部壊れるかもしれない。
 明日は分からない。それが日本列島である。

そしてカオスが生まれる

 作るときに、壊すことなんて考えない。というより、壊すことを考えるなら、作らなければいい。そしてモノは必ず老朽化する。1つの例外もない。どれだけ最新鋭にしたって、いつかは古ぼける。それでも、今日もどこかで続々と新しいモノが作られ、何かが古くなっている。だけどそれを容赦なく捨てたり、躊躇いなく更地に戻したりできる人は希少で、不変を希求する人がマジョリティだから、モノたちは更新も整頓もされずにただただ蓄積されていく。VUCAを恐れ安定を求めれば、カオスが進行していくのだ。放っておけば、乱雑な状態になるのが自然だから当然と言えば当然で、安定して保たれるのはエントロピー増大の法則だけとなる。

つまり、
整列とか規則とか秩序とか常識とか、それは人間が放っておけばぐちゃぐちゃになるから導入された制度であって、本来は非人間的なものなのだ。
それを認めるところから始めないか?
でも不安定も不確定も不規則も怖いね。それは極めて人間的なものだ。
では、それも受け入れよう。

「自由でありたいけど、不安定は嫌だ。」
人間とは、どうしようもなく無茶苦茶な存在だ。
認めてしまえば楽になるよ。

VUCAとカオスを恐れるな、闘うな。それは、世界であり、人間であり、自分自身だ。

生み出すは人の業。
それでも生み出さずにはいられない。
それが生きているということで、
私であるということだ。

健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、カオスを愛し、カオスを敬い、命ある限り、真心を尽くすことを誓います。 ほかる

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